スティーヴン・キングの『もし血が流れれば イフ・イット・ブリーズ』を読んだ

もし血が流れれば イフ・イット・ブリーズ/スティーヴン・キング (著), 白石 朗 (翻訳), 安野 玲 (翻訳)

もし血が流れれば イフ・イット・ブリーズ (文春e-book)

キングの”長編+中編”集『もし血が流れれば イフ・イット・ブリーズ』

邪悪なる存在と対決する女性探偵『もし血が流れれば』、山荘にこもった作家を襲う怪異『ラット』。スティーヴン・キングの新刊『もし血が流れれば イフ・イット・ブリーズ』はこの2編のキング作品が収められた作品集だ。このうち、表題作の長さは原稿用紙550枚に及び、もはや「中編集」ならぬ「長編・中編集」という破格なものとなっている。

もともとこの作品集は、スティーヴン・キングの4作の作品を収めた『If It Bleeds』をもとに上記2編を日本版独自編集したもので、残りの2編は既に刊行されている『チャックの数奇な人生』に収められており、興味のある方はそちらも手に取られるといい。

では作品の紹介を。

「もし血が流れれば」

【STORY】中学校で起きた爆弾テロ事件。心を痛めながら、そのニュースを見ていたホリー・ギブニーはふとした違和感に気づいた。あのレポーターはこの惨事が起きることを事前に知っていたのではないか? かつて邪悪なものと戦った経験を持つホリーは調査を開始し、おそるべきものの存在を知ることになる。

『もし血が流れれば』は、女性探偵ホリー・ギブニーを主人公としたシリーズ作だ。このホリー・ギブニーは『ミスター・メルセデス』をはじめとする「ビル・ホッジス3部作」で初登場し、長編『アウトサイダー』では遂に主役を務めることになった、キングお気に入りのキャラクターである。

本作は『アウトサイダー』の続編的内容であり、前作のネタバレを含んでいる。話の繋がりという意味でも、先に『アウトサイダー』を読んでおくのが賢明だろう。とはいえキングの絶妙なストーリーテリングは前作未読でも機能する部分が大きいから、そこは読者の判断に委ねたい。

主人公のホリーは、かつて引きこもりでコミュニケーションに難を抱えていたが、その知性と推理力から探偵として才能を開花させ、幾多の事件を解決に導いてきた女性だ。本作でもその「生き難さ」を織り交ぜながら、爆弾テロ事件の真相究明に果敢に挑む姿が描かれる。

率直な感想を言えば、私にはどうも乗り切れない作品だった。毒親とクリスマスを過ごすことに悶々と悩むホリーの私生活描写が、爆弾テロ犯追跡の緊張感を削いでしまい、どっちつかずの印象を覚えたのだ。事件捜査と主人公の私生活を並行して描くのはミステリの常套だが、本作のそれはあまりに紋切り型で、テンポの悪さとして響いてくる。

加えて、ホリーが単独で事件解決に乗り出し、結果として自分も仲間たちも危険にさらしてしまう展開も引っかかった。他人への過剰な気遣いゆえの単独行動という動機づけはキャラクターとして一貫しているのだが、読んでいると「だから言わんこっちゃない」と顔をしかめたくなる。またキングらしい生理的描写も、今回は物語的な必然性より不快感が先に立つ場面が目についた。

それでも、キングがこのキャラクターに惚れ込んでいるのは疑いようがなく、この後もホリーを主人公とした長編『Holly』と『Never Flinch』がリリースされており、翻訳版も順次刊行されるはずだ。今作で少々熱が冷めたのは正直なところだが、翻訳が出れば手に取るだろう——なにしろキングだから。

「ラット」

【STORY】念願の長編の構想が舞い降りてきた! 一気に執筆をするために山中の山荘にカンヅメになることを決めた大学教師だったが、嵐で山荘は孤立、ひどい風邪をひきこみ、朦朧とした意識のなかで奇怪なできごとを体験する……。  

零細作家が遂に長編小説の着想を得て、人里離れた山荘にこもるが、そこで異様な体験をする――というこの物語は、"『シャイニング』、『ミザリー』、中編「秘密の窓、秘密の庭」などの系譜に連なる、キングお得意の「作家をめぐる悲喜劇」"(編集者覚書)となる一作だ。同工の題材であっても料理の仕方でいかようにでも魅力的な展開を見せることができる――『ラット』はその好例となっている。

