北欧ミステリ『刑事マルティン・ベック ロセアンナ』を読んだ

刑事マルティン・ベック ロセアンナ/マイ・シューヴァル (著), ペール・ヴァールー (著), 柳沢 由実子 (訳)

刑事マルティン・ベック ロセアンナ (角川文庫)

全裸女性の絞殺死体が、閘門で見つかった。身元不明の遺体に事件は膠着するかに見えた折、アメリカの地方警察から一通の電報が。被害者と関係をもった男が疑われるが――。警察小説の金字塔シリーズ・第一作

スウェーデンのミステリ作家コンビ、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーが手がけた「刑事マルティン・ベック」シリーズといえば北欧ミステリを語るうえで避けては通れない有名作であり人気作だ。後続作家への影響は計り知れず、映像化作品も多数存在する。シリーズは全10作で完結しており、今回読んだ『ロセアンナ』はそのシリーズの第1作として書かれ、1965年に発表された作品である。

物語は河川から女性の絞殺死体が発見されるところから始まる。ストックホルムの殺人課主任マルティン・ベックは早速捜査に乗り出すが、被害者の身元は杳として判明せず、犯人の確証となる証言も証拠も得られず、ただ時間だけが過ぎてゆく。しかしマルティン・ベックは砂漠から一粒の砂を探し出すような粘り強い捜査をし続け、遂に被害者の身元に関する情報を得られることになる。

「刑事マルティン・ベック」シリーズ第1作となる『ロセアンナ』は、スウェーデン・ミステリの礎ともなった作品だけあって、いかにもスウェーデン・ミステリらしい構成になっている。それは個性的な主人公像であり、作品世界のリアリズムであり、同僚たちとのチームワークであり、ちょっとしたユーモアであり、スウェーデンの社会的背景を基にした物語である、といった点だ。

現在のスウェーデン・ミステリでは当たり前のことではあるが、「刑事マルティン・ベック」シリーズが刊行された時、これらは非常に斬新な要素だったのだという。逆にそれまでのスウェーデン・ミステリはマッチョなヒーローが活躍する作品が中心だったのらしい。こういった点で、今読むと「普通かな」と思ってしまう展開も無きにしも非ずなのだが、作品それ自体の持つ強固で綿密なプロットは今でも十分に読ませるものがある。

なによりこの作品の大きな読みどころとなるのは、主人公マルティン・ベックの、虚仮の一念とも呼ぶべき執念の様だろう。捜査がまるで進展せず、被害者の身元も事件の真相も明らかにならない中、それでも彼は石に齧りつくかのように地道に捜査を続けるのだ。マルティン・ベックは刑事として優秀ではあっても、切れ者だったりマッチョだったり快刀乱麻に事件を解決するヒーローではない。ただの草臥れ切った中年刑事なのだ。その彼がたたひたすらコツコツと事件の糸口を探す様が非常にリアルであり、それが物語それ自体のリアルさへと繋がっているのだ。

そういった地道な捜査の在り様を退屈にさせず、むしろ一定の緊張と興味深さで読ませる筆致こそが作者の力量であり、10作ものシリーズへと続いた魅力でもあるのだろう。決して派手さのない、むしろ「ありふれた凶悪犯罪」を描いたものであるにもかかわらず、その絶妙なバランス感覚により傑作たらしめているのがこの作品だ。

 

ジャズ・ドキュメンタリー映画『マイルス・デイヴィス クールの誕生』を観た

マイルス・デイヴィス クールの誕生(監督:スタンリー・ネルソン 2019年アメリカ映画)

マイルス・デイヴィス クールの誕生 [Blu-Ray]

マイルス・デイヴィスから始まったオレのジャズ音源漁りだが、色々なアーティストのアルバムを一通り聴いて、そしてまたマイルスに戻ってきた感じである。だから今、マイルスの音源ばかり聴いている。こうしてみるとジャズ界においてマイルスがいかに特別な存在だったのかが以前にも増して理解できる気がする。そんな「ジャズの帝王」、マイルス・デイヴィスの半生に迫ったドキュメンタリー映画がこの『マイルス・デイヴィス クールの誕生』だ。

