Let’s 箱根旅行!(その1)

3月の12日・13日は相方さんと一緒に1泊2日の箱根旅行に行っていました。丁度相方さんの現場が終わり長期休暇を取れたのと、箱根の岡田美術館に「若冲・一村展」を観に行きたかったからなんですね。そして実は、二人で箱根に旅行したのはこれが初めてだったんですよ。

さて初日、まず小田原からバスで箱根園を目指すことになっていたのですが、停留所で係の方に聞いたところ通常70分ぐらいの行程が渋滞で4時間はかかっているとのこと。こりゃ堪らん!ということで急遽行き先を変え、元箱根へ向かう臨時便バスに乗り込むことに。路線バスより500円高かったんですが、バスは相方さんと二人の貸し切り状態、さらに元箱根へは70分ほどで着いて安心しました。

元箱根からは遊覧船で芦ノ湖を横切り、当初の予定だった箱根園を目指します。しかし元箱根、なんだか見覚えがあるなあ……と思ったんですが、今から30年ぐらい前に社員旅行で来た記憶が蘇りました。

遊覧船から見える箱根神社の鳥居。

箱根園に着きまず腹ごしらえ。ビーフカレー美味しゅうございました。

箱根園から駒ケ岳ロープウェイに乗り山頂に到着。山頂から見える芦ノ湖の全景が何しろ圧巻!

山頂にある箱根元宮。この日は曇りでしたが、山の尾根に掛かる雲がまた良い風情でした。

山を下りたら再びバスで元箱根に戻ります。フェリーの種類と航路の関係で、なんか行ったり来たりしているんですね。元箱根から今度は箱根海賊船に乗って桃源台へ。

桃源台から箱根ロープウェイに乗り、この日の第2の目的地・大涌谷へと向かいます。ところでロープウェイから大涌谷近隣の道路の様子が見えたのですが、これが本当に大渋滞していて、いやーこのルートじゃなくて本当によかった、と相方さんとうなずき合ってました。そして大涌谷に到着、なにしろ山肌から湧き上がる火山性の噴煙が凄い!

大涌谷で食べた「赤池地獄の黒ラーメン」。真っ赤なスープに真っ黒い麺!火山の噴煙が立ちのぼる土地ならではの地獄なラーメンです!

 

そして大涌谷といえば名物・黒たまご!1個で7年寿命が伸びる、といういわくつきです。「生卵を温泉池でゆでると、気孔の多い殻に鉄分(温泉池の成分)が付着します。これに硫化水素が反応して硫化鉄(黒色)となり、黒い殻のゆで玉子ができあがります*1」ということなんですね。

大涌谷で一服した後は再びロープウェイに乗り、早雲山で今度は箱根ケーブルカーに乗り換え。これ、傾斜地往来専用の電車なので、車内が階段状になっているんですね!

早雲山からはこの日の宿がある公園上に向かいます。それにしてもこの日、殆ど移動に次ぐ移動でした。こんな移動だらけの旅行も初めてですよ!?なんたってJR→バス→遊覧船→ロープウェイ(往復)→バス→遊覧船(海賊船)→ロープウェイ→ロープウェイ→ケーブルカー……もうこれだけで半日は何かに乗ってたんじゃないかな。

という訳でようやくホテルに到着。続きはまた明日!

(続く)

暗黒の18世紀スウェーデン3部作完結編『1795』

1795 / ニクラス・ナット・オ・ダーグ (著)、ヘレンハルメ美穂(訳)  

1795 (小学館文庫)

フランス革命の影響は未だ色濃く残り、暴力と奸計が常態化していた1795年のストックホルム。事件を捜索することで立ち直りつつあった戦場帰りの引っ立て屋カルデルと心を病んでいた学生エーミル。彼らの善意が招いた悲劇によって、前年に多くの命が失われた。彼らと、幸せを願いながら愛する子どもたちを手放したアンナ・スティーナは一瞬にして打ちのめされ、絶望の大きさに動くことすらできなくなっていた。一方その悲劇によって追い詰められた怪物は、自らの起死回生を賭けたおぞましい計画を立て、さらなる惨劇が起きようとしていた。

スウェーデン出身のミステリー作家ニクラス・ナット・オー・ダーグによる「暗黒の18世紀スウェーデン3部作」完結編である。ちなみにこれまでシリーズタイトルは『1793』、『1794』、そして今作が『1795』と、全部歴の年数になっている。その物語はというと法も人権も通用しない腐敗し切った18世紀末スウェーデンを舞台に、二人の男が力を合わせ正義を求めて奔走する、というものだ。その一人は荒くれ者の風紀取締官カルデル、もう一人はひ弱な落ちこぼれ学生エーミル。

