『シン・仮面ライダー デザインワークス』がとても充実していた

シン・仮面ライダー デザインワークス/企画:庵野秀明 監修:石森プロ、東映

シン・仮面ライダー デザインワークス ([バラエティ])

本書は、『シン・仮面ライダー』に登場する、仮面ライダーやオーグ等のキャラクター、サイクロン号をはじめ、小道具、衣装、美術セット、タイトルロゴ等主要アイテムのデザイン画、造形物、CGモデルなどの「仕事」を厳選して掲載。 これらの「デザイン」を鑑賞する画集・写真集であり、アイデアから姿形が定まるまでの「進化」の過程を追う記録集です。

主な収録内容 ・主要デザイナー、スタッフらによるデザインワークスを掲載。 出渕裕/前田真宏/山下いくと/柘植伊佐夫/林田裕至/白組/カラー・デジタル部/庵野秀明 ほか

映画『シン・仮面ライダー』はかなり好きな映画だ。庵野が関わってきた「シン・シリーズ」の中でも、監督での参加ということで庵野の拘りが最も顕著に顕れた作品だと思う。ストーリーやアクションに難があるという批評もあるが、その指摘はおそらく正しいのだとしても、オレがこの映画に求めていたのはそこではなくて、映画を観ている最中にそういった瑕疵は殆ど気にならなかった。オレが『シン・仮面ライダー』に求めていたもの、それはスクリーンに立ち現れるライダーの雄姿であり、それを含む「シン・仮面ライダー」という世界観だった。そしてその世界観は、多くはデザインの秀逸さ・面白さによるものが多かったと思っている。

『シン・仮面ライダー デザインワークス』は映画に登場するキャラクター、衣装・小道具などの膨大かつ多岐に渡るデザインを、その初期設定から始まり決定稿に至るまでの経過を含めて全て網羅したデザインワーク集である。仮面ライダーにしても敵オーグにしても最初の設定案を叩き台としながらそれぞれに異なる様々なデザインが並べられ、試行錯誤が繰り返され、非常に細やかな微調整と修正が成され、そして映画で見ることになる形へと決定されてゆく。その経緯を眺めるのは、監督である庵野がどう取捨選択しどういう理由において決定としたのか、その「庵野的オタク美意識の流れ」を読み解く、といった部分に於いても面白いのだ。

実はこうしてこのデザインワークを眺めていると、どのデザイン案も秀逸で、デザイナーたちの並々ならぬ才能が伺われるが、その中で何故このデザインは没だったのか、なぜこのデザインではなくてこれが決定稿となったのか、そういったことを考えながら眺めるのがとても面白い。いやオレだったらこっちのデザインだけどな!などと素人考えで首を傾げたりする。

実際、ライダーとサイクロン周辺のデザインは文句なしなのだが、こと敵オーグとなると、映画に登場したデザインはどれもごちゃごちゃとし過ぎではないか?クモオーグは完成されていると思うが、他の敵オーグは色彩とデザインがうるさ過ぎてあまり美しくないのだ。そういった不満をこのデザインワークにおけるデザインで確認してみると、決定したデザインはよかったとしても、映画画面の中で動かすと訳の分からないものとなってしまったと思えるのだ。こうして庵野のやりたかったこととできなかったことが分かってきたりもする。そういった部分でも面白い記録集だった。

 

『キル・ビル』の青葉屋の元となった西麻布権八に行ってきた

オレはタランティーノ映画が大好きで、タランティーノ映画のディスクを全部揃えて部屋のDVD棚の一番いい場所に並べてあるぐらいです。どれが一番好きかって言うと悩んじゃいますが、その中でも『キル・ビル』は特に好きな作品の一つですね。

その『キル・ビル』の「Vol.1」で、主人公であるザ・ブライドとオーレン石井率いるクレイジー88、そしてGOGO夕張が大立ち回りを演じる日本料理屋のシーンがありましたよね。この日本料理屋・青葉屋には実はモデルがあって、それはタランティーノが来日した際に訪れた西麻布の権八という店なんですね。

とはいえそんな事実を知ったのは実はついこの間なんですが、『キル・ビル』好きのオレとしては是非行ってみたい。そんな事を思いつつTwitterで「キルビルがー」とか呟いたらネットのお友達であるdoyさんがすぐさま反応し、「西麻布権八行きますか!」と電光石火のお誘いが来たんですよ。いやもうこれは渡りに船、早速予約を取ってもらい馳せ参じることと相成りました。

この日の参加はオレと相方さん、doyさんとdoyさんの愛娘の女子大生マーリーちゃん、そしてdoyさんのお友達で、Webサイト「Weekly Teinou 蜂 Woman」と「On-line SHOP はちみせ」を運営されている土屋アソビさんも来てくれることになりました。土屋さんとは初対面なのですが、実はオレ結構ファンだったものですから嬉しいやら緊張するやら。

という訳で西麻布権八です。まず入り口はこんな感じ。

そして中に入り二階に上がると、はい、これです!

