センチメンタル・バリュー (監督:ヨアキム・トリアー 2025年ノルウェー・ドイツ・デンマーク・フランス・スウェーデン映画)

映画『センチメンタル・バリュー』は、ノルウェーのオスロを舞台に、15年ぶりに再会した父と娘が、愛憎の交差する過去の記憶を呼び覚ましながら、もう一度歩み寄ろうと苦心する家族ドラマだ。
【STORY】 オスロで活躍する舞台女優ノーラと、家庭を築く妹アグネス。そこへ、かつて家族を捨てた映画監督の父グスタヴが突然現れ、15年ぶりの新作の主演をノーラに依頼する。怒りと失望から拒絶するノーラだったが、代役にハリウッド女優レイチェルが起用され、撮影場所がかつての我が家だと知ると、抑えていた感情が再燃。過去と向き合う中で、親子の複雑な愛憎が浮き彫りになっていく。
主演は『わたしは最悪。』でカンヌ最優秀女優賞を受賞したレナーテ・レインスヴェ。父グスタヴをステラン・スカルスガルド、妹アグネスをインガ・イブスドッテル・リッレオース、そしてハリウッド女優役をエル・ファニングが演じる。監督は『オスロ、3月31日』などの「オスロ三部作」で知られるヨアキム・トリアー。スコアはハニャ・ラニが担当している。私が本作を観るに至ったのも、彼女の音楽のファンであり、興味を惹かれたのがきっかけだった。
さて、普段は銃弾と大爆発と死体しか出てこない映画ばかり観ている私だが、本作には深く心を動かされた。アーティストである父娘が15年分のわだかまりを抱えて再会する――一見特殊な設定だが、これも実は普遍的な「家族の物語」だ。家族を描く物語は、形こそ違えど、最終的には観る者の心にすとんと落ちる着地点を見出そうとするものなのだ。
世にごまんと存在する家族の物語が描く真理を、あえて一言で表現するなら「家族は面倒くさい」という事実に尽きる。なぜなら、現実の家族も等しく面倒なものだからだ。私たちは「幸せな家族」という完成形を夢想するが、実のところそんなものは存在しない。どの家庭にも大なり小なり軋轢があり、観客はその「他人の家の痛み」を眺めることで、逆説的に共感を得るのだ。
本作において、共感しやすいのは「捨てられた娘」の憤りだろう。一方、「家族を捨てた父」は決して許されない存在なのか。物語は、グスタヴの母(ノーラの祖母)がかつて自死していた事実を浮かび上がらせる。大戦中にナチスの拷問を受け、耐え難い心の傷を負っていた彼女もまた、自死という形で家族を「捨てた」一人だった。そこから透けて見えるのは、グスタヴ自身もまた、何らかの耐え難い抑圧を抱えていた可能性だ。
愛する家族を捨てるのは非道かもしれない。しかし人は時として、家族ですら切り離さざるを得ないほどの強烈な抑圧状況に至ることがある。それは、人間が「家族の一員」である前に、一人の「個人」だからだ。家族としての役割を求められる時と、個人でありたい時。このバランスを制御できなくなった瞬間、両者は破綻する。その舵取りを一生続けなければならないことこそが、家族の「面倒くささ」の正体ではないか。
劇中、グスタヴは娘をモデルにした脚本を携え、出演を懇願する。ノーラからすれば「ふざけるな」という話だが、彼にとってはそれが精一杯の愛情表現だったのだろう。不器用で無神経、しかし15年の空白を経てもなお娘を愛さずにはいられない。映画はこの途方もない行き違いを、2時間かけて修復しようと試みる。ああ、なんて面倒くさいのだろう。でも、家族とはそもそもそういうものなのだ。




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