《作品案内》「クールの誕生」「カインド・オブ・ブルー」「ビッチェズ・ブリュー」といった決定的名盤で幾度となくジャズの歴史に革命をもたらし、ロックやヒップホップにも多大な影響を及ぼしたマイルス。常に垣根を取り払い意のままに生きようとした彼は、音楽においても人生においても常に固定観念を破り続けた。貴重なアーカイブ映像・音源・写真をはじめ、クインシー・ジョーンズハービー・ハンコックといったアーティストや家族・友人ら関係者へのインタビューを通し、マイルス・デイビスの波乱万丈な人生と素顔に迫る。

マイルス・デイヴィス クールの誕生 : 作品情報 - 映画.com

才能に満ち溢れた若き日のマイルスは、それはもう神々しいばかりで、真の天才とはどういうものなのかが如実に伝わってくる。飛ぶ鳥を落とす勢いのマイルスはなにしろクールでヒップで格好良くて、スターのオーラが出まくっていた。しかしショックだったのは、『Kind of Blue』の発表により押しも押されぬスターとなったマイルスを、警邏中の警官が黒人であるという理由だけから暴行し逮捕したという事件だ。これには本当に唖然とさせられた。あの「音楽世界遺産」とも呼ぶべき作品を生み出したばかりの男を、警官が血塗れになるほど殴りつけただと?人間の愚かさには限度というものが存在しないのだな、とこれにはつくづく絶望させられた。

KIND OF BLUE

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当然マイルスもアメリカという国に大いに絶望してフランスへと渡る。そこでマイルスはジャズ好きのパリっ子たちに賞賛で迎え入れられ、大いに活躍し様々な出会いを経験する。ジャズの生まれたアメリカでマイルスが人種差別を受け、ヨーロッパの異国で大スターとしてもてはやされる、というのはなんと皮肉なことなのだろう。しかし当時のヨーロッパにおけるジャズ熱は相当なものだったらしく、そもそもジャズ・レーベル、ブルーノート・レコードを立ち上げたのもジャズを愛するドイツ移民の人間たちだったりするのだ。少なくとも50年代において、アメリカ人よりもヨーロッパ人のほうが文化や芸術というものを理解していたということなのだろう。

マイルス後期といえば生楽器主体のジャズサウンドからエレクトリックサウンドを多用した演奏形態にシフトチェンジした エレクトリック・マイルス期だろう。問題作『Bitches Brew』がその代表作となる。

BITCHES BREW

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エレクトリック・マイルスへの移行は、ジャズを知り尽くしたマイルスがジャズの殻を破り、新たな地平に立とうとした結果だろう。とはいえ、同時にロック世代をファンに取り込み、ロック絡みの大イベントに出演することで経済的に潤うことが目的だったことも遠回しに語られていて、ちょっとニンマリさせられた。というかマイルスほどのジャズメンでも、ロックバンドほど儲からなかったのらしい。そういえばオレにとってのマイルス・デイヴィスのイメージは、派手なコスチュームと派手なサングラスをまとったこの後期のものなのだが、これはこの頃に日本のTVCMに出演していたからなのだろう。

実は映画で最も心を奪われたのは、この晩年のマイルスの姿だ。歳月は彼から健康と才気を奪い、困窮とドラッグが彼を苛む。マイルスでさえ年老いることの残酷さから逃れることはできない。真の天才でありながらこんな形で辛酸を舐めなければならないというのはなんと悲劇的なことなのだろう。けれども、こうしてボロボロになりながらも、音楽への探求を止めず、もがき続けるマイルスの姿が胸に迫るのだ。それは運命に抗おうとギリギリの場所に立つ男の姿だったからなのだろうと思う。

 

女性初の英仏海峡水泳横断を果たした実在の水泳選手を描くDisney+映画『ヤング・ウーマン・アンド・シー』が素晴らしかった

ヤング・ウーマン・アンド・シー (Disney+映画)(監督:ヨアヒム・ローニング 2024年アメリカ映画)

