長編SF小説『巡航船〈ヴェネチアの剣〉奪還!』を読んだ

巡航船〈ヴェネチアの剣〉奪還! / スザンヌ・パーマー (著)、月岡小穂(訳)

巡航船〈ヴェネチアの剣〉奪還! ファインダー・ファーガソン (ハヤカワ文庫SF)

捜し屋ファーガソンは、盗まれた巡航船〈ヴェネチアの剣〉を取り戻す仕事を引き受け、辺境星系のコロニー群、セルネカン連邦にやってくる。だが到着直後、地衣類農場主が殺される現場に遭遇。犯人が船を盗んだ相手だと判明したことで、彼は宙域の勢力争いの戦争に巻きこまれていく。不気味な異星人アシイグが徘徊するなか、船を奪還するためファーガソンがくりだした奇策は!? 新時代スペースオペラ傑作。

スザンヌ・パーマーのSF長編『巡航船〈ヴェネチアの剣〉奪還!』ってェのを読んだんですけどね、なにやらタイトルは勇ましいし表紙イラストのオッサンはゴリラっぽくてオレ好みだし惹句にゃあ「新世代スペースオペラ」とか書いてるしおおこりゃ面白そうだわいと思って読み始めたんですが、読み進めてみると「スペースオペラ」ってェ感じじゃないなあ、少なくとも超光速のスペースシップに乗り込んで銀河を股にかけて奇態な異星人がガンガン出てきて奇想天外な超科学のアレやコレやが釣瓶打ちに登場して星系一個滅ぼすような超兵器がズバビューンとか唸りを上げて宇宙の存在すら脅かすような大風呂敷な危機が訪れてスーパーヒーローな主人公が最後に全て解決してしまうようなスペースオペラ(なんだこの陳腐なステレオタイプ)みたいのではなくて、じゃあナニかと言うと単に「冒険SF」「アクションSF」ってな感じなんですが、まあ要するにあんまり奇想天外でも大風呂敷でもなくとりあえずSFな設定の世界で冒険とアクションをメインに描いてみましたあ、ってなお話なんですよ。つまりそんなにSF味を感じない、そんなにSF的必然性を感じない物語なんですよね。

じゃあ何かって言うと、これはまず西部劇だなあということですね。荒野に点在する町々がありそこに過酷な自然と戦いながら汲々として生活する住人がいてその住人たちの生活と生命を脅かすならず者たちがいて時々インディアンの襲撃もある、そこへちょっと食えない性格の風来坊ガンマンが現れて最初は住民の冷たい目にさらされながらもならず者たちと対立する姿に次第に受け入れられ、農園を営むじゃじゃ馬娘に憎からず思われながらもくっつくんだかどうなんだかわかんないじれったい展開が盛り込まれ、遂にならず者と正面対決し激しい銃撃戦の後に勝利を勝ち取り、しかし風来坊ガンマンは住民たちに惜しまれながらもまたどこかへと去ってゆく、そんな西部劇なんですよ。これ「荒野」を「宇宙」に「町々」を舞台となる「辺境星系のコロニー群」に「インディアン」を「謎の宇宙人」にしてその他キャラをいろいろ当てはめてちょっぴりSFガジェットをばら撒いてみるとこの物語になっちゃうんですよね。

もう一つ、この物語の全体的な骨子はダシール・ハメットの作品を思わせるものがありましたね。主人公の目的は邦題通り「巡航船〈ヴェネチアの剣〉奪還」なんですが、まあ確かに中盤にちょろっと奪還作戦はあるにせよ、全体的にみるなら巡航船〈ヴェネチアの剣〉自体があんまり重要じゃなくて、これはハメット『マルタの鷹』の如きマクガフィンの役割を成しているんですよね。それともう一つ、主人公の登場によって複数存在するならず者たちの結社が潰し合いを開始するといったプロットはこれはハメットの『血の収穫(赤い収穫)』のものなんですよね。とはいえこの物語自体はハードボイルドといったものではなくて主人公や登場人物たちのキャラは減らず口ばかり叩きたがるどことなく人間臭いユーモラスなもので、これなどは80年代アメリカの能天気なアクション映画を思わせるものがあるんですよ。そういった部分でお話的にはいろいろガンバっているしいろいろ盛り込んではいるんですが、SF的な醍醐味の希薄さといった部分で退屈に感じさせられてしまった残念な作品でしたね。

 

圧倒的な現実肯定への道程/映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス (監督:ダニエル・クワンダニエル・シャイナート 2022年アメリカ映画)

主婦よ憤怒のマルチバースを渡れ!?

