『ピースメイカー シーズン2』『エイリアン:アース』『ザ・レジデンツ』など最近観終わった配信ドラマ

ピースメイカー シーズン2 (U-NEXT)

ジョン・シナが主演し、ジェームズ・ガンが総指揮を務めたDCEUドラマ『ピースメイカー』。そのシーズン2で描かれるのは、”有害な男らしさ”を体現した勘違いマッチョヒーロー、ピースメーカーの転落だ。己の愚行が裏目に出て全てを失い、人生の敗北者となってしまう。

強面で鍛え抜かれた肉体の大男が、自己憐憫に浸り、毎日めそめそと泣き言を繰り返す。その姿は哀れであると同時に、強烈な皮肉と滑稽さに満ちている。しかし、彼は仲間たちの献身的な愛情と助けによって立ち直り、再び自己を見つめ直すことになる。

このような痛切な人間ドラマを、DCEUの「コスチュームヒーロー」というフォーマットで描き切ったことこそが、シーズン2の最大のユニークさであり、面白さの源泉だ。

私がそこで感じたのは、この物語が、かつてディズニー時代にスキャンダルで苦渋をなめ、閑職に追いやられたジェームズ・ガン自身の、痛切な自己吐露ではないかということだ。ドラマで描かれる苦痛と孤独、そして再生のテーマは、当時のジェームズ・ガンが味わった苦難と、その後の再起とに重なって見える。

そして、その個人的な苦悩を、「コスチュームヒーローとはいったい何なのか?」という普遍的な問いの検証にまで昇華させた独創性こそが、本作を特別な作品にしているのだ。

エイリアン:アース (Disney+)

SFドラマ『エイリアン:アース』は、地球に持ち込まれたエイリアンを巡り、巨大企業ウェイランド・ユタニとプロディジーが繰り広げる虚々実々の駆け引きに、プロディジーが生み出した人造人間ハイブリッドが介入するという構図で幕を開ける。

物語序盤、原点である映画1作目『エイリアン』を彷彿とさせる緊張感あふれるシークエンスの数々は、シリーズファンとして大いに楽しむことができた。しかし、本作の核となるべきハイブリッドたちのキャラクター描写に、致命的な欠陥が残ったと言わざるを得ない。

彼らは「大人の体と能力を持ちながら、心は子供のまま」という設定を背負っているがゆえに、その行動原理は常に幼稚で、物語全体を停滞させる要因となっていた。彼らの「反乱」と呼ぶにはあまりにも曖昧な動機と、一貫性に欠ける行動には、見ていて深い歯痒さを覚える。

特に、シーズンラストの結末は、すべての伏線や対立構造が未消化なまま投げ出され、「これでシーズンフィナーレなのか」と唖然とする他なかった。主要な問題が一切回収されない、極めて不満の残る幕切れである。

もしシーズン2が制作されるのであれば、もはやハイブリッドたちの成長物語に固執するべきではない。ゼノモーフを野放しにし、彼らが持つ本質的な恐怖と破壊力を最大限に活かした展開、すなわち人類を滅亡の危機にまで追い込むような、原点回帰のサバイバルホラーを強く望む。

ザ・レジデンツNetflix

ホワイトハウスでの晩餐会中に発見された死体の謎に、天才探偵コーデリアが挑むというミステリードラマ。容疑者はなんと157人という、異色のユーモアミステリだ。

次々と現れる容疑者たちは誰もが怪しく、その複雑な相関図は見る者に混乱すら覚えさせるが、この構造こそがドラマの最大の魅力である。彼らの入り組んだ人間関係が「ホワイトハウスに勤めるということの真実」を鮮やかに浮き彫りにする構成は、極めてユニークだ。

本作は、ケイト・アンダーセン・ブラウワーの著書『使用人たちが見たホワイトハウス - 世界一有名な「家」の知られざる裏側』に着想を得ている。すなわち、ホワイトハウスの使用人たちの細分化され尽くした職務と、その裏で繰り広げられる複雑な人間模様を、ミステリーという形式に落とし込んで見せるのが、このドラマの核心的なテーマなのだ。