オレはスター・ウォーズ新3部作が好きではないが、しかしただ1点、主人公レイを演じたデイジー・リドリーは、新人だったにも関わらず存在感のある素晴らしい演技を見せてくれていたと思っている。そのデイジー・リドリーが主演したDisney+配信映画『ヤング・ウーマン・アンド・シー』は、女性として初めて英仏海峡を泳いで渡ることに成功した実在の水泳選手トゥルーディ・イーダリーの半生を描いたドラマだ。そしてこれが、SWを超えたデイジー・リドリーの新たなる代表作だと言えるほど素晴らしかった。

物語は1905年、アメリカ・ニューヨークから始まる。ここで生まれ育ったトゥルーディ・イーダリーは年少時から優れた水泳の才能を見せていたが、当時はまだ「女性が泳ぐ」ということすら一般的ではなかった。家族の強い支えもあり1924年パリオリンピックに出場も果たすが、「女性である」というだけで影の薄い取り扱いだった。そして彼女は遂に「女性には不可能」と言われた英仏海峡水泳横断に挑戦する。監督は『マレフィセント2』『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』のヨアヒム・ローニング。

物語の大きなテーマとなるのは男性優位社会における女性蔑視と女性差別、そのような社会の中で決して圧殺されることなく自らの力を発揮したいと願う女性たちの思いである。映画で描かれるトゥルーディの扱いは実に惨いものだ。水着を着ればふしだらと言われ、オリンピックでは添え物扱いで練習すらさせてもらえず、英仏海峡横断を宣言すれば冷笑を持って迎え入れられ、海峡横断が始まると妨害行為まで為される始末なのだ。男は、女の優位を認めたくないのだ。しかしこれら醜悪な差別と無理解の只中に在ってもトゥルーディは決して負けない。決して諦めない。この強烈な意志の強さになにより感銘を受ける物語なのだ。

同時に、撮影が美しく、音楽の素晴らしい映画だった。水中撮影は迫真的であり、水の冷たさや沈溺の危険性がありありと迫って来る。トゥルーディを演じたデイジー・リドリーの凛とした表情と困難をものともしない毅然とした態度には強い共感を覚えさせる。トゥルーディを支える家族の愛と信頼の篤さも忘れてはいけない。娘を愛するが故に徹底的に応援する母親の頑固さ、娘を愛するあまりに水泳に否定的な父親の頑固さ、この頑固な親同士の対立もどこか微笑ましい。愚劣な男性社会にあってもトゥルーディに絶対の信を置き強烈にサポートし続ける男性たちの姿もまた頼もしい。

英仏海峡水泳横断と一言に言うが、これは直線距離を泳ぐのではなく、潮流の流れを考慮して大きくジグザグに泳がなければならない。これだけでも遊泳距離が増えてしまうのだ。さらにクラゲの大群の襲来、浅瀬による船舶サポートの不能、そして目印の無い夜間水泳の恐怖、ありとあらゆる困難がトゥルーディを襲う。それでも彼女は泳ぎ続けることを止めない。そして訪れる圧倒的なまでのラストに誰もが胸を締め付けられることだろう。Disney+の配信映画でここまで心揺さぶられるとは思わなかった。良作です。

 

 

北欧ミステリ『殺人者の顔』を読んだ

殺人者の顔 /ヘニング・マンケル (著), 柳沢 由実子 (翻訳)

殺人者の顔 (創元推理文庫) (創元推理文庫 M マ 13-1)

CWAゴールドダガー受賞シリーズ/スウェーデン推理小説アカデミー最優秀賞受賞】 雪の予感がする早朝、動機不明の二重殺人が発生した。男は惨殺され、女も「外国の」と言い残して事切れる。片隅で暮らす老夫婦を、誰がかくも残虐に殺害したのか。燎原の火のように燃えひろがる外国人排斥運動の行方は? 人間味溢れる中年刑事ヴァランダー登場。スウェーデン警察小説に新たな歴史を刻む名シリーズの開幕!

