「ゾンビ化する理由とは何か?」に肉薄したゾンビパニック小説『ゾンビ3.0』

ゾンビ3.0 / 石川智健 

ゾンビ3.0

 香月百合は新宿区戸山の予防感染研究所に休日出勤する。席に着いてWHOのサイトに接続すると、気になる報告があった。アフガニスタンやシリアなどの紛争地域で人が突然気絶し、1分前後経つと狂暴になって人を襲い始めるという。しばらくすると研究所内の大型テレビに、現実とは思えないニュース映像が映った。人が人を襲う暴動が日本各地で起こっているというのだ。いや、世界中で。

ゾンビパニック小説『ゾンビ3.0』はこれまで映画や小説で山ほど描かれてきた「ゾンビ化現象」の理由を解明しようと試みた画期的な物語である。ちなみに「3.0」という数字の含意は、まず魔法や超自然現象でゾンビ化する現象を「1.0」、ウィルスや細菌でゾンビ化する現象を「2.0」ととらえ、この「3.0」では「そのどれにも該当しないゾンビ化現象」を描き出そうとしているのだ。

この物語の痛快な部分は、「これまで無批判に当然のこととして描かれてきたゾンビ像」に、合理的な理由と解釈を見出そうとしている部分だ。そもそもどのような原因で人はゾンビ化するのか?から始まり、歩くゾンビと走るゾンビの違い、食われるだけの人間と齧られてゾンビ化する人間の違い、ゾンビの行動原理となっているものの理由、などなど、そう言われてみるとそれはなぜなのだろう?という事実に光を当てているのである。

それだけではなく、この物語ならではのゾンビ像が描かれ、それがまた「ゾンビ現象の真相」の在り方を面白くしている。この物語では突如全世界で同時多発的にゾンビ禍が巻き起こり、さらにゾンビ化するまでの時間は1分前後、おまけに「ゾンビに噛まれてもいないのにゾンビ化する人間」までが登場し、それによりまず「ウィルス細菌説」を真っ先に否定してしまう。ここで「ゾンビ現象の真相」を敷居の高いものにし、ではなんなのか?を描こうとする。非常に挑戦的であり、にもかかわらずそこから鮮やかな解法を導き出すクライマックスはさすがとしか言いようのない構成だ。

面白いのは作中、登場人物の一人が山のようにゾンビ映画の例を出し「これがゾンビの定説」と語る部分だ。ゾンビ映画はフィクションだが、そのフィクションが血肉化したかのように現実でゾンビ化現象が起こってしまう。すなわち現実がフィクションを後追いしてしまった世界がこの作品世界であるのだが、その作品世界自体だって実のところフィクションなのだ。こういった入れ子構造に作者の遊び心を感じる。作中で解法される「ゾンビ現象の真相」も、実のところ説明できていない部分もあることはあるのだが、そういった瑕疵を無視できる楽しさと新鮮さがこの物語にはある。

下手に全世界的に舞台を拡げず、「新宿にある予防研究所」というミニマルな舞台から決して動かない設定も斬新だといえる。一応ネット配信動画という形で世界の状況が描かれ、決して狭苦しい印象は与えはしないのだが、この「世界の状況」の描写すらいらないほど「研究所におけるドラマ」は充実している。ゾンビ禍のみに止まらないちょっとした人間関係も描かれ、これすらもいらないとは思ったが、これは作者のサービス精神の為せる業なのだろう。また基本的に7日間で終わるコンパクトさも心憎い。この7日間で世界は破滅するのか、あるいは救済を得られるのか。興味の湧いた方は是非ご一読を。

 

英雄譚の「祖型」を成す優れたダークファンタジー映画『グリーン・ナイト』

グリーン・ナイト (監督:デビッド・ロウリー 2021年アメリカ・カナダ・アイルランド映画

映画『グリーン・ナイト』はJ・R・R・トールキンが現代英語訳したことでも知られる14世紀の叙事詩『サー・ガウェインと緑の騎士』を原作としたダークファンタジー作品です。そしてこの「サー・ガウェイン」とはアーサー王伝説で知られる円卓の騎士の一人なんですね。いわばアーサー王伝説のサブ・ストーリーとなるのがこの物語なんです。物語はサー・ガウェインに課せられた恐るべき試練の行方を描くことになります。主演は『スラムドッグ$ミリオネア』のデブ・パテル、『リリーの全て』のアリシア・ビカンダー、『華麗なるギャツビー』のジョエル・エドガートン。監督・脚本は『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』のデビッド・ロウリー。