このテーマ設定自体がすでに非常に興味深いが、さらに特筆すべきは、登場する鼻持ちならない、嫌味な人間像が持つ皮肉なリアリティである。フィクションでありながら、「ああいった傲慢な人物は、現実に権力の中心には本当に存在するのだろう」と思わされてしまう、ある種の重みが、このドラマを単なるコメディミステリーに留めていない。

globalhead.hatenadiary.com

 

『プレイ・ダーティー』『第10客室の女』『キラー・ジーンズ』など最近観た配信映画

プレイ・ダーティーAmazon Prime Video)(監督:シェーン・ブラック2025年アメリカ映画)

マーク・ウォールバーグがダーティーな悪党を演じるアクション映画。ウォールバーグ好きなオレとしてはこれは観るしかないではないか(あのガサツな雰囲気が好きなのだ)。しかも監督は『ナイスガイズ!』『ザ・プレデター』『アイアンマン3』を手掛けたシェーン・ブラック、原作がリチャード・スタークによるクライム小説「悪党パーカー」シリーズだというからこれはもう身を乗り出してしまう。(「悪党パーカー」シリーズは以前にもジェイソン・ステイサム主演の『PARKER/パーカー』で映画化されている)。

物語は強盗団を率いる悪党パーカーが、巨額のお宝を強奪するため、ニューヨークの巨大犯罪組織と丁々発止の騙し合いと小競り合いを繰り広げるというもの。アクションはとことんハードでテンポはどこまでも小気味よく、仲間とのタフな会話で楽しませつつ、パーカーの冷徹さでゾクリとさせる。ちょっと殺し過ぎなんじゃないのか?と思っちゃうほどアッサリ簡単に殺してしまう非情さがこの物語の特徴だ。全体的に手堅い作りのアクション作品となっていて、決して退屈させられることがなかった。以前ならこのレベルのB級アクションがガンガン映画館でかかっていたものだが、今は普通に配信で公開なんだな。 

プレイ・ダーティー

プレイ・ダーティー

  • マーク・ウォールバーグ
Amazon

第10客室の女(Netflix)(監督:サイモン・ストーン2025年アメリカ映画)

Netflix映画『第10客室の女』は、取材のため豪華ヨットのクルーズに乗り込んだジャーナリストのローラが主人公のミステリー作品だ。彼女はある夜、第10客室から女が海に落ちるのを目撃するが、誰も信じないばかりか、消えた乗客は一人もいない事実を突きつけられる。ではローラの見たものは何だったのか?原作はルース・ウェアのミステリー小説で、なんといってもキーラ・ナイトレイが主演を務めているのが見どころだ。

豪華ヨットの客たちは尊大な金持ちばかりで、誰もが怪しく、誰もがいけ好かない。しかもローラは過去の事件でトラウマを抱えており、彼女自身も信用されていない。航行中の客船という密室スリラーとなる本作は、出だしこそなかなかにミステリアスであり、十分なサスペンスを観る者に与える。だが次第に事件の真相が明らかにされていくと、設定の粗さや乱雑な展開が目立つようになり、段々と白けていってしまう。ラストに至っては結局何がしたかったの?と思ってしまったほどだ。キーラ・ナイトレイの演技や存在感は素晴らしかったが、それ以外の面でお座なり過ぎて残念な出来となってしまっていた。

キラー・ジーンズ (監督:エルザ・ケプハート 2020年カナダ映画

『キラーコンドーム』、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』など、ホラージャンルにはトホホな「キラー」が襲ってくるホラーコメディが事欠かない。他にも『キラーソファ』や『キラー・マネキン』、『キラー・ナマケモノ』や『キラーカブトガニ』、『アタック・オブ・ザ・キラー・ドーナツ』などなど、一大「キラー」ジャンルが形成され、観る者を困惑させているのである。