ヘニング・マンセルはスウェーデンの作家(2015年没)。物語はスウェーデンの田舎町に住む老夫婦が何者かに残虐な方法で殺害されるところから始まる。主人公クルト・ヴァランダー刑事は捜査に乗り出すが、被害者が「外国の……」という言葉を最後に残したことが外部に漏れ、外国人排斥運動が巻き起こってしまう。

特筆すべき点は3つ。1つ目は主人公と仲間の警察官との密な捜査連携が巧みに描かれていること。これにより捜査の様子がリアルかつダイナミックに伝わってくる。さらに警察捜査がチームワークで成り立つものであることが明確にされている。主人公一人のスタンドプレーで事件が解決するといった内容ではなく、これは新鮮だった。捜査は時に暗礁に乗り上げるがテキパキと小気味よく描かれ、本作の醍醐味となっている。

2つ目はスウェーデンの在留外国人問題が浮き彫りにされていること。スウェーデンは人口の五分の一が移民ないし帰化人となっているのらしく、治安や就労といった面で執筆当時はこれが大きな問題となっていたのらしい。物語では被害者の言い残した言葉がミスリードをもたらすものなのかどうなのか判然としない部分で最後まで引っ張ってゆく。

3つ目は主人公の描かれ方。ヴァランダー刑事は警察官として非常に有能であるが私生活は乱れており、離婚や不摂生や父親の健康問題などでいつも思い悩む。さらに性格は短気でむらっ気が強く、始終問題を起こして自責の念に駆られている。主人公のこの性格は読んでいて最初うんざりさせられたが、物語全体に強いコントラストを与えていることが次第に理解できるようになってきた。

こういった、社会問題と主人公の葛藤、事件の残虐さをひっくるめつつ進行してゆく物語であるという点で、実に北欧ミステリらしい構成の作品だった。

 

『デッドプール&ウルヴァリン』は下品でオチャラケだけど実は「負け犬の起死回生」を描いた映画なのだと思う。

デッドプールウルヴァリン (監督:ショーン・レビ 2024年アメリカ映画)

デッドプール』最新作はウルヴァリンが登場!

喋くりお騒がせヒーロー、デッドプールの劇場映画第3弾はマーベルヒーロー『X-メン』の「荒ぶる長爪野郎」、ウルヴァリンとの共演作である。方やダーティオチャラケキャラ、方や悲壮なる孤高の戦士、デッドプール股間モッコリを強調すればウルヴァリンは眉間に皺寄せ咆哮する!この月とすっぽん、水と油、鯨と鰯、提灯に釣り鐘、雲泥万里なヒーロー二人が出会ったとき、いったい何が起こるのか!?という映画が『デッドプールウルヴァリン』(以下『D&W』)だ!?主人公デッドプールライアン・レイノルズウルヴァリンヒュー・ジャックマン。監督は『フリー・ガイ』『アダム&アダム』、ドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のショーン・レビが務めた。

【STORY】不治の病の治療のために受けた人体実験で、自らの容姿と引き換えに不死身の肉体を手に入れた元傭兵のウェイド・ウィルソンは、日本刀と拳銃を武器に過激でアクロバティックな戦闘スタイルのデッドプールとして戦いを続けてきた。戦う理由はあくまで超個人的なものだったが、そんな彼が世界の命運をかけた壮大なミッションに挑むことになってしまう。この予測不可能なミッションを成功させるため、デッドプールウルヴァリンに助けを求める。獣のような闘争本能と人間としての優しい心の間で葛藤しながらも、すべてを切り裂く鋼鉄の爪を武器に戦ってきたウルヴァリンは、とある理由で、いまは戦いから遠ざかっていたが……。

デッドプール&ウルヴァリン : 作品情報 - 映画.com

今度は《マルチバース》展開だ!

デッドプールウルヴァリン、人気ヒーロー二人が肩を並べるこの映画だが、とはいえウルヴァリンって2017年公開の映画『LOGAN/ローガン』で壮絶なる死を遂げたはずじゃなかったっけ?と思ったあなたは立派なスーパーヒーロー映画ファンだ。そう、確かにウルヴァリンは死んでいた。この世界では。しかし今作に登場するウルヴァリンは、例のあの《マルチバース》世界、即ち多次元宇宙の別の世界から連れて来られらたウルヴァリンだったのだ。コスチュームが変わってるのはその辺の理由なんだね。そう、今作はここ最近MCU映画で展開している《マルチバース》テーマ作品の一環だったという訳だ!