【物語】アーサー王の甥であるサー・ガウェインは、正式な騎士になれぬまま怠惰な毎日を送っていた。クリスマスの日、円卓の騎士が集う王の宴に異様な風貌をした緑の騎士が現れ、恐ろしい首切りゲームを持ちかける。挑発に乗ったガウェインは緑の騎士の首を斬り落とすが、騎士は転がった首を自身の手で拾い上げ、ガウェインに1年後の再会を言い渡して去っていく。ガウェインはその約束を果たすべく、未知なる世界へと旅に出る。

グリーン・ナイト : 作品情報 - 映画.com

サー・ガウェインは”緑の騎士”から「我に一太刀浴びせた者に強力な戦斧を授ける。ただし1年後その者は我より同じ一太刀を浴びせられる」というゲームを持ち掛けられ、勇気を示すためその挑戦に応じて”緑の騎士”の首を切り落とします。しかしそれは1年後に自分も”緑の騎士”から自らの首を切り落とされるという事に他ありません。そして1年後、サー・ガウェインは”緑の騎士”が指定した聖堂を探しに旅に出るのですが、その道中様々な怪異や不可思議な出来事、追いはぎや亡霊、超自然の存在と出会うことになるのです。

サー・ガウェインが旅しその目の前に映し出される光景は寒々とした荒野と鬱蒼と茂る原生林、人が足を踏み入れる事を拒む原初の自然です。それらはよく知った自然のように見えながら既にして「異界」なのです。それは過酷であり恐怖に満ち、妖しくもまた美しく、観ていて心をかき乱されるような風景です。物語の舞台となるのであろう中世には、これら自然の風景は命すら奪いかねない危険に満ちた恐怖の対象であったでしょう。こういった畏敬すら覚えさせる自然の風景が次々と映し出されるのもまたこの作品の大きな魅力の一つです。

このサー・ガウェインの冒険の旅は試練の旅であり通過儀礼の旅でもあります。こういった物語構造は神話学者ジョーゼフ・キャンベルの著書『千の顔を持つ英雄』において「神話の元型である」と述べられています。英雄はごく日常の世界から自然を超越した不思議の領域に旅し、途方もない存在と出会い決定的な勝利を手にし、仲間に恵みをもたらす力を得て帰還するのです。これは古くはギルガメシュオデュッセウスの冒険、近年では映画『スターウォーズ』や『マッドマックス』シリーズにおいても繰り返し再話される「英雄による冒険譚」の【祖型】となるものなのです。

サー・ガウェインのその旅は「栄光を得るための旅」ではありません。それは”緑の騎士”に自らの命を差し出すための旅なのです。いわば「喪失のための旅」であり、「己の生死を超克するための旅」とも言えるのです。これはあの『指輪物語』も同様の構造を持ちます。主人公フロドは「栄光を得るための旅」に出るのではなく強大な力を持つ指輪を捨てるための旅、即ち「喪失のための旅」に出ることになります。その命と等価ともいえる「喪失」と引き換えに、旅人は「英雄」となります。「喪失」とは即ち強力なイニシエーションなんです。

映画『グリーン・ナイト』はこうした古代から繰り返し再話されてきた【英雄譚】の構造を持った物語です。こういった構造を成す物語がなぜ人の心を突き動かし連綿と語られ続けているのかは、例えばユングが「集合的無意識」といった術語を使用して説明していますが、実際のところはよく分かりません。それは「神」や「宗教」が生み出される人間心理、「人間の生の本質」と関わっている事なのかもしれません。ただ、これが強固で強大な物語の形であることは間違いなく、それは時代を超越したものである、ということだけは確かです。すなわち映画『グリーン・ナイト』は時流や時世を飛び越えた圧倒的なまでのド直球なダークファンタジーであり、このジャンルの新たなマイルストーンとして語られるべき強力な作品だと言えるのではないでしょうか。