おお、まさにザ・ブライドがクレイジー88を血祭りに上げていた青葉屋じゃないですか!?

「ヤッチマイナーッ!」

お店の入り口には様々な有名人の写真が飾られていましたが、もちろんその中にタランティーノの写真もありましたよ。客層は殆どが外国の方で、西麻布という土地柄もあるのでしょうが、いわゆる観光名所的なお店なのでしょうね。日本料理屋ではありますがポップ・ミュージックがガンガンにかかっており、さらにはよく分からないカラオケ?まで飛び出して、まさに『キル・ビル』らしい「怪しい日本」の雰囲気を醸し出していました!

料理は串焼きを中心に注文し、他に手打ち蕎麦やらなにやらを楽しみました。料理は十分美味しく、値段も割りとリーズナブルでした。ただし小さめのお皿で出てくるので、よく行くような居酒屋のつもりで注文するとちょっと少なく感じるかもしれません。

オレはこの日もビール三昧!特にわさびと緑茶のテイストを活かしたクラフトビール「わびさびジャパンペールエール」がとても美味しくて、ずっとこればかり飲んでましたね。

8時を回った頃に和太鼓の演奏が始まり、これも外国人観光客向けなのでしょうが、これはこれで楽しかったですよ。和太鼓演奏は10分ほどでした。

8時過ぎにお店を出て、もうちょっとダベろうかと六本木駅前の喫茶店に入り、ああだこうだと笑い話をしながら結局閉店の10時までいることに。それにしても、日曜の夜に10時過ぎまで六本木にいるなんてオレには前代未聞だったなあ!

その後みんなと解散して帰りの電車に乗りましたが、ちょっと酔っていたせいか電車を間違えてしまい、家に着いたのは結局12時過ぎでした……。

 

泥臭くあくまで身近に感じる存在感/映画『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』

ワイルド・スピード/ファイヤーブースト (監督:ルイ・ルテリエ 2023年アメリカ映画)

「車さえあれば不可能なことは何一つない!」というメガヒット・スーパーアクション映画『ワイルド・スピード』シリーズ第10弾、『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』である。なんと1作目から数えて22年目となるらしい。今回は特に内容に触れていないが、それはつまりだいたいいつも一緒なので特に触れるような内容もないという事である。気になるのであれば予告編を観るがよろし。そう、ああいう映画だ。

【物語】パートナーのレティと息子ブライアンと3人で静かに暮らしていたドミニク。しかし、そんな彼の前に、かつてブラジルで倒した麻薬王レイエスの息子ダンテが現れる。家族も未来も奪われたダンテは、12年もの間、復讐の炎を燃やし続けていたのだ。ダンテの陰謀により、ドミニクと仲間たち“ファミリー”の仲は引き裂かれ、散り散りになってしまう。さらにダンテは、ドミニクからすべてを奪うため、彼の愛するものへと矛先を向ける。

ワイルド・スピード ファイヤーブースト : 作品情報 - 映画.com

なにしろこの新作も良くも悪くもいつも通りである。物理法則無視のスーパーアクションがこれでもかとばかりに炸裂し、「こまけ―ことはいいんだよッ!」とばかりに御都合主義上等の物語が大手を振り、「なにしろファミリー!全てはファミリー!」とファミリーファミリー連呼しまくり、主人公ドムを演じるV・ディーゼルはシリアス演技をし損なって相変わらず木偶の坊風を吹かしている。ただし「良くも悪くも」と書いたように、それがワイスピなのであり、そういうもんだと思って開き直って楽しむべき作品でもあるのだ。ただ今回強力ネタバレ禁止事項があるから観たい人は早目に観た方がいいかも。

