北欧ミステリ『黄昏に眠る秋』を読んだ

黄昏に眠る秋/ヨハン・テオリン (著), 三角 和代 (翻訳)

霧に包まれたエーランド島で、幼い少年が行方不明になった。それから二十数年後の秋、少年が事件当時に履いていた靴が、祖父の元船長イェルロフのもとに突然送られてくる。イェルロフは、自責の念を抱いて生きてきた次女で少年の母のユリアとともに、ふたたび孫を探しはじめる。長年の悲しみに正面から向き合おうと決めた二人を待つ真実とは?スウェーデン推理作家アカデミー賞、英国推理作家協会賞受賞の傑作ミステリ。

スウェーデンのミステリ作家、ヨハン・テリオンによる『黄昏に眠る秋』は、20年前に幼い息子が行方不明になってしまった母が、ある証拠を切っ掛けに事件の真相に迫ってゆく、という物語である。

舞台となるのはスウェーデン南東、バルト海に浮かぶエーランド島。そして物語は”黄昏に眠る秋”から始まる。冒頭からタイトルと同様に感傷的な記述が続く。無理もない。主人公ユリアは20年前に行方不明になった息子イェンスの身をいまだに案じ、終わりのない心痛に苛まれ続けているからだ。そのユリアに療養所に入院する父イェルロフから一報が入る。事件当時イェンスが履いていた靴が無記名で送られてきたというのだ。20年経った今、なぜ?ここから母ユリアと老いた父イェルロフとの犯人捜しの旅が始まる。

ユリアとイェルロフの登場する”現代”のパートに度々差し挟まれるのが、遡る事数十年前、度重なる悪業により鼻つまみ者として周囲から嫌悪されていた男ニルス・カントの物語である。ニルスはエーランド島の領主の息子であり、それを鼻にかけて暴虐を繰り返していた。そんなニルスだったが、殺人事件を起こし島から逃亡する。

実は、イェンス行方不明事件の際、この犯人が島に帰ってきたニルスなのではないか、と疑われていたことがあった。だがそれは不可能だった。なぜなら、ニルスは既に死亡が確認され、エーランド島墓所に埋葬されていたからである。にもかかわらず、物語では執拗に逃亡する過去のニルスの描写が差し挟まれる。この構成は一体どういう理由によるものなのか?ニルスは生きているのか?行方不明事件に関わっていたのか?こうして謎を散りばめながら物語はじわじわと動き出してゆく。

物語は緻密で丹念な描写でもってじっくりとしたテンポで進んでゆく。600ページ余りある大部の書き込みは、ほとんどこの丹念な描写でもって費やされている。厳しい冬の訪れを予感させるエーランド島の陰鬱な自然、過疎化し空き家だらけとなり老人しか住まない町、その老人たちの古い記憶と忘れ去られた因縁、疎遠になった父と娘の心情。舞台となるエーランド島はいつも霧に覆われている。この物語も同様に、常に霧に閉ざされているかのように先が見えず、目の前に現れては消える影の正体は杳として知れない。そして主人公が息子を失ったのは、こんな霧の日だった。

このテンポはせっかちな読者や速読したい読者には向かないかもしれない。風雲急を告げるといった派手な展開は存在せず、矢継ぎ早に事件を繰り出し読者を引き留めるという事もしない。だがこのテンポに慣れてしまうと、自らも物語世界に存在しているような没入感を得ることができる。主人公らの心の襞に肉薄し、それによりそってゆくような描写は、常に移り変わってゆくエーランド島の気候も相まって非常に情感豊かであり、この作品の大きな特色となっている。

また、地方の過疎化、地方産業の移り変わりなど、スウェーデン社会の変遷に密接に関わった物語であることも特徴的だろう。死してなお伝説となる悪童ニルスの物語はどこか超自然の匂いをさせ、この作品のもう一つの色合いとなっていた。犯人捜しのミステリではあるが、その犯人を追うのが警官や探偵ではなく、力を持たず体すら弱い中年女性とその年老いた父、という部分においてもユニークな作品だろう。綿密な構成も含め非常によく書かれており、驚愕のラストまでしっかりと楽しむことができた。

 

 

熱く暗く痛くしつこいハードアクション映画『モンキーマン』を観た

モンキーマン (監督:デヴ・パテル 2024年アメリカ・カナダ・シンガポール・インド合作)