マルチバース》が持ち込まれていることから映画『ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス』や『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のように多次元世界に住んでいる筈のアレやらコレやらのヒーローが山のように登場するのがまずはお楽しみだ!ネタバレは避けるが「嘘だろオイ!?」と驚愕し狂喜させられるキャラクターの登場が目白押しなので、自分の目で確かめたい人は直ぐにでも観に行くのが得策だ!あんなキャラこんなキャラの登場で映画は既にお祭り状態であり、これを堪能する為だけでも観る価値のある作品となるだろう。

マルチバース》だろうがなんだろうがやっぱりハチャメチャ!?

そしてもう一つの《マルチバース》作品、ドラマ『ロキ』の根幹となる特殊機関《TVA》がこの作品の重要なファクターとなる。物語ではこの《TVA》が暗躍し、『ロキ』におけるとある「特異時間点」が『D&W』のメイントとなる舞台だからだ。ここにおける『マッドマックス』パロディともいえる展開はファンをニヤリとさせるだろう!《マルチバース》や《TVA》、さらに「神聖時間軸」という概念はここ最近のMCU映画をややこしく分かり難くカッタルイものにした感は無きにしも非ずだが、ことこの『D&W』においては「なんでもアリのハチャメチャな賑やかさ」を持ち込むことに成功し、愉快で奇想天外な世界になっているんだ。このハチャメチャさは今作を監督したショーン・レビの『フリー・ガイ』に通じるものを感じたな。

そしてなんといっても見所はデッドプールウルヴァリンの暴力と流血に塗れた掛け合い漫才展開だろう!オチャラケの過ぎるデッドプールに瞬間湯沸かし器のウルヴァリンがブチ切れ、殺し合い以外の何物でもない大喧嘩が勃発するが、なにしろ二人とも不死身なので勝負がつかない!そりの合わないこんな二人が喧々諤々としながら、強大な敵を殲滅するために次第に共闘してゆく様がわくわくさせられるのだ。今作における最凶ヴィランの名はカサンドラ・ノヴァ、とある超強力スーパーヒーローの双子の妹となるが、デッドプールウルヴァリンの力を持ってしても太刀打ちできない凄まじいパワーを操る存在なのだ。

「負け犬の起死回生」を描いた物語

このように見所満載の『D&W』だが、単にアクションやキャラの楽しさだけで魅せる物語では決してない。例えば『デッドプール』第1作の本質的なテーマが「なけなしの愛」であり、『デッドプール2』のテーマが「真の友人の存在」であったように、この『D&W』のテーマとなるのは「負け犬の起死回生」なのだ。

デッドプールは不死身の肉体と超絶的な戦闘能力を持ちながら、実のところアベンジャーズにもX-メンにも混ぜてもらえないはみだし者でしかないことに気を病んでいた。デッドプールは世界の平和なんかどうでもいいシニカルでニヒリスティックな超個人主義者であり、それがこのヒーローの最大の魅力だったが、ここにきて「自分は結局何物でもない」というアイデンティティクライシスを起こしてしまうのだ。おまけに彼女の愛が揺らいでいると早合点し、世界と自分を繋ぎ止めていたものがグズグズと崩れてしまうのだ。こうして「最強のダーティヒーロー」であるはずの彼は自らを「負け犬」と思い込んでしまうのだ。

愛されもしない、望んでいた社会にも帰属できないという孤独、そこから生まれる自らが「負け犬」でしかないという自己否定感。これはスーパーヒーローの物語でも何でもなく、心を病んだ一人の男の魂の咆哮の物語に他ならない。その中で世界の危機を知ったデッドプールは、世界を救うとか地球を救うとか主語の大きい目的のためでなく、自らの孤独な生を贖ってくれた「真の友人たち」のためだけに、なけなしの力を振り絞ろうとする。しかし相手は不死身の彼もウルヴァリンでさえも太刀打ちできない最強最悪の敵なのだ。

けれどもデッドプールは戦いを止めない。それは、もう彼は「負け犬」であることに飽き飽きしていたからだ。映画『デッドプールウルヴァリン』は、下品でオチャラケた内容を持ちながらも、一人の人間がどう生きるのか、生きたいのか、その根幹を描いた物語でもあると思うのだ。