ただし「いつも通り」とはいえ、これまでのワイスピがそれぞれに「売り」とする部分があったものを、今作では「売り」に当たるものが存在しないように思えるかもしれない。ワイスピの「売り」となるもの、それは例えば『スカイミッション』なら「高層ビル突き抜けますよ」とか『アイスブレイク』なら「潜水艦と戦っちゃいますよ」とか『ジェットブレイク』なら「宇宙まで飛んじゃいますよ」という「売り」である。

しかしそういった強烈なビジュアル的な「売り」こそないが、もっと凄い「売り」が存在していた。それはこれが「ワイスピ最終章」に当たるという事である。最終章であり総決算であり全品棚卸しであり売り尽くしである。ただし大抵の紳士服店がそう言った謳い文句の後に廃業する事はないのと同様に注意が必要である。今作も最初「最終章は2部作」と言っていた所を最近になって「やっぱ3部作にするわ」とか言い出しているのだが、この調子で「最終章は全10作」とか「プリクエルとシークエルの予定あり」とか「各キャラのドラマ化決定」とかどっかの宇宙戦争映画みたいな事も言い出しかねないのでこれも注意が必要である。

ワイスピのアクションというのは凄い事は凄いんだが、その「凄さ」というのは他のアクション映画の「凄い」のと次元というかベクトルが違う。通常のアクション映画はありえないシチュエーションにギリギリのリアリティを付加してさもあり得るかのように撮るが、ワイスピはありえないシチュエーションを「普通だったら嘘クサイと思われるような事をなんの衒いもなくいけしゃあしゃあとやってしまう」ことへの驚き4割呆れ6割なのである。すなわちワイスピのアクションは「凄い」というより「呆れ返る」のであり、虚をつかれ茫然自失とさせられる事が特徴なのである。

ワイスピ映画に物理法則は存在しないかのようだが、物理法則が存在しないような映画なんてゴマンとあり、それら映画とワイスピの違う所は、ワイスピ以外の映画は物理法則を知りつつそこをうまく誤魔化して撮っている所を、ワイスピは最初から物理法則というものが何なのか全く知らないし知る気もないので、だからこそあれだけ堂々とバカな絵面のアクションが撮れるのである。ワイスピは深く考えて観ては駄目だが、それはそもそも何も考えていないものを深く考えて観る事が不毛であるという事である。

さて今作は2部作だか3部作の第1部となるらしいが、これは物語が濃密で複雑だからそれだけ長くなったのではないと思う。ワイスピの物語が複雑なわけが無いじゃないか馬鹿にすんなよあんた。これはファミリーとかいうのが大所帯になり過ぎて、それぞれに見せ場を作っていたらとてもじゃ無いが1作では足りないという事なのだろうと想像する。いや別にどうせやる事なんて毎度一緒なんだからそれぞれの見せ場なぞ作る必要も無いのだが、しかしファミリーファミリー連呼している物語でファミリーたちの活躍の場を作らないと示しが付かないのである。物理法則は知らなくても全く無問題のワイスピだが、ファミリーは決してお座なりに出来はしない、それがワイスピの魂であり誓いであり掟なのである。

しかしこうやって書けば書くほど「ホントひでえシナリオだなコレ」と思わされるが、そもそもワイスピはこの調子で10作作ってしまったのだから、今更そんな事を指摘しても遅きに失するのである。オレなんぞは最初から「低脳で俗悪な映画」だと思って愉快に観ていたから、この映画がどこにどう転ぼうと議論などする気は起きないのである。

それよりも面白いのは、この映画が他のアクションシリーズ、例えば『ミッション・インポッシブル』であったり『007』だったりと比べて、何作作ろうがまるで洗練されることが無くずっとファミリーだなんだと泥臭いことをやっているという点だ。むしろこの泥臭さが本当の「売り」であり、多くのファンを獲得し愛されていることの理由ではないかと思うのだ。人間誰しもがスマートさや洗練されたものを求めているわけではなく、むしろそういったものなど興味が無く、泥臭くあくまで身近に感じる存在感のほうが大切であるという事なのだ。

イーサン・ホークジェームズ・ボンドは架空のスーパーヒーローじみているが、車の運転がとても上手く危ないこともやってのけるが、いつもはその辺の一軒家に家族と楽しそうに暮らしいているドムはある意味近所のオッサン的な存在であり親近感を湧かせやすいキャラクターなのだ。オレの周りでも普段は映画の話なんぞはしないがワイスピとなると熱く語ってしまうオッサンやお兄ちゃんがいかに多いかという部分に於いて、ワイスピファンの裾野の広がりが分かるというものである。で、それでいいしそれに文句をつける筋合いはないというのがこのワイスピシリーズなのだ。