インドの架空の都市を舞台に、かつて母を殺し村を焼いた男への壮大な復讐劇を描いたスーパーハードアクション映画、それがこの『モンキーマン』だ。『スラムドッグ$ミリオネア』、『LION ライオン 25年目のただいま』、『グリーン・ナイト』のデヴ・パテルが監督・主演を務め、「ジョン・ウィック」シリーズの製作スタッフが参加、さらに『ゲット・アウト』、『NOPE/ノープ』のジョーダン・ピールがプロデュース。共演は『第9地区』のシャルト・コプリー、『ミリオンダラー・アーム』のピトバッシュ。

《STORY》幼い頃に故郷の村を焼かれ、母も殺されて孤児となったキッド。どん底の人生を歩んできた彼は、現在は闇のファイトクラブで猿のマスクを被って「モンキーマン」と名乗り、殴られ屋として生計を立てていた。そんなある日、キッドはかつて自分から全てを奪った者たちのアジトに潜入する方法を見つける。長年にわたって押し殺してきた怒りをついに爆発させた彼は、復讐の化身「モンキーマン」となって壮絶な戦いに身を投じていく。

モンキーマン : 作品情報 - 映画.com

監督と主演を務めたデヴ・パテルは、映画『アジョシ』、『オールドボーイ』、『ザ・レイド』から着想を得、そこに自らのルーツであるインドの風味を効かせた復讐アクションを撮りたかったのだという。暗く生々しい暴力、憤怒と流血に塗れた復讐劇は確かにこれら作品と共通しており、それは十分に成功している。インドを舞台としているが製作はアメリカ・カナダ・シンガポール・インドの合作となっており、インド産アクション映画に顕著な「無敵のスーパーヒーローが無重力殺法を駆使してスローモーション多用のアクションを展開」といった定型演出には決して堕していない。主人公は屈強ではあるが傷付き血を流し痛みを感じ、ボロボロになりながら戦い続けるその姿にカタルシスを感じさせるのだ。

非常に優れていると感じさせたのは、物語の舞台はインドではあるが、これがタイでもインドネシアでも韓国でも十分通用してしまう、根源的な情念や格差、暴力への渇望を描いている部分だ。また逆に、様々なアクション映画をベースにして構築された物語は、インド独特の混沌とした街並みや汚濁に塗れた社会、大いなる歴史を誇る宗教観に包み込まれることで、この作品ならではのカラーを持ち込むことに成功している。即ち根源的な物語性をインドというカラーで染めることで独自の物語としているのだ。強烈なエモーションに満ちた物語であると同時に暴力映画として高い完成度を誇っており、このジャンルのお好きな方の目にきっと叶う作品であるだろう。

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ジャズ・ドキュメンタリー映画『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』を観た

ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン (監督:ジョン・シャインフェルド 2016年アメリカ映画)

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ジャズ・ミュージックをちょぼちょぼと聴いているが、名前がよく知られていて、さらに取っつき易く親しみ易かったジャズメンといえばマイルス・デイヴィスビル・エヴァンス、そしてこのジョン・コルトレーンだろうか。

ジョン・コルトレーン(1926-1967)、アメリカ合衆国ノースカロライナ州生まれのモダンジャズを代表するサックスプレーヤーだ。1955年にマイルス・デイヴィスに見出されて以来、セロニアス・モンクとの出会いにより音楽的才能を開花させ、1959年、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』収録に参加、その後自身のレギュラーバンドを結成、数々の名作アルバムを残してきた男だ。

とか何とか言いつつ、オレにとってコルトレーンはピンとくる部分と来ない部分の差が激しいアーチストで、きちんと理解できているかどうか断言できない。例えばガチなファンの方からは笑われるかもしれないが、オレの一番好きなコルトレーンのアルバムは『Ballads』だったりするからだ。しかしジャズアルバムというものをそれほど沢山聴いたわけではないが、バラード形式のアルバムはこれが最強だとオレは勝手に思っている。次に好きなのはこれもベタだが『Blue Train』『Giant Steps』、でも傑作と名高い『A Love Supreme』はなんだかピンと来ないアルバムなんだよな。

バラード

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映画『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』はこのコルトレーンの半生を綴ったジャズ・ドキュメンタリー作品となる。