家庭にも仕事にも疲れ果てた一人の主婦がなぜか突然マルチバース/並行宇宙の危機を救う救世主として戦う羽目に!?というSFアクションコメディ映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(以下「EEAAO」)』です。マルチバースと言えばMCUのスーパーヒーロー映画みたいですが、どうしてどうして、かなーりとんでもない作品として仕上がっています。

主演は『シャン・チー テン・リングスの伝説』『グリーン・デスティニー』のミシェル・ヨー、『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』『グーニーズ』の子役で知られていたキー・ホイ・クァン、さらにジェイミー・リー・カーティスの共演も嬉しいですね。監督はダニエル・ラドクリフ主演の奇想天外お下劣コメディ『スイス・アーミー・マン』の監督コンビのダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート)。

【物語】経営するコインランドリーの税金問題、父親の介護に反抗期の娘、優しいだけで頼りにならない夫と、 盛りだくさんのトラブルを抱えたエヴリン。そんな中、夫に乗り移った“別の宇宙の夫”から、 「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と世界の命運を託される。 まさかと驚くエヴリンだが、悪の手先に襲われマルチバースにジャンプ! カンフーの達人の“別の宇宙のエヴリン”の力を得て、闘いに挑むのだが、 なんと、巨悪の正体は娘のジョイだった…!

ABOUT THE MOVIE|映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公式サイト

取っ散らかった展開と無茶苦茶な物語とお下劣極まる描写!?

物語は問題だらけの仕事と家庭を抱え頭がグチャグチャになった主人公エブリンが、確定申告で赴いた国税庁で「宇宙の巨悪を倒せ!」と訳の分からない指令を突然受けるところから始まります。そしてエブリンはマルチバースに存在する無数のエブリンが持つ多数のスキルを獲得しながら、マルチバースを「虚無」へと堕とそうとする敵と戦うことになるんですね。しかし「MCUでお馴染みのマルチバースを拝借したスーパーおばちゃんムービーねー」と思って観ていると、その取っ散らかった展開と無茶苦茶な物語とお下劣極まる描写に頭がこんぐらかる事必至、「いったい何がやりたいんだこの映画!?」と面食らうことでしょう。

でもねえ、思い出してみて下さいよ、まずこの映画の監督ダニエルズ、「取っ散らかった展開と無茶苦茶な物語とお下劣極まる描写」で世界の映画ファンを唖然呆然とさせた怪作、『スイス・アーミー・マン』の監督なんですよ!?

さらに監督の一人であるダニエル・シャイナートは、あまりにしょーもなさ過ぎてオレですら閉口した怪作(これもかよ)『ディック・ロングはなぜ死んだか?』の監督なんですよ!?

こうではなかった、こうであったかもしれない自分

こんな連中の作る映画なもんですからお馬鹿でカオスな作品になることは当然、とはいえ「ま、しゃーねーな」と思いながら観ていると、そのめくるめくお馬鹿&カオスの世界に次第に引き込まれてゆく自分がいるではないですか!?そしてそれが段々クセになってくるんですよ!?まず緻密に計算されたカンフーファイトを中心としながらマルチバース・エブリンの様々なスキルをスイッチさせて戦う主人公の描写が楽しい(グチャグチャしてるけど!)。さらにスキルを習得する条件となる「有り得ない事をする」という設定があまりに馬鹿馬鹿しい展開を生んで、観ていて口からエクトプラズムが飛び出すこと不可避!?