さてその「キラー」ジャンルのホラー映画、『キラー・ジーンズ』である。お判りのようにジーンズが人を襲い死肉の血を啜る、という大変コワイホラー映画である。舞台となるのはファーストファッション店舗、ここに入荷したジーンズがなぜだか店員たちを襲い死体の山が築かれるのだ。まずファーストファッション店舗が舞台というのがユニークだ。ここの店員たちのキラキラしたカルトぶりにアパレル業界への皮肉が込められてる。いけ好かないファッションインフルエンサーが血祭りに遭うシーンは拍手喝采だ。そしてジーンズが人を襲う理由に、アパレル業界の第三世界における搾取構造が盛り込まれているといった着眼点が優れている。つまり社会派「キラー」ホラーなのだ。まあ観ていて面白いかどうかはまた別の話ではあるが。

キラー・ジーンズ(字幕版)

 

映画『マインクラフト/ザ・ムービー』:他愛ないが最高に楽しい娯楽作

マインクラフト/ザ・ムービー (監督:ジャレッド・ヘス 2025年アメリカ映画)

全世界売上本数3億本という”世界で最も売れたインディーズゲーム”『マインクラフト』。一言でいうと「すべてが四角いブロックでできた世界で、自由に遊び、創造する」サンドボックス型のゲームなのだが、オレ自身は遊んだことがない(メチャクチャはまりそうで逆に手が出せない)。

その『マインクラフト』をハリウッド実写映画化した本作だが、見るからに他愛なさそうなこの映画、実際観ても他愛のないものだったが、にもかかわらず実に楽しく観ることができた。内容はゲーム的な異世界に迷い込んだ主人公たちが冒険とバトルを繰り広げて現実世界に帰ってくるという、これまたありがちなものだが、だからこそ無邪気で無心に楽しむことができる。

同工のゲーム映画化作品『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が、観終わった後に何も残らないが最高に優れた娯楽作だったように、この作品も徹底して娯楽作である事だけにこだわっている。一見低年齢層向けの映画だが、登場人物たち全員がいわゆる「負け犬」であり、彼らが冒険を通して生きる意味を見つけてゆく過程は成人が見ても十分心に響くだろう。他愛がないにしろ、子供向けな誤魔化しが無いのだ。

これはファンタジー的な世界観でありつつゲーム準拠である「すべてが四角いブロックでできた世界」の光景があまりに珍奇で楽しく、『LEGOムービー』のような抽象化された世界の面白さがあるからだろう。もちろん、キューブを合成して新たなアイテムを創造するという、ゲームならではの描写もわくわくさせられる。

併せて、ジャック・ブラックジェイソン・モモアという、むさくるしいオッサン二人のとてつもない怪演とドタバタの極みを尽くした掛け合いの可笑しさが功を奏している。彼ら二人の「合体飛行」や突然巻き起こるミュージカル展開には、馬鹿馬鹿しさと同時に清々しさすら感じて、逆にこの二人の底力にとことん恐れ入る。ジャック・ブラックはあまりに“キマリ”過ぎているし、ジェイソン・モモアはあまりにおマヌケだし、そんな吹っ切れまくった演技に惚れ惚れさせられただけでなく、一人のオッサンとして「仲間に入りたい……」とすら思ってしまった。

また、Netflixドラマ『ウェンズデー』のエマ・マイヤーズ、DCコミックスドラマ『ピースメーカー』のダニエル・ブルックスの出演もファンとして嬉しい。『ナポレオン・ダイナマイト』『ナチョ・リブレ 覆面の神様』の監督ジャレッド・ヘスの、乗りに乗った演出も見どころだ。いやあ、ちょっとオレこの映画気に入っちゃったよ。


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映画『ミッキー17』:格差社会批判とファーストコンタクトテーマが複雑に絡み合う優れたSF作品

ミッキー17 (監督:ポン・ジュノ 2025年アメリカ映画)