ケイト・ブランシェット主演、重厚で迫力に満ちた堂々たる傑作映画『TAR/ター』

TAR/ター (監督:トッド・フィールド 2022年アメリカ映画)

天才的女性オーケストラ指揮者を主人公に、素晴らしい才気を持ちながら多くの苦悩に直面する彼女と、様々な理由によりその地位から引き摺り落とされてゆく様とを描いた心理ドラマです。指揮者である主人公リディア・ターをケイト・ブランシェットが演じ、『イン・ザ・ベッドルーム』『リトル・チルドレン』のトッド・フィールド監督が16年ぶりに手掛けた長編作でもあります。

【物語】ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラー交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。

TAR ター : 作品情報 - 映画.com

冒頭のインタビューシーン、あるいは音楽大学における講義シーンで主人公ターが延々と語る、音楽とは何か、音楽を演奏するというのはどういうことか、という部分でまずグイグイと引き込まれます。文字通り首根っこを引っ掴まれるような感じで物語に没入させられるのです。

ここでまず主人公ターがいかに音楽を知り尽くした優れた人物であり、その世界で頂点を極めた存在であるかを知らしめられます。ここにおける説得力とターという人物の存在感は、本当にリディア・ターという人物がこの世界に実在しており、しかも目の前のスクリーンに映し出されているのがケイト・ブランシェットではなくリディア・ターその人であるとさえ思わせるほどです。ここで既に監督トッド・フィールドの有無を言わせぬ演出手腕と主演女優ケイト・ブランシェットの演技力の凄まじさを思い知らされてしまうんです。

その後に物語られるのは「究極の才能を持った者だからこその他への強い要求」と「そこから生まれる絶対的な強権」です。完璧を知り尽くした者は己と同じ完璧さを他者にも要求し、そこに妥協の余地がないからこそ絶対的で強権的な態度に出てしまうのです。もちろん天才的才能を持つ者が誰もが強権的ではあるという事ではありませんが、物語で描かれる主人公は一つの鋳型としてそのように振舞います。しかしこと「表現」の場にいる者が「民主主義的」であるべきなのかというと、そこには相容れないものがあるのではないかと思え、これをしてターの強権が「間違っている」と言い切れないとオレなどは感じます。

同時に描かれるのは「そのような強権的な立場にある者が得てして至ってしまう独善と専横、それにより生まれざるを得ない軋轢」です。天才的な才能を持つターですが、天才と聖人君主はイコールではありません。彼女は天才であると同時にあくまで人間であり、人間であるからこその偏向と歪みを他の人間と同じように併せ持っています。彼女は誰もと同じように嫉妬し、高慢となり、人を愛し、人を憎みます。彼女は誰もと同じように愚かなだけであり、それをして彼女を単純に「暴君」と呼べはしないと思うのです。

ただ一つ問題があったとするなら、彼女の強力な立場は、その影響力も強力である、ということであり、彼女はそれに対して無自覚であった、という事はできるかもしれません。これは即ちノブレス・オブリュージュと呼ばれること、つまり「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」ということです。彼女が至った陥穽はまさにそこにあり、また社会的に強力な立場だからこそその陥穽はスキャンダルとして大いに喧伝され、彼女を社会的に引き摺り落とそうとするマスメディアやSNSの餌食となってしまったのです。

映画はこれら様々な要素が複雑に絡み合った物語として完成しています。これはただ「正しい」「正しくない」の二元論として単純に断罪し結論付けられるものでは決してありません。ターは正しくもあり間違ってもいた。そして人間とは誰もが皆正しくもあり間違った部分も持ち、そういったレイヤーの総体にあるのが人間である、ということなのです。そして本当に重要なのは、間違ったことに気付いた時、気付かされた時、人間はその後どうするのか、ということに他なりません。それはこの物語のラストで鮮やかに語られることなのです。