それだけではない!物語の核心は「マルチバースに存在する様々な自分の人生を垣間見ることで”こうでなかった自分”に思いを馳せてしまう主人公」へと収斂してゆくんです(グチャグチャしてるけど!)。つまりはこれはいわゆる「たられば」の物語であり、そしてそれはどんな人でも一度は思った事のあるだろう後悔であり感傷なんですよ。同時に作品はクライマックスに近づくにつれ「崩壊しかけた家族の再生の物語」として胸熱なドラマを炸裂させるんですね!

圧倒的な現実肯定への道程

これが単に「たらればの感傷」や「家族の物語」がテーマなだけの作品だったらありふれた凡作となっていたでしょう。しかしそこに辿り着くまでの経緯はマルチバースだ宇宙の巨悪だケツの穴に異物だとあまりにノイズが多く混乱に満ちていて破壊的なんです。裏を返すならひたすら苦渋に満ち悲哀に溢れ虚無に覆われた展開なんです。要するにグチャグチャのメチャクチャで「もー私イヤ!」っていう主人公の千路に乱れた心象が怒涛のように溢れかえり津波のように押し寄せているんですよ。そしてそこまでグチャグチャのメチャクチャに描き切ったからこそ、テーマである「たらればの感傷」と「家族の物語」がなけなしの最後の救済のように胸に迫って来る、という構造を成しているんですよ!

実の所この物語は、無慈悲な人生に悩めるエブリンの、国税庁で始まり翌日の国税庁で終わる壮大な妄想の物語であると言っていいでしょう。しかしこの壮大な妄想を経てエブリンは自らの人生の、本当に大切なものに気付くんです。それは「あらゆるもの、あらゆる場所が一堂に会する世界」を体験しながら得た「自分が今いる世界はここ、今ある私が私、そして私が愛するのは今目の前にいるあなた」という確信であり、それ以外にはないのだ、ということなんです。それは圧倒的な現実肯定への道程であり、明日を生きていくための希望です。エブリンが救ったのはマルチバースではなくエブリン自身だったんです。

この間観た『アラビアンナイト 三千年の願い』もそうでしたが、この『EEAAO』もまた、困難な時代を生き延びるための素晴らしい示唆に満ちた物語だとオレは思うんです。

 

人は何故“物語”を欲するのか。/映画『アラビアンナイト 三千年の願い』

アラビアンナイト 三千年の願い (監督:ジョージ・ミラー 2022年オーストラリア・アメリカ映画)

ジョージ・ミラー7年振りの監督作品

あの『マッドマックス』シリーズのジョージ・ミラーが「アラビアンナイト」に登場する”ランプの精”をモチーフに制作した映画が『アラビアンナイト 三千年の願い』だ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』から実に7年振りの作品がなんとファンタジー、いったいどんな作品として仕上がっているのか興味津々ではないか。しかも主演が超絶異次元女優ティルダ様ことティルダ・スウィントン、さらに「アベンジャーズ」シリーズ、「ワイルド・スピード」シリーズ、『ザ・スーサイド・スクワッド ”極”悪党集結』に出演する強面俳優イドリス・エルバという《美女と野獣》コンビとなればこれは必見!?原作はA・S・バイアットの短編集「The Djinn in the Nightingale's Eye」。

【物語】古今東西の物語や神話を研究する学者アリシアは、講演先のイスタンブールで美しいガラスの小瓶を買う。ホテルの部屋に持ち帰ると、中から巨大な魔人が飛び出し、瓶から出してくれたお礼に「3つの願い」をかなえると申し出る。しかし物語の専門家であるアリシアは「願い事」を描いた物語にハッピーエンドがないことを知っており、魔人の誘いに疑念を抱く。魔人は彼女の考えを変えさせようと、3000年におよぶ自らの物語を語り出す。