とまあおおよその概略はこれまでも書いてきたが、この『1795』は前作『1794』の物語を引き継いだ形で始まることになる。いわば『1794』が前編でこの『1795』が後編とでもいおうか。前作における「花嫁惨殺事件」の解決編となるが、今作では事件の首謀者である謎の組織の一員の末路、事件の鍵を握る一人の薄幸な女の行方、その女を見舞った悲劇的な事故が登場人物たちに与えた影響が描かれる。そんなわけだから『1794』から読まなければ話が見えない構成になっている。

で、読んだ感想なのだが、これがちょっとイマイチというか退屈させられてしまった。前作『1794』が物語の「起承転」だとするとこの『1795』は完結篇だけあって当然「結」を描くのだが、なにしろ1冊まるまる事件にまつわるあれこれの顛末を描いているために、間延びした印象しか得られないのだ。もともとこのシリーズは「暗黒の18世紀スウェーデン」を微に入り細に穿ち描くことがひとつの目的であったが、この『1795』は物語の主軸であるはずの事件の解法そっちのけで延々と暗鬱たる世情と酷薄な人情を描くことに固執してしまっているからである。

この辺、前作『1794』で発覚した作者の構成力の貧弱さの表れでもあるのだが、ミステリーである事を放棄しただただ18世紀スウェーデンのいやらしい情景を描こうとした今作は、好意的にみるならば作者がミステリー作品であることから離れ、あたかもバルザックの如きグランドオペラ形式の人間喜劇、この作品であるならば人間悲劇を描くことに舵を切ってしまった結果なのかもしれない。そういった部分で陰惨極まりない一個の文学作品として読むことも可能なのだが、それにしても少々メリハリに欠ける作品に仕上がってしまったのも確かだった。

汚濁と悪逆に満ちた18世紀スウェーデンを駆け抜ける正義/『1794』

1794/ニクラス・ナット・オ・ダーグ (著)、ヘレンハルメ美穂 (訳)

1794 (小学館文庫)

フランス革命の影響を受け、陰謀と暴力、貧困と死に満ちた1794年のストックホルム。その前年、カリブ海に浮かぶ植民地サン・バルテルミー島での過酷な日々を終えて故国に帰還した若者エリックは、幾多の困難を乗り越え将来を誓い合った娘リネーアと、ついに夫婦となろうとしていた。しかし幸福の絶頂である婚礼の日の夜、エリックは地獄へと突き落とされる。戦場帰りの風紀取締官カルデルと、亡き相棒の弟エーミルは共に深い傷を抱えながらも、人のなりをした怪物の正体を暴くため、暴力と奸計渦巻く北の都を奔走するーー。

スウェーデン作家ニクラス・ナット・オ・ダーグによる『1794』はそのタイトル通り1794年、18世紀のスウェーデンストックホルムを舞台にしたミステリー小説である。その時代、フランス革命の衝撃はヨーロッパ諸国に波及し、遠く北欧に位置するスウェーデンもまた政情不安に揺れていた。汚濁と悪逆が混沌として横行するその地で、おぞましい事件に巻き込まれた人々を救うため奔走する二人の男の姿を描くのがこの物語だ。

なお本書は本国において2018年に刊行された『1793』の続編であり、続く『1795』と併せて3部作となっている。前作『1793』は単体でも読めるが、この『1794』はこれだけで完結しておらず、次作『1795』を含めた「上下巻」のようなつもりで読んだほうがいいかもしれない。ちなみに『1793』を読まずにこの『1794』から読み始めてもいいのか?だが、「読んでおいたほうがいいが読んでいなくても話は理解できる」と言っておこうか。物語の主人公となるのは二人の男、一人は戦場帰りの風紀取締官カルデル、もう一人はひ弱な落ちこぼれ学生エーミルというあまりに対照的なキャラクターだ。カルデルは隻腕に義手をはめた荒くれ者で、喧嘩に明け暮れ生傷だらけの、あたかも凶暴な獣の様な男だ。一方エーミルは神経症を病み幻覚に悩まされ、それが嫌で酒浸りになっているという、廃人に限りなく近い若者である。しかし個々人では人間の屑でしかないこの二人がペアになると「力のカルデルと知恵のエーミル」という完全体となって事件の謎に挑んでいくのである。