また、オーケストラを題材としていることから膨大なクラシック音楽の蘊蓄と情報を知ることができるのも楽しいし、断片的とはいえ素晴らしいクラシックの調べが聴こえてくるのもポイントが高いです。監督トッド・フィールドの緊張感溢れる演出、それに十二分に応えたケイト・ブランシェットの剃刀の如き演技、なにもかもが重厚で迫力に満ち充実した映画です。本年度ベストテンの1作に数え上げても間違いない作品でしょう。

(解題にとても役に立つ監督インタビューです。是非お読みください)

衝撃作『TAR/ター』で奇跡の復活を遂げた“幻の名匠”トッド・フィールド、16年間の空白を語る【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS

特殊能力サーカス団v.s.ナチス・ドイツ軍団!/映画『フリークスアウト』

フリークスアウト (監督:ガブリエーレ・マイネッティ 2021年イタリア・ベルギー映画

第2次世界大戦下のイタリアを舞台に、特殊能力を持ったサーカス団の面々が凶悪なナチス・ドイツ軍との戦いを繰り広げる、というバトルアクション映画です。特殊能力を持ったサーカス団の面々とは、体内から電気エネルギーを放出する少女、昆虫を自在に操ることの出来る青年、全身毛むくじゃらの怪力男、磁力で金属を引き付けることのできる道化師。さて彼らはどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。

監督は『皆はこう読んだ、鋼鉄ジーグ』のガブリエーレ・マイネッティ。またこの作品はイタリアのアカデミー賞と呼ばれるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞ほか6部門を受賞したとのこと。

【物語】イタリア国内でもナチス・ドイツの影響が強まる中、戦火を逃がれてサーカス団ごとアメリカへの脱出を考えていた団長のイスラエルが、突然姿を消してしまう。光と電気を操るマティルデは団長探しに奔走するが、怪力男のフルヴィオら3人は仕事を求め、ド派手なパフォーマンスが話題のベルリン・サーカス団の門を叩く。しかし、団長のフランツはナチスを勝利に導く異能力者を探し出し、人体実験を繰り返すという裏の顔を持つ男だった。

フリークスアウト : 作品情報 - 映画.com

サーカス団のフリークスが主人公なだけあって、作品はどことなく暗く鬱蒼とした幻想味を帯び、ヨーロッパ作品らしいくすんだ色彩と歴史を感じさせるロケーションが見え隠れしています。この中に登場する特殊能力を持ったサーカス団の姿は、とかく比較されがちなアメコミヒーロー映画とはまた別の、魔術的な存在のようにオレには思えました。サーカス団のみならず、敵役となるベルリンサーカス団長フランツもまた超常能力を持っており、彼の見る不思議なヴィジョンには驚かされることでしょう。

とはいえ最初に「バトルアクション映画」とは書きましたが、実際に戦いが描かれ始めるのは中盤を過ぎてからで、それまではサーカス団同士の仲たがいやベルリンサーカス団長フランツの異常性、そしてフランツの奸計によって監禁されたサーカス団の危機や脱出劇が延々と描かれることになり、ハリウッド的なアクションエンターティンメント作だと思って観ていると肩透かしを食うかもしれません。むしろこの作品の主題は戦争に蹂躙される名もない人々や、彼らの決死の抵抗の姿を、サーカス団員たちを狂言回しとしながらファンタジックに描いたものと観るべきでしょう。

主人公となるサーカス団員以上に強烈な印象を残すフランツですが、彼はナチス・ドイツの上級士官である兄へのコンプレックス、多指症の肉体へのコンプレックス、己の能力が国家に認められていないというコンプレックスという、コンプレックスの塊のような人間です。彼は「こうでありたい自分」と「そうではない自分」の狭間で引き裂かれ精神の歪んでしまった男です。

そしてこれは、フリークスであることを受け入れ、そういった人生を謳歌する主人公らとの対比となっているんです。このような「自分は自分、他人と変わっていたっていい」というテーマがこの作品には隠されています。そしてそんな自分を受け入れてくれる「仲間の大切さ」もこの映画の描くところです。この辺りにイタリア映画的な人間臭さや人情味が溢れているのもこの作品です。

映画としては強力過ぎる能力のせいか、最後までなかなか電撃攻撃を繰り出さない電気少女にちょっと焦れたのと、他のサーカス団員の能力がそれほど物語に貢献していない部分でバランスが悪く感じましたが、能力なんかじゃなくキャラの立ち具合が重要な作品だということなのでしょう。パルチザンの面々もなかなか個性があって楽しめました。