アラビアンナイト 三千年の願い : 作品情報 - 映画.com

《魔人》と3つの願い

アラビアンナイト 三千年の願い』の「物語」は極単純にとらえるならとりあえず「ファンタジー作品」だ。現在を舞台にナラトロジー=「物語」論の学者である主人公アリシアが講演先の異国で購入した古びた瓶から《魔人》を呼び出してしまう。《魔人》は『アラビアンナイト』に登場する”ランプの精”そのままに「3つの願い」を叶えるのだという。しかし「3つの願い」の結末がえてしてろくでもないものになる事を知っているアリシアは願い事を唱えるのを拒否する。そして《魔人》に彼の体験した3000年に渡る《願いを請う者たち》の運命を「物語らせ」るのだ。

幾つかの章に分かれて「物語られ」るその《願いを請う者たち》の逸話は、どれもめくるめくような蠱惑と幻想とに彩られながら愛と死と希望と絶望とが織りなす数奇な運命を描き出す。それらは時の彼方へと費え去ったいにしえの「物語」であり、伝説であり伝承であり寓話である。作品前半に用意されたこれらの「物語」は暗く美しい特殊効果と映像でもってたちまちにして観る者を虜にする。そして後半においてはこれら「物語」を体験した主人公アリシアがどのようにして己の「願い」を見出すかが描かれることになるのだ。

物語についての物語

作品は執拗な入れ子構造を成している。冒頭で「物語」が始まると「昔々……」と「昔話」風のキャプションが付けられ「物語論の学者」が登場し「物語」にしか存在しないはずの《魔人》が現れて「物語」を紡ぎ出す。こうして導き出されるこの作品の主題が「物語についての物語」であるという事だ。それは「物語とは何か」という事に他ならない。

ジョージ・ミラーによる『マッドマックス』シリーズは痛快極まりないアクションを描きながらその物語の根底に「神話構造」を用いた作品だった。それは人類の始原の頃より存在する「試練の果てに栄光を手にする英雄の神話物語」の元型をなぞったものであった。こうしてジョージ・ミラーは「物語」というものが持つ圧倒的なパワーを観る者の目に焼き付けたのだ。

そしてこの『アラビアンナイト 三千年の願い』ではさらに一歩踏み込んで「では何故人は“物語”を欲するのか」を描こうとする。作品において《魔人》は自らの3000年に渡る壮絶な「愛と愛なき孤独」を「物語る」。そして主人公アリシアは《魔人》の「愛と愛なき孤独の物語」から自らの「愛なき孤独」を見出し、同時に「愛」それ自体を渇望し始める。それは「物語」を通して「願い」を請い求めようとする行為に他ならない。それは「物語」とは、孤独な生への癒しであり慰めであり、明日を生きる理由と希望を与える為のものだと訴えかけているような気がしてならない。

【TALES=テイルズ】を描く監督ジョージ・ミラー

最初に「『マッドマックス』シリーズのジョージ・ミラー」とは書いたがジョージ・ミラーは決してアクション一辺倒の映画監督ではない。フィルモグラフィを眺めると『トワイライトゾーン/超次元の体験』、『ベイブ/都会へ行く』や『イーストウィックの魔女たち』、『ハッピーフィート』シリーズといったホラー/ファンタジーを数多く監督しているのだ。一見節操が無いようにも思えるが、実はこの作品や『マッドマックス』シリーズも含め、「物語/伝承/伝説/童話」といった意味合いでの【TALES=テイルズ】の監督といえはしないだろうか。

ややこしい話は抜きにしても、前半の鬱蒼としたファンタジーテイストにはその幻惑的な映像も含めひたすら心ときめかされたし、ティルダ様のチャーミングさは最強最大のパワーで進撃してくるし、イドリス・エルバのキュッと締まったお尻も別な意味でチャーミングであった。寓意と暗喩が横溢し幾重もの意味が隠され何重もの入れ子構造になったその物語は観る者に芳醇な映画体験をもたらすことだろう。本年度ベスト級の1作となるであろうことは間違いない。

 