映画『ミッキー17』は人類が他の惑星に植民する未来における、クローン人間の悲哀をコミカルかつシリアスに描いたSF作品だ。主演は『TENET テネット』『THE BATMAN-ザ・バットマン-』のロバート・パティンソン。『パラサイト 半地下の家族』『グエムル 漢江の怪物』のポン・ジュノ監督がメガホンをとっている。

【STORY】人類が地球を離れ、極寒の惑星「ニフルハイム」を植民しようとしている未来。ミッキー17(ロバート・パティンソン)は、“エクスペンダブル”と呼ばれる使い捨て要員。危険な任務で死んでも、記憶を転送された新しいクローン体として再生される。ある任務で行方不明になったミッキー17が帰還すると、すでに次のコピー“ミッキー18”が稼働していた。同一人物が二人存在することは規定により死を意味する。二人のミッキーは互いの存在理由を問い、支配的な植民地政府と、その搾取構造に反旗を翻していく。

率直に言って、映画『ミッキー17』には当初、あまり観る気が起きなかった。その最大の理由は、原作小説『ミッキー7』が、設定の穴、プロットの貧弱さ、紋切型の登場人物、そして陳腐で古臭いSFアイデアと、あらゆる面で魅力を欠いていたからだ。

こうした使い捨ての人間(エクスペンダブル)を題材にした物語は、根源的な格差社会のテーマを含んでおり、こういったテーマを好むポン・ジュノ監督が映画化するのは案の定と思えた。しかし、彼の作品に見られるアレゴリー(寓意)が時として明示的過ぎる点が個人的に肌に合わず、劇場公開時にはあえて敬遠していた。だが、後にサブスクリプションサービスで配信されたのを機に、興味本位で鑑賞してみることにした。

結果は驚くべきものだった。本作は非常に面白かっただけでなく、私にとってポン・ジュノ監督の作品の中で最も好意的に受け入れられた一本となったのだ。

ポン・ジュノ監督は、新キャラクターの追加などで原作の貧弱なプロットを大胆に補強し、ロバート・パティンソンをはじめとする魅力的な俳優陣を配することで、登場人物に深みを与えている。さらに、異星生物との「対話」というSFアイデアを新たに持ち込むことで、物語のテーマをより複雑に深化させた。これは、第一級の映画監督であるポン・ジュノの技巧が光る、まさに原作超えの作品と評する他ない。同じ原作に触れた者として、それをこれほど素晴らしい作品へと昇華させた監督の想像力と力量に、深く感嘆させられた。

確かに、原作が持っていた「不確かなアイデンティティ」というテーマは、ポン・ジュノ監督の十八番である格差社会批判や資本主義批判へと主軸がシフトしている。しかし、その象徴である資本家(マーク・ラファロ)を、グロテスクかつコミカルに戯画化することで、批判を嫌味なくソフトに表現している点が巧みだ。また、ミッキー17と16に微妙に異なるパーソナリティを与えるという設定も、ミッキーという存在自体に深みをもたらす重要な改変である。

最も評価すべきは、惑星の現地生物であるクリーパーの扱いだ。彼らを共生不能な敵性生物ではなく、対話可能な知的生命体として描くことで、本作を卓越したファーストコンタクトSF作品として成功させている。これらの原作への修正が、多様なテーマが複雑に絡み合う重層的な物語として、映画を格段に深化させているのである。

そして、SF映画としての「画(え)」の魅力も特筆すべきだろう。特に感心したのはクリーパーの造形だ。一見すると不気味な巨大芋虫だが、物語が進むにつれて段々と愛嬌が生まれ、のそのそと動く様子はタヌキやカピバラを思わせる。クライマックスにおけるクリーパーの大集結シーンの迫力は、SF的なスペクタクルに満ちていた。

映画『ミッキー17』は、ポン・ジュノ監督が、凡庸な原作を格差社会批判と知的なファーストコンタクトのテーマが複雑に絡み合う、最も魅力的で愛すべきSF傑作へと昇華させた、技巧と想像力に満ちた一本であった。