 

デヴィッド・ボウイ自伝映画『ムーンエイジ・デイドリーム~月世界の白昼夢~』のサントラがとてもよかった

Moonage Daydream - A Brett Morgen Film (Soundtrack) / David Bowie

ムーンエイジ・デイドリーム~月世界の白昼夢~ サウンドトラック (特典なし)

来年公開予定のデヴィッド・ボウイ自伝映画『ムーンエイジ・デイドリーム~月世界の白昼夢~』。オレも公開をまだかまだかと首を伸ばして待っているのだが、先頃そのサウンドトラックアルバムが先行して発売され、早速購入して聴いてみた。で、これがなかなかに聴き応えのあるサントラアルバムだったのだ。

ボウイ自伝映画のサントラというとボウイのベストアルバム的なものになっちゃうのは必至だが、正直ボウイのアルバムはほとんど持っている上にベストアルバムすら3枚4枚と持っているオレや筋金入りのファンの方にとっては、「今度はサントラでのベストアルバムねえ……買うけど」と思っちゃいそうだが、このサントラはその予想を覆し、一味も二味も違うアルバムになっている。

確かにサントラ『ムーンエイジ・デイドリーム』は映画で使用されるのあろうボウイの綺羅星の如きベストソングが網羅されているのだが、「全曲まるまる」という曲はそれほど無く、聴いた事のないバージョンやライブ曲、サントラならではの自由なミックスやエディットが次々と展開し、年季の入ったファンのオレですら「こんな方法があったのか?!」と驚愕しまくる編集になっているのだ。そしてそれらの曲が有機的に繋がり、あたかもアルバム2枚に渡って鳴り渡る「デヴィッド・ボウイ組曲」として完成しているのである。

この、CD2枚2時間20分に渡り収録されるこれらの曲の流れは、そのまま映画の流れという事なのではないだろうか。CDの帯にある収録曲とそのバージョンの記載を撮影したので見てもらうと分かるだろうが、それぞれの曲がカットアップされ、メドレーのようなって連なっている。これらがあたかもボウイのアーチスト人生を走馬灯の如く再現する構成となっているのだ。いわばボウイ曲のメガミックスという事なのだが、今までありそうでなかった仕様だろうと思う。それにしても、もうサントラ聞いた段階でボウイ自伝映画は傑作認定だろ……。

映画『ムーンエイジ・デイドリーム~月世界の白昼夢~』予告編

スリラー映画『ザ・メニュー』は決して宮沢賢治の『注文の多い料理店』ではなかったッ!?

ザ・メニュー (監督:マーク・マイロッド 2022年アメリカ映画)

その料理店に来た客は……髪をとかし履き物の泥を落とされ、金属製のものを全て外され、顔と手足にクリームと酢の匂いのする香水を塗らされ、そして最後に体中に塩を擦り込むように要求された……いったい客たちの身に何が待っているのか!?レイフ・ファインズ、アニヤ・テイラー=ジョイ主演のスリラー映画『ザ・メニュー』の始まり始まり!……ってそれは宮沢賢治の『注文の多い料理店』やないかいッ!?

えー、とてもつまらない冗談で失礼しました。というわけでレイフ・ファインズ、アニヤ・テイラー=ジョイ主演のスリラー映画『ザ・メニュー』です。孤島のレストランにやってきた客たちがとっても怖い目に遭っちゃう!?というスリラー、というかこれもうホラー映画ってことでいいんじゃないですかね。なるべくネタバレ無しで書いていこうかと思います。

【物語】有名シェフのジュリアン・スローヴィクが極上の料理をふるまい、なかなか予約が取れないことで知られる孤島のレストランにやってきたカップルのマーゴとタイラー。目にも舌にも麗しい料理の数々にタイラーは感動しきりだったが、マーゴはふとしたことから違和感を覚え、それをきっかけに次第にレストランは不穏な空気に包まれていく。レストランのメニューのひとつひとつには想定外のサプライズが添えられていたが、その裏に隠された秘密や、ミステリアスなスローヴィクの正体が徐々に明らかになっていく。