今回二人が捜査を依頼されたのは猟奇的な花嫁殺人事件である。事件を追ううちに謎の秘密結社との関わりが浮かび上がってくるが、強固な力を持つ彼らの前で事件解決は困難を極める。それだけではない。舞台となる18世紀末スウェーデンは現代のような民主主義など存在せず、人の命はどこまでも軽く、不衛生極まりない街角には貧困と汚濁と疾病が溢れ、暴力と犯罪は日常茶飯事であり、人々の心は倦み疲れ荒みきっていた。そんな混沌と荒廃が支配する暗黒の街ストックホルムを徹底的に描き切り、その腐臭に満ちたおぞましい世界に迷い込ませることが本作の真のテーマとなるのだ。

実のところ物語的にはプロットのブレが多々あり、思い付きの様な・あるいは他に思いつかなかったのかと思わせるような無駄な展開が幾つか目についた。暗黒の街ストックホルムを演出するため過剰に加虐な展開を持ってこようとしてバランスを崩しているのだ。そういった部分において作者のストーリーテリングの腕にはあまり感心ができなかったが、世界観の創出においては並々ならぬ才覚を感じることができ、これは読む人によって評価は真逆になるだろう。オレ個人はなかなか楽しんで読むことができた。……というわけで完結編である『1795』に続く。

 

『ゲーム・オブ・スローンズ』の前日譚となるドラマ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン〈シーズン1〉』を観た

ハウス・オブ・ザ・ドラゴン〈シーズン1〉(ドラマ)

『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン(HotD)』はあの大河ファンタジー・ドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ(GoT)』の前日譚となるドラマだ。

原作はジョージ・R・R・マーティンの『炎と血』を基にしており、舞台は『GoT』の約200年前、ドラゴンを駆り七王国を統べたターガリエン家が、壮絶なる内戦〈双竜の舞踏〉を経て滅亡するまでを描いたものになるらしい。物語それ自体は『GoT』が15世紀イングランドにおける封建諸侯による内乱「薔薇戦争」を題材としたように、この『HotD』では12世紀イングランド王国における「無政府時代」と呼ばれる後継者争いを題材にしたものなのだという。

『GoT』はオレも実にハマったドラマで、その波乱に満ちた全8シーズンをまんじりともせずに完走したクチだ。ラストエピソードこそ世間では相当に評判が悪く、オレもかなりがっかりさせられてはいたが、総体としてみるならハイファンタジードラマの決定版として後世まで語り継がれるであろう素晴らしい完成度を誇っていたと思う。だからこの『HoD』も視聴を愉しみにしていた。

『HotD』と『GoT』がまず違うのは、『GoT』が七王国それぞれを俯瞰的に描き、その分膨大かつ複雑な人間関係を表出させていたのに対し、『HotD』ではなによりターガリエン家のお家騒動を求心的に描き、人間関係も限定的に描かれているという部分だ。その物語は王の娘であり女王の座にいるレイニラの一族と、王妃であるアリセントの一族との、血に塗れた後継者争いである。つまり男権社会の権力闘争であった『GoT』と比べるなら、この『HotD』では女性を中心とした権力闘争へとシフトしている部分が目新しく特徴的なのだ。

また『GoT』がその冒頭からロバート・バラシオン王逝去による「鉄の玉座」奪取を狙う壮絶な七王国内乱を描いた物語であるのと違い、『HotD』では50年に渡る国王ジェへアリーズ1世の統治によりいわゆる「平和ボケ」した王国が描かれることになる。なにしろこの国王ジェへアリーズ1世というのが付和雷同型の日和見爺で、こいつの煮え切らない態度が後々に陰惨極まりない禍根となって王土を騒乱へと導くことになるのだ。言うなれば「最初に掛け違えたボタンが最後まで仇を成す」というのがこの物語なのだ。

細かい内容は特に書かないが、なにしろ『GoT』譲りの「胸糞展開」は相変わらずで、1話目から結構ゲッソリさせてくれるが、もちろんこれは回を追うごとに厭らしさが倍増し、胸糞大好き『GoT』ファンなら溜飲が下がること必至であろう。そもそも原作者ジョージ・R・R・マーティンの小説自体胸糞展開だらけで、オレは『HotD』『GoT』の原作は読んではいないが、幾つか読んだマーティンのSF短編はどれもこれも厭らしい胸糞に溢れた作品だった。もはや蛇の道は蛇としか言いようがない。