山荘にこもった作家の異様な体験が、タイトルのラット=ネズミとどう関わるのかは伏せておく。とはいえ、超自然テーマとしては既視感のある設定ながら、その落としどころは予想を気持ちよく覆してくれており、十分に不気味な気分にさせてくれる「キング・ホラー」であることは記しておこう。

併せて楽しめたのは、主人公作家とその妻とのやりとりだ。夫の考え方や行動を熟知し、常に先手を打って釘を刺す妻の周到さと、本音を見透かされていることに憮然としながら、でまかせとやせ我慢を並べ立てて自らの無謀さから目を背けようとする夫――この構図は意外なほど「夫婦あるある」であり、伊達に齢を重ねていないキングの観察眼がにじみ出ている。

作家を主人公にした物語がそのまま作者の自画像とは限らない。ただ、キングが作品を執筆する過程で生まれる葛藤や逡巡が、いくばくかこの物語に流れこんでいるのではないかと想像すると、ホラーを楽しみながら、ふとキング自身の書斎を覗いているような気分にもさせられる一作だった。

 

SFアンソロジー『星の海を駆ける 新世代スペース・オペラ傑作選 』を読んだ

星の海を駆ける 新世代スペース・オペラ傑作選 / ジョナサン・ストラーン(編)、中原尚哉・他(訳)

星の海を駆ける 新世代スペース・オペラ傑作選 (創元SF文庫)

20万年がかりの銀河周回の完了を祝うイベントで知らされる、驚愕の真実(ベラドンナの夜)、小惑星帯に隠れ住む巨大知的マシンのきょうだいはある日、謎のドローンに捕らわれ……(金属は暗闇の血のごとく)。19世紀末に原型となる作品群が現れてから130年あまり、ダイナミックな変化と進化をつづけるスペース・オペラをテーマに、アン・レッキー、アレステア・レナルズ、アーカディ・マーティーン、T・キングフィッシャーなど、近年のヒューゴー賞やネビュラ賞の受賞作家ら錚々たる面々が集結した、ローカス賞最終候補の傑作アンソロジー!

『星の海を駆ける 新世代スペース・オペラ傑作選』は、近年のヒューゴー賞やネビュラ賞を受賞した作家たち14人が集結した、現代スペース・オペラ短編アンソロジーである。アンソロジストは、これまで『創られた心:AIロボットSF傑作選』や『シリコンバレーのドローン海賊:人新世SF傑作選』を手がけたジョナサン・ストラーン氏。ローカス賞最終候補作としても注目を集め、壮大な宇宙冒険から内省的な人間ドラマまで、多彩な「新世代スペース・オペラ」14作品が収録されている。

スペース・オペラといえば、私のようなロートルSFファンにとっては、エドガー・ライス・バロウズやエドモンド・ハミルトン、E.E.スミスらが描いた、荒唐無稽でスケールの大きな冒険活劇のイメージが強い。しかし1970年代以降、フランク・ハーバートやラリー・ニーヴンらによって社会的テーマやハードSF的視点が取り入れられ、映画『スター・ウォーズ』の大ヒットによって一気に市民権を得た。その後、80〜90年代にはオースン・スコット・カードやダン・シモンズによって文学性が加わり、2000年代以降はジョン・スコルジーやマーサ・ウェルズの登場で、より多くのカジュアル層を取り込むようになった。

この流れは、同時にスペース・オペラというジャンルが大きく細分化・多様化したことを示している。本書でもその傾向が顕著だ。古典的なスペース・オペラのイメージとはかなりかけ離れた、個性的で実験的な作品が並んでいる。正直、「これもスペース・オペラと呼んでいいのか?」と首を傾げてしまう作品も少なくなかった。しかし本書の解説にある「人類が光速の限界を超え、大宇宙の彼方に飛び出す未来を描いた冒険小説」という定義に照らせば、どれも外れてはいないと言える。

全体の印象としては「多彩であると同時に、かなり好みが分かれる」というのが正直なところだ。面白さよりも、むしろ強烈な「風変りさ」や「異質さ」が強く印象に残る作品が多い。ここに描かれる遠未来の銀河世界では、社会も倫理も習慣も、そして人類の形態や生命観、思考そのものまでが大きく変貌しており、まさに「銀河世界という名の圧倒的な異世界」が広がっている。逆にそのせいで、描かれた世界が理解できるまでの最初の数ページが非常にとっつき難い作品も多かった。