《作品紹介》ジャズ界史上最大のカリスマと称されるサックス奏者ジョン・コルトレーンの、短くも求道的な人生を描いたドキュメンタリー。わずか40年の生涯でありながら、ジャズのみならずアメリカ・ポピュラー音楽の歴史に多大な影響を与えたコルトレーン。レコーディングの機会に恵まれなかった不遇なキャリア初期、恩師マイルス・デイビスのバンドへの抜てき、薬物とアルコール依存症を乗り越え才能を開花させた1957年、そこから約10年間で数々の名盤を生み出していく姿を、コルトレーンに影響を受けたアーティストたちの証言や貴重な映像の数々を元に振り返る。

ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン : 作品情報 - 映画.com

コルトレーンについて思うのは、例えばマイルス・デイヴィスが紛う事なき天才であり、ビル・エヴァンスが英才教育を叩きこまれた秀才プレイヤーだとすれば、コルトレーンは誠心誠意でジャズに取り組む真面目一徹の努力家アーチストだということだ。優れた音楽家は誰もが皆努力家だとは思うが、コルトレーンも努力に努力を重ねて自分の音に辿り着いた人なんだろうと思う。

コルトレーンの真面目さがうかがえるエピソードは、若かりし頃は当時のジャズメンの御多分に漏れずドラッグ中毒になってしまうのだが、それを自力で更生し、さらにそうして生きることに感謝して精神的な世界に近づいて行ったことだろう。多くの有名ジャズメンがずるずるとドラッグ中毒を続け破滅していったのに比べると雲泥の差である。

コルトレーンは「聖人」と呼ばれることもあったそうだが、それは宗教的な部分とは別にその真面目さから来ているように思える。晩年も移動の最中さえ楽器の練習をしていたというのもそんな真面目さからだろう。映画では後半、日本でのコンサートツアーを行った際に、会場のあった長崎で真っ先に原爆記念館を訪れ、コンサートでは原爆被害者慰霊の為の演奏までしたという非常に感動的なエピソードが盛り込まれるが、これなどもコルトレーンの人となりを理解する素晴らしいエピソードだろう。

そういった、時として生真面目の領域まで達する真面目さが、コルトレーンの音楽にも反映されていると思えてならない。特に先に挙げたジャズ組曲『A Love Supreme』は、コルトレーンの「真面目一徹さ」から生まれたアルバムだろうと思うし、逆にその真面目さが、オレにはちょっと重く感じる部分でもある。それとコルトレーンの演奏は時として朴訥なストレートさのある音に聴こえることがあり、真っ直ぐに刺さって来るなあと思うのと同時に、真っ直ぐ過ぎて苦手に感じる瞬間もある。グチャグチャと書いたがそれほどジャズミュージックを理解していない人間の戯言としてご容赦願いたい。

それとこのドキュメンタリー、これまで観たブルーノートマイルス・デイヴィスビル・エヴァンスといったジャズ・ドキュメンタリー映画と比べると、「映画」としての完成度が相当に高い(他が低いわけでは決してない)。「映画」として楽しめるのでひょっとしたらコルトレーンを知らない方でも楽しめるかもしれないと思ったほどだ。アニメーションの使い方などちょっとした楽しさがあるのだ。

もう一つ、ジャズ・ドキュメンタリー映画はそこに登場する錚々たるジャズメン、音楽関係者の顔ぶれを見て楽しむ、という部分があるが、なんとこの『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』、元アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンが登場してコルトレーンの素晴らしさを語りだすのでびっくりさせられた。それと個人的にはザ・ドアーズのメンバー、ジョン・デンスモアが登場するのも嬉しかった。なお、劇中でコルトレーンの声を担当するのはデンゼル・ワシントンだったりもする。

 

 

ウィル・フェレル、ライアン・レイノルズ主演のApple TV+映画『スピリテッド』を観た

スピリテッド (Apple TV+映画) (監督:ショーン・アンダース/ジョン・モリス 2022年アメリカ映画)

Apple TV+配信映画『スピリテッド』はある人でなしの男がクリスマス・イブに4人の幽霊から戒めを受け、悔い改めよ!と迫られるというディケンズ小説『クリスマス・キャロル』を、現代を舞台にアレンジしたコメデイ作品。とはいえ現代的に一捻りも二捻りもしているところがミソ。