最近聴いたエレクトロニック・ミュージック

Orbital

Optical Delusion / Orbital

Optical Delusion

Optical Delusion

  • アーティスト:Orbital
  • London Records
Amazon

90年代UKテクノシーンを牽引した伝説のテクノ・ユニットOrbital、その彼らによる結成30年にして通算10枚目の待ちに待ったニューアルバムが遂に発表!カオスと言っていいほどに様々なリズムと様々なヴォーカルが躍り、彼ら独自のシンセサウンドが空間を切り裂き、それらが狂い咲きしているかの如くに縦横無尽に駆け巡る、ひたすらアグレッシヴかつパワフルなハイパーポップ作品!これはOrbital久方ぶりのベスト作品だな。今回のオススメ。



30 Something / Orbital

30 Something

30 Something

  • London Music Stream
Amazon

こちらは2022年にOrbitalの結成30周年を記念してリリースされた、様々なヒット曲をリワーク・リメイクしたベスト盤的アルバム。

 

Fantasy  / Romare

Fantasy

Fantasy

  • You See
Amazon

UKの新世代ビートダウン・ハウス・ニューディスコ・アーチストRomareのニューアルバム。サンプリングを駆使した音像に彼自身のヴォーカルと70年代ファンタジー映画の音声がコラージュされ、奇妙な懐かしさと未来的な新しさが同居した不思議な空間を表出させる音作りになっている。



tibasko / Tibasko

System Error

System Error

  • Another Rhythm
Amazon

イングランドハートフォードジャー出身のエレクトリック・デュオ、Tibakoの7曲入りEP。その音はブレイク・ビーツ、メロディック・テクノ、トランスによって彩られ、ドラマチックなシンセサイザーにサンプリングされた東欧民族音楽調の女性コーラスが絡みついてゆく曲「Traces」などは実にスリリング。


Garden Gaia / Pantha Du Prince

GARDEN GAIA

GARDEN GAIA

Amazon

ドイツ出身のコンポーザー/プロデューサーPantha Du Princeの新作は「自然」をテーマにしたナチュラル&スピリチュアルなミニマル・ハウス作品群。伸びやかで開放的な音の響きが実に和ませてくれる。

 

ITSAME / Brainwaltzera

ITSAME

ITSAME

Amazon

匿名アーチストBrainwaltzeraの2ndアルバム。音は繊細なシンセの波と荒々しくカットされたブレイク・ビーツとに絶え間なくジャンプし、それは一人の人間の内面とその感情の起伏を表現しているかのようだ。どこか私的なスケッチを思わせるアルバム。

 

Bucked Up Space  / Nik Colk Void

Throbbing GristleメンバーによるユニットCarter Tutti Voidのメンバーとして活躍するNik Colk Voidの初のソロ・アルバム。インストゥルメンタル・ノイズ、アブストラクトなインプロヴィゼーションなどエッジの効いた音が並ぶ。


Aqua Team / DJ Stingray 313

Aqua Team

Aqua Team

  • Micron Audio
Amazon

DrexciyaのDJでもあったデトロイトのエレクトロ・アーティストDJ Stingrayが2007年にリリースしたアルバム『Aqua Team』2部作の再編集リマスター作。デトロイト・アーチストらしいサイバーゴスパンクなディープエレクトロ。



Selectors 004 - Joy Orbison  / Joy Orbison

オランダのトップ・レーベルDekmantelによるコンピレーションシリーズ「SELECTORS」の第4弾はUKのDJ/プロデューサーJoy Orbisonがセレクトを担当。90年代UKダンス・トラックを中心に現行のベース・ミュージックまでを網羅した意欲的なコンピ。

 

Family Portrait / Ross from Friends

Family Portrait

Family Portrait

  • Brainfeeder
Amazon

ロンドン在住のDJ/プロデューサーRoss from Friendsが2019年にリリースした1stアルバム。バレアリックでローファイ、ノスタルジックでモダンなサウンド

 

お花見

日曜日は友人に誘われお花見に出掛けた。彼の住む家の近所にある公園の桜が既に満開なのだという。もうじき春とはいえまだ2月、随分早いものだなと思ったが河津桜なのらしい。ソメイヨシノよりも早咲きの桜なのだ。