造語を多用し、徹底的に「異質さ」を演出した社会形態が描かれる一方で、ゴシック調の銀河帝国、宇宙規模に拡大した宗教世界、LGBTQを軸にした物語、さらには古典スペース・オペラの現代的パロディなど、バラエティに富んだ作品が収録されている。結果として、本書は「懐かしい王道スペース・オペラをもう一度味わいたい」という人よりも、「現在のSFがどこまで進化し、どこまで異質な宇宙を描けるのか」を楽しみたい読者に向いている一冊だと感じた。

 

『諸星大二郎短編集成 (4) 砂の巨人』を読んだ

諸星大二郎短編集成 (4) 砂の巨人 / 諸星大二郎

諸星大二郎短編集成 4 砂の巨人 (ビッグコミックススペシャル)

画業55周年記念デビュー以来の短編を集成 「異能の作家」として手塚治虫をはじめ多くの作家からリスペクトを集め続ける鬼才・諸星大二郎氏の画業55周年を機に、「諸星大二郎短編集成」全12巻を刊行いたします。その唯一無二かつ、多彩なジャンルを越境する夢魔的な諸星短編を、原初から最新作にわたり集大成、単行本未収録もふくめて編年体でその全体像を捉えた、初の集成となります。 第3回配本は第4集。「ユニコーン狩り」「感情のある風景」ほか13編を収録。

諸星大二郎の画業55周年を記念して刊行されている『短編集成』(全12巻)の第3回配本は、1979年から82年の執筆時期のものを中心としている。デビューから10年を経た諸星だが、その力量は既に安定の極致であり、歴史幻想、ナンセンスギャグ、社会派寓話、そして叙情的幻想といったバラエティの豊かさも相変わらずで、十分に脂の乗った作品群を楽しむことができた。

タイトル作「砂の巨人」は、タッシリ・ナジェールの岩壁画をモチーフにした歴史幻想だ。サハラがまだ緑を持っていた時代を舞台に、部族の抗争、白い娘の運命、牛の時代から馬の時代への移行、そして砂漠化という地質学的規模の時間を、淡々とした叙事詩のタッチで描く。文化人類学的な根拠のある想像力が働いており、「それっぽい」神話ではなく「そうだったかもしれない」古代として読める強度がある。

「ロトパゴイの難船」はその前日譚に相当し、『オデュッセイア』の忘却の民ロートス喰いを取り込みながら、「砂の巨人」に残された謎を解く。二作をまとめて読むとき、後者のラストで前者の白い娘の行動が突然意味を持ち始める——その遅延カタルシスは諸星の構成力の真骨頂だ。

本巻の射程の広さは、この歴史幻想の重厚さとは対極に位置する作品群が同じ一冊に収まっていることで際立つ。「天崩れ落つる日」は崖上の巨石が落ちないと信じなければ暮らせない町の話で、宗教と集団心理の脆さを不条理ギャグとして昇華している。「復讐クラブ」は依頼者と標的の関係が逆転する皮肉な構造で、サラリーマン社会の怨念をブラックユーモアに変換する。「感情のある風景」は、内面の感情が幾何学図形として顔の横に浮かぶ惑星を舞台にしたSFで、SF的ギミックが感傷の容れ物として機能する——こういう使い方のSFに諸星は本来的に向いている。

怒々山博士シリーズのナンセンス「逆立猿人」、ディストピア的な集団抑圧を描く「蒼い群れ」、氷河期再来の世界で原始信仰が復権する「ラストマジック」、会社組織の幽霊的な孤独を突く「会社の幽霊」、巨大回虫が暴れ回る「陽はまた昇る」、そして日常の亀裂から突如として異界へ放り出される「砂漠の真ン中に」——様式も語り口もばらばらなこれらの作品が、しかしすべて「日常の論理が静かに狂い始める瞬間」を出発点にしており、その意味では一本の糸で繋がっている。