ザ・メニュー : 作品情報 - 映画.com

陸地から遠く離れた孤島に建つ超高級レストラン「ホーソン」。天才シェフ・スローヴィクが仕切るこの店では今日も究極にして至高のフルコースメニューが供されます。予約すらまともに取れないこんなレストランにやってくるのはセレブたちばかり。で、スローヴィクは料理を1品出すごとに「これは大自然のアレのコレをソレしたものなのです!」とかなんとか能書きを垂れるんですね。「地球がッ!生命がッ!エコがッ!サステナブルがッ!」とかなんとかもっともらしくてなんだか意識高そうでとりあえず言っておけば時流に乗ってるぜオレカッコいいぜ的な文言も付けくわえたりしてね(あ、サステナブルは多分言ってないな!)。

そして客たちも「おお!これはアレのソレ!しかし隠し味はコレ!私たちは《い・の・ち》を食べている!」とかなんとか分かったような分かんないようなとりあえず分かったふりしとけば頭よさげに見えるしオレカッコいいぜ的な文言をほざきながら有難がって半ベソかきつつ料理を食ってるわけなんですよ。

で、実際出てくる料理はですね、いわゆる「分子ガストロノミー」みたいなものなんですが、もっと言うならば料理というよりも料理という概念、コンセプトとしての料理、料理の名を借りたシェフの精神の高次な表現なんですね。概念を食っても腹は膨れないと思うんですが、セレブの皆さんは別にお腹が減ってこのレストランに来ているわけではなくて、「セレブしか入ることの出来ない超高級レストランの究極にして至高のフルコースメニュー」というステータスを食いに来ているともいえるわけです。

ウザイ強調表現を乱舞させながら何を言いたいのかというと、この映画『ザ・メニュー』は、これら全部を虚仮にし笑いものにし、血と死と殺戮と炎の中に放り込んでしまえ!ということを目的とした映画なんですよ。要するに全部皮肉なんですよ。まあ結構怖いシーンも沢山あるんですが、ホントはこの映画、コメディ映画なんじゃないですかね?

まあ実のところ物語には狂人とバカしか出てこない上に、途中でネタ切れ起こして同じ事の繰り返しになりウンザリさせられました。狂人とバカって物事ををご破算にするしか能がないんで、この組み合わせで物語作ったって面白くなるわけがないんですよ。こんな役立たずな脚本ながら主演のアニヤ・テイラー=ジョイが安定の大活躍をしていて、孤軍奮闘の戦いを見せてくれる部分でなんとか救われるんですが、それにしてもなんだよあの歯切れのよくないラストは。どちらにしろオレ、戦おうとするヤツのいない話って基本的に嫌いなんですよね。

 

 

『RRR』の次に観るべきインド映画は『マスター/先生が来る!』だッ!!

マスター/先生が来る! (監督:ローケーシュ・カナガラージ 2021年インド映画)

畳みかけるような超絶パワーに満ち満ちたインド映画『RRR』の大ヒットは皆さんご存じだろう。『RRR』を観てインド映画の凄まじさ、面白さをとことん味わうことができただろうが、そんな中で「インド映画ってよく知らないけれど、『RRR』みたいな面白い映画って他にあるのかな?」と思われた方も多いのではないだろうか。そんな方々に朗報だ。今現在ロードショー公開されているインド映画『マスター/先生が来る!』こそが「おもしろインド映画ロス」に悩まされている皆さんが今観るべき映画、そして観て決して後悔しない映画なのだ!

【物語】名門大学教授のJDは、腕っぷしの強さと行動力で学生たちに人気だったが、彼が実施を主張した学生会長選挙で暴動が起こったため、責任をとることに。教授職を辞し、新たに地方都市の少年院に赴任したJDだったが、その少年院は地元ギャングのバワーニに支配され、少年たちが犯罪と暴力に染まる劣悪な場所だった。JDは少年たちの更生のために立ち上がる。

マスター 先生が来る! : 作品情報 - 映画.com

主役であるJDを演じるのはインド:タミル語映画界のスーパースター、”大将”