初デイキャンプは雨

こないだの10月11日土曜日、相方さんのかねてからの念願だったデイキャンプに同行してきました。

相方さんは最近車を購入したんですが、行動半径が広がったので今度はキャンプなどをしてみたい!とあれこれキャンプ用品をそろえていたんですね。それと、仙台出身の相方さんの「野外で芋煮をしたい!」という強い要望もあったんです。そしてキャンプ場も予約、友人のdoyさんもお誘いし、3人で初デイキャンプ!と楽しみにしていました。

とはいえ当日は台風の影響もあってか天気は小雨、初デイキャンプの滑り出しとしては少々残念ではありますが、雨なら雨のデイキャンプを体験してみよう!という前向きな気持ちで挑んできました。予約したキャンプ地は横浜にある「自然館泉・ベリーキャンプ場」。畑(↑の写真参照)に併設された形で作られたキャンプ場なんですね。

キャンプ地に着くと雨の中カタツムリがお出迎え。

雨除けのタープも張り準備万端です。「ここをキャンプ地とする!」

(※キャンプ場所は予め予約した場所です)

さっそく本日の主役である芋煮の調理にとりかかります。まずは火起こし、タープは張っていましたが雨の中大丈夫かなあ?と思っていたところ、芋煮マスターの相方さんが速攻で着火!伊達にン十年野外で芋煮を作ってない!

そして火にかけられる芋煮鍋!もうこれだけで大盛り上がり!

具材は予め下ごしらえしており、あとは煮るだけです。うおおお煮えてきた煮えてきた!

併せて”はらこ飯”も調理します。こちらはもう一回り小さい鍋で作ります。ここで賢明な読者諸君のために”はらこ飯”について解説しよう!(単なるGoogleAIです)

【はらこ飯とは?】

はらこ飯とは、秋から冬にかけて旬を迎える秋鮭といくらをふんだんに使った、宮城県の代表的な郷土料理です。鮭の身や煮汁で炊き込んだご飯の上に、ほぐした鮭の身と醤油漬けや煮付けにした鮭の卵である「はらこ」を盛り付けた丼で、特に宮城県亘理町が発祥の地とされています。

いい具合に出来上がったんでないの!?

そして遂に芋煮とはらこ飯の完成!どうですかなんだか豪勢に見えませんか!?完成を祝い3人でノンアルコールビールで乾杯し、熱々を頬張ります。はらこ飯は炊飯時間不足で若干お米の芯が残ってしまいちょっと残念でしたが、芋煮のほうは十分に火が通っていて実に美味しかったでした。やはり相方さんの尽力の賜物です(オレはあんまりたいしたことしていません)。

食後のコーヒーを淹れます。この時は既に薪が消えかけていてお湯を沸かすのが一苦労でしたが、みんなで火を扇ぎまくってなんとか沸かすことができました(まあオレは後ろで見ていただけなんですが……)。これはコーヒーを淹れるdoyさん。

というわけでコーヒーで一服。外で飲むコーヒーは美味しいですね(ええとオレはあんまりたいしたことをしていません)(この日のオレの担当はタープの天井に溜まった雨水を時々地面にジャバジャバと落とす「ジャバジャバ係」でした。あとはまあ……そんなもんかな!?)。

さて予定も一通り消化し、キャンプ用具や調理道具を片付けて撤収することに。雨のせいであれこれ濡れたり泥だらけだったりでこれは結構大変でした。雨は雨でいい経験になりましたが、今度は晴れた日に再チャレンジしたいですね!

キャンプの後、雨で濡れて体も冷えたので、みんなで銭湯にでも行こうか!ということになり、キャンプ地の近所に見つけてここで入浴。朝早くから動いていたので結構疲れていたんですが、お風呂に入るとこれがかなりリフレッシュできて正解でした。

そんなこんなで初デイキャンプを終え、doyさんをお家まで送り届け、帰路についたオレと相方さんでした。

(おしまい)

paseyo.hatenadiary.jp