そして本巻の真の核心は「桃源記」だ。古代中国を舞台に陶淵明の「桃花源記」を下敷きにした本作は、不老長寿の実現した理想郷を描きながらも、期待通りの不気味でおぞましい物語へと暗転してゆく。完全だと思われていたものが何もかも溶解して地の底に引きづり下ろされ、醜悪で死臭に満ちた異形へと変わり果てる恐怖。主人公のアイデンティティ崩壊の仕掛けにも技巧が光っている。そして全ては虚無に還ってゆくのだ。諸星のコミック的達成として最も高い水準に達している作品だろう。「複数の作風を一冊に詰め込んだアンソロジー」が往々にして陥る散漫さを、この一作が引き受けて締める。

 

 

『BEM』/西部劇とSFでアメリカ神話をえぐる斎藤潤一郎の新境地

BEM/斎藤潤一郎

BEM (トーチコミックス)

斎藤潤一郎の新作『BEM』は、これまでの作品世界を大きく広げた重要な一冊だ。『死都調布』で郊外の不条理と虚無を描き、『武蔵野』で静かな旅の終わりを綴った作者は、今回は舞台をアメリカ全土へと移した。キャッチコピーが示す通り、本作は「侵略」ではなく「アメリカという神話そのもの」を描こうとする試みであり、斎藤らしい冷めた視線が貫かれている。

主人公はFBI捜査官ヘイドリアン。彼女は連続殺人事件を追いながら、アメリカを東から西へと横断していく。道中で出会うのは、残酷な死体や不可解な出来事、そしてどこか常識から外れた人物たちだ。骸骨のような刑事など、強烈なキャラクターが物語を彩る。表面上は80年代SF映画の雰囲気をまとったB級オマージュのように見えるが、斎藤の筆致はあくまで独自で、模倣にとどまらない。

本作の最大の特徴は「徹底した乾き」だ。事件が起きても登場人物はほとんど感情を見せず、ただ移動と遭遇を繰り返す。ブラックユーモアでさえ湿度がなく、笑った瞬間に虚無が残る。この乾いた感触は『死都調布』よりさらに研ぎ澄まされ、アメリカ大陸という広大な舞台でより大きな虚無感へと変化している。

物語の中心には、西部劇とSFの融合がある。ヘイドリアンの旅は、かつての西部開拓を現代に置き換えたような構造を持ち、州境を越えるたびに暴力や孤独が顔を出す。これはアメリカが歴史の中で掲げてきた「力による正しさ」の象徴でもある。一方で、エイリアン陰謀というSF的な異物がその構造を侵食し、アメリカ神話のロマンを冷徹に相対化する。栄光と暴力が切り離せないことが、物語を通して浮かび上がる。

この融合は、物語のテンションを大きく揺らす。前半から中盤にかけては説明をほとんど排したナンセンスが続き、読者は状況を掴みにくい。しかしアメリカ史に触れる場面になると、語り口が急に変わり、冷静で鋭い思想が差し込まれる。この落差こそが、斎藤の「拒絶の美学」を象徴している。

ヘイドリアンは、この構造を体現する存在だ。彼女は感情を排した観測者でありながら、同時にアメリカの歴史的運動を現代に引き継ぐ人物でもある。読者は彼女の視点を通じてアメリカ神話の内部に入り込みつつ、日本人作者の距離感によって外側からも眺めるという二重の体験をする。感情移入を拒む彼女の姿勢が、作品の批評性をより鋭くしている。

『BEM』は説明を避け、因果関係を丁寧に語らず、救いも提示しない。事件や風景、暴力が積み重なるだけで、その隙間に読者が意味を探す構造になっている。「すごいのは分かるが、何がすごいのか言語化しにくい」という読後感こそ、斎藤潤一郎の真骨頂だ。

本作は、『死都調布』で扱われた「力による再構築」というテーマをアメリカ大陸規模に拡大した集大成であり、同時に新たな出発点でもある。西部劇とSFを組み合わせ、アメリカ神話を乾いたユーモアと暗い影で描き切った稀有な作品で、斎藤ファンはもちろん、アメリカ文化に複雑な思いを抱く読者にも強く勧めたい。

 

 

『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』はどのようにして生まれたのかを描くバンドデシネ作品『ルーカス・ウォーズ エピソードⅡ』

ルーカス・ウォーズ エピソードⅡ / ロラン・オプマン (著), ルノー・ロッシュ (イラスト), 原 正人 (翻訳), 河原 一久 (監修)