これも配役が豪華で、ウィル・フェレルライアン・レイノルズオクタヴィア・スペンサーらが出演している。さらに観始めて知ったのだがなんとこれがミュージカル作品、オリジナル楽曲は『ラ・ラ・ランド』『グレイテスト・ショーマン』の作詞、作曲を手がけたジャスティン・ポールとベンジ・パセックが担当しているのだとか。配信映画でミュージカルって結構珍しくないですか。そしてこのミュージカルシーンが吃驚するほどクオリティが高い。

亡霊ジェイコブ(ウィル・フェレル)は霊界で「魂救済チーム」の一員として働いていた。このチームはクリスマスイブが近付くと現世で悪辣な人生を送る者の前に現れ、その魂を更生させるのが仕事だった。今年選ばれた「救済すべき魂」の持ち主は、SNSに憎悪をばらまくメディア・コンサルタントのクリント(ライアン・レイノルズ)。しかし口八丁手八丁のクリントにジェイコブはまるで太刀打ちできない!?というのがストーリー。ウィル・フェレルライアン・レイノルズがボケとツッコミとなってドタバタを演じるのが楽しい作品だ。

良心についての物語ではあるが、それをストレートに物語ってしまうと説教臭いものになってしまう。しかしこの作品はそこをアレコレと弄って、捻くれた展開になっている部分が可笑しみを生み、さらに現代的なものとなっている。なにしろ説教される側のクリントに「俺ばかり責めるけどあんたはどうなんだよ?!」と切り返され、思わず自省し悶々としちゃうジェイコブが可笑しい。実はこのジェイコブ、生前はある隠された顔を持っていたのだ。

つまり「良心について説教垂れる者の良心とは?」という二段構えの構造になっており、それにより一つではなく二つの救済を描く部分で技ありの物語になっている部分が面白い。クリスマスがテーマだと子供向けだったり家族向けだったりするものだが、この作品はミュージカルシーンも含め大人向けのファンタジーコメディとなっていた。お勧めしたい良作です。


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マット・デイモン、ケイシー・アフレック主演のApple TV+映画『インスティゲイターズ 強盗ふたりとセラピスト』を観た

インスティゲイターズ 強盗ふたりとセラピスト(Apple TV+映画) (監督:ダグ・リーマン 2024年アメリカ映画)

食い詰め者の男二人が裏組織の立てた現金強奪計画に参加するが、計画があまりに杜撰なせいで事態が思わぬ方向へと悪化し大わらわ、というクライム・コメディ。Apple TV+配信映画。

【STORY】自暴自棄になっているローリー(マット・デイモン)と前科のあるコピー(ケイシー・アフレック)は、強盗を実行するために手を結ぶ。しかし、強盗は失敗。二人はローリーのセラピスト(ホン・チャウ)を巻き込み、警察や官僚、犯罪組織のボスの追っ手を振り払い、出し抜こうとする。

インスティゲイターズ ~強盗ふたりとセラピスト~ (2024):作品情報|シネマトゥデイ

主役を演じるのがマット・デイモンケイシー・アフレック、これに絡むのが「ミッション・インポッシブル」シリーズのヴィング・レイムス、『ヘルボーイ』のロン・パールマンなどの豪華キャスト、さらに監督が『ボーン・アイデンティティー』『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のダグ・リーマンというから興味をそそられ観てみることにした。

なにしろ裏組織による強奪計画がグダグダ過ぎて当然のごとく失敗する、という冒頭から既に脱力気味。観ているこちらも「強盗する気あんのかお前ら!?」とニマニマしながら突っ込んでしまうほどのしょうもなさなのだ。そんな中、「言わんこっちゃない」とボヤきながら逃走する主人公ローリー(マット・デイモン)とコビー(ケイシー・アフレック)の、これまた力の抜けたお惚けぶりが可笑しさを誘う。二人を執拗に追う特殊部隊員フランク(ヴィング・レイムス)はターミネーターばりの凶悪さで、多分体の中身は機械(違)。

一方タイトルにあるセラピストとはローリーのセラピスト、ドナ(映画『ザ・ホエール』でアカデミー賞ノミネートの女優ホン・チャウ)のことだが、途中ローリーとコビーの逃走を不承不承助けることになり、余計な提案をして混乱をさらに加速させる。こんな具合に登場人物の行動に常に「しょうもねえな……」と呆れ返りながら付き合うのがこの映画の面白さだ。ダグ・リーマン監督作とはいえアクションは控えめ、むしろ俳優たちの醸し出す気易くて和気あいあいとしたケミストリーが楽しさへと結びつく、そんな作品だった。


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