お花見にはオレとオレの相方、友人と友人の娘さんとで出掛けた。最寄り駅で待ち合わせをし、途中の道すがら友人の奥さんのお骨が収められている納骨堂に寄った。納骨堂というのも初めて訪れたが、今風のクリーンでシステマティックな作りをしていて実に感心した。友人の奥さんは数年前に亡くなられたのだが、生前も懇意にしてもらっていたから、こうしてご焼香を上げられてなにかきちんとご挨拶できた気がした。

到着した公園は結構な広さがあるようなのだが、桜自体は小さな区画にこじんまりと植えられていて、ご近所さんとみられる方々が既にシートを敷いてあちこちで花見に興じていた。オレの一行も手ごろな場所を見つけてシートを拡げ、途中のスーパーで買った軽食などを頬張った。気温はそれなりに低かったが、日差しが照っていたのでそれほど寒さを感じなかった。

友人と会うのは数ヵ月ぶりだったので、その間の近況報告などを交わしたりしていた。とはいえお互いSNSにいるので、なんとなく何をやっていたのかは知ってはいるのだが。友人はいつもこの場所に家族で来ていたのだが、そのうち誰かを誘おうと思っていたのらしい。こうしてどこかに誘ってくれる人間がいるのは嬉しいことだ。オレも相方と桜を見に出掛けたことはあるけれど、他の誰かとこうして花見をするのは初めてだった。

友人の娘さんはついこのあいだ成人式を迎えられていて、友人はその時の彼女の着物姿をSNSに嬉しそうにあげていた。友人一家とはずいぶん前から付き合いがあって、最初に会った頃は娘さんはまだ小学生だった。あの頃は随分と活発なオコチャマで、オレも調子に乗って肩車してあげたり逆さ吊りをキメてあげたりしていたものだった。それが今やすっかりおしとやかなお嬢さんに成長し、大学生でそして成人なのだ。しかも今や就職を心配する時期だというではないか。全く、月日の経つのは本当に早いものだ。 

だいたい、大人同士の付き合いだと、社会や職場や趣味やSNSや健康問題に、ああだこうだとろくでもない意見を交えつつ、こいつも白髪が増えたなあ、皴も増えたなあ、痩せたな太ったなと無言で確認しあうものだ。そしてお互いが年をとったことをこれも無言で認識するのだ。だが、人様の子とはいえ、こうして一人の子供の成長に立ち会うのはどこか感慨深いものがある。世界は年老いていく者だけではなく成長しまだ踏み出していない未来のある者もいるのだということを感じさせてくれる。

お花見を適当に切り上げ、近所の神社をちょいと覗き、その後一杯やっていこうかということになる。商店街を歩いていたら餃子の店があったのでそこに入ることにして、年寄りたちはビール、新成人はまだお酒が慣れないのでウーロン茶を注文し、餃子を手始めにあれやこれやのアテにパクついた。年寄りの酒飲み話もつまらなかろうと、娘さんに大学でどんな授業を受けているのか聞いてみる。彼女は国文学専攻で、オレもまあ本ならなんとなく読むから、話を聞いていると結構面白い。

そもそもオレは大学なんぞ行ってないから、大学で大系的に文学の授業を受けるのも楽しかったかもしれないな、などとあり得なかった人生を想像してちょっと甘酸っぱい気持ちになる。ただ例によって飲み過ぎてしまい、国文学専攻の現役大学生に「やっぱこれ読んどかなきゃあかんぞう!」などと数少ない読書体験の中から知ったかぶった作品タイトルを並べてしまい、あとで素面にかえってからちょっと恥ずかしくなってしまったというのはナイショだ。まあそんな酔っ払いジジイにニコニコしながら「教授に宿題出された!」と冗談で返してくれた娘さんよありがとう。

そんなこんなでさんざっぱら痛飲しお開きという事になり、友人父娘とはお別れに。いやあやっぱり飲み過ぎてしまった。帰って早々に布団に突っ伏し、次の日はゲロゲロ言いながら一日を過ごし、夕方はきちんと酒を抜いて自らを戒めたオレであった。