ルーカス・ウォーズ エピソードII

大傑作『帝国の逆襲』完成までの壮絶なドラマを描くフランス版コミック、待望の第2弾! シリーズ屈指の名作『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』の制作の裏側と、映画監督ジョージ・ルーカスの知られざる苦闘を描く。 世界中で記録的ヒットを記録した一方で、その制作の裏側では、ジョージ・ルーカスにとって過酷な試練の連続だった。 膨大な資料を基に制作された本書は、これまで語られてきた『スター・ウォーズ』の伝説的エピソードを、ビジュアルとして体験できる注目の内容。

前作『ルーカス・ウォーズ』は、予想をはるかに超える一冊だった。ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』第1作をゼロから作り上げるまでの挫折と情熱を、コミックならではのダイナミックな作画と繊細な表情描写で描き切った傑作だ。フランス発のグラフィックノベルがこれほど深く人間ドラマに肉薄するとは思わなかった。

その続編がついに届いた。今作『エピソードⅡ』は、『スター・ウォーズ / 帝国の逆襲』の制作過程に完全フォーカスした続編である。オールカラー208ページ、徹底した資料に基づく人間ドラマ。読み終えた瞬間、またしても胸を熱くさせられた自分がいた。

物語は、第1作の大ヒット直後から始まる。激務に懲りたルーカスは続編の監督をアーヴィン・カーシュナーに委ね、自分はプロデューサーとして後方支援に回る。だが、独立資金調達という新たな重圧が待っていた。銀行とのシビアな交渉、予算の逼迫、スタッフ増大による内部混乱。「成功したはず」のルーカスが、再び破滅寸前の崖っぷちに立たされる皮肉な構図が、本作の通奏低音となっている。

この外部圧力が極限まで高まるのが、ノルウェーの氷河ロケだ。ホス星の雪原を再現するため、本物の吹雪の中で撮影を敢行する。「本物から始めると残りも本物になる」という信念が、文字通り命がけの現場を生み出していく。そこに重なるのが、撮影前にマーク・ハミルが交通事故で顔面を負傷していたという事実だ。冒頭のワンパ攻撃シーンとの連動を知ったとき、映画の「偶然と必然」について改めて考えさせられた。

そうした重圧の中でこそ、現場の人間ドラマは輝きを増す。セットの不具合に業を煮やしたハリソン・フォードが、元大工のスキルを活かして自ら修理するくだりは、彼の職人肌を象徴する場面として微笑ましい。カーシュナー監督との信頼関係、ローレンス・カスダンによる脚本作業、妻マーシア・ルーカスの支え。個々のエピソードが、巨大プロジェクトを支えた人間の網目として浮かび上がってくる。

さらに興味深いのが、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』誕生との並行ストーリーだ。スピルバーグが持ち込む荒唐無稽なアイデアをルーカスがことごとく却下しつつ、互いの情熱をぶつけ合う様子が描かれる。資金稼ぎのための商品化戦略、玩具ビジネス。ルーカスが「映画の夢」と「ビジネスの現実」の間で引き裂かれる姿は、外部との交渉場面と鮮やかに呼応している。

製作のクライマックスでは、外圧・人間ドラマ・創造的奮闘のすべてが収斂していく。ILMの特殊効果陣が革新的な技術で限界に挑み、ジョン・ウィリアムズが壮大な音楽で作品に魂を吹き込む。そして、ハン・ソロとレイアの別れのシーン。脚本にあった台詞をハリソン・フォードが「愛してる」「分かってる」に変えたことによるルーカスとカーシュナー監督との対立は、カーシュナー監督に軍配が上がる。あの名台詞は、崖っぷちの制作現場から生まれた即興だったのだ。

本作の核心は、「成功の後にこそ孤独は深まる」という逆説にある。第1作がゼロからの挑戦を描いていたとすれば、今作は達成の重さに押しつぶされそうになりながら走り続ける人間の姿だ。史実への忠実度は高く、読み終えると『帝国の逆襲』をもう一度観ずにはいられない。映画制作やクリエイティブの裏側に興味があるすべての人に、迷わず手に取ってほしい一冊だ。次巻エピソードⅢが今から待ち遠しい。

ルーカス・ウォーズ