他にあれこれ書くと『GoT』と違って最初っからドラゴンがガンガン大量に登場し大盤振る舞いを見せるのがなにしろ楽しい。オープニングムービーは『GoT』より血腥いが主題曲が一緒なのですぐドラマに入っていける。最初に「ターガリエン家のお家騒動を求心的に描いた」とは書いたがこれは多分シーズン1までの展開で、後のシーズンではウェスタロス大陸の全王家を巻き込みながら血と死と破壊に塗れた壮大かつ凄惨な物語へと突入してゆくのだろう。これからどれだけ胸糞展開がエスカレートしてくれるのか、そして何シーズンまで続いてそれを観なければならないのか、今から楽しみである。

 

スピルバーグ自伝映画『フェイブルマンズ』が全然刺さんなかった。

フェイブルマンズ (監督:スティーブン・スピルバーグ 2022年アメリカ映画)

スピルバーグ自伝映画ってェ触れ込みの『フェイブルマンズ』、観たんですがね、なにしろスピルバーグ作品だし評判も上々だし大変愉しみにして観に行ったんですが、これがなんとびっくり、自分でも驚いちゃうほど心に刺さんなくてねえ。

要するにこのオハナシ、環境にも才能にも恵まれ親の愛情もたっぷり注がれ何不自由なく生活していたプチブルのオコチャマがそのまますくすくと育って大好きなシュミを活かした仕事します!ってただそれだけの話じゃないか。実家が太いんで有名大学も出られて有名企業にも就職できました人生イージーモード!って話と何が違うんだ。ひねりもなんにもねえな。学校のイジメ?両親の離婚?学校でイジメに遭ったってすぐカノジョできちゃうし両親の離婚があったって高給取りの父親の庇護のもと「大好きなシュミの仕事」を探し続けられるしなんだって結果オーライじゃないか。

アメリカが世界の覇者として君臨しカネもモノも潤沢だった50年代に何不自由ない【中流家庭】の子供として生まれ育ち、技術屋として高い発想力を持ちそれに見合ったたっぷりの給料を貰ってる父による安定した生活と、世が世ならプロとして活躍していた芸術肌の母から受け継いだ豊かな才能に恵まれ、子供の頃からなにしろシュミ!シュミシュミシュミ!とばかりに生きていたオコチャマが父親から授かった潤沢な資金でシュミを押し広げ母親から授かった感性でシュミを純化させ、要するに牌は全部揃ってるんで当然このまま役満ですよ未来は明るく輝く希望に満ちていますよオレってラッキー!ってことだろ。いったい何の意外性があるんだ?自伝だっていうからまあ実際そうだったんでしょうねえと納得するしかないがこれがフィクションだったらふざけんじゃねえぞコラ、って思っちゃうよな。

映画の出来、はまあいいんだろうよ、だってスピルバーグだもん、つまんなく作るはずがないだろ、確かにスルスル観られたよ、軽快だったよ、巧かったよ、1本の映画として最後まで興味を持たせつつ全く退屈することなく観ることができたよ、才能だよ、敬服だよ、でもなあ、オレは途中から辛くなっちゃったんだよ、そしてこう思っちゃったんだよ、オレもなあ、こんな風だったら、こんな恵まれた家庭に生まれ育ってたら、世界的な映画監督とまでは言わないけど、まあまあ宇宙飛行士ぐらいにはなってたんじゃね?ぐらいのことをな。

ああ、オレとスピルバーグの共通点は映画好きって事だけかと思ってたが、この映画観てもう一つ共通点を見つけたよ、オレはスピルバーグと同じ離婚家庭だったよ、でも贔屓目に見て、なにもかもが最低だったよ、単なる貧困母子家庭だったよ、オレのクソ親は見事にオレの未来を破壊してくれたよ、あとついでに父親も母親もろくでもない気質的偏向を持っててその両方が見事に遺伝してくれたよ、ホントに素晴らしい血筋だよ、でもとりあえず世をすねることなくなんとかこの歳まで真っ当な社会人として生きてきたよ、それだけでも偉いなって自分を時々褒めてあげてるよ。

即ちここで書いたことは全て妬み嫉み恨み辛みの「4み」が揃い踏みとなりグジュグジュと発酵して腐臭を放つ個人的ルサンチマンだ。こんなもん読ませてすまんな。でもなあ、オレにはちょっと、この映画が堪え難かったんだよ。

【物語】初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

フェイブルマンズ : 作品情報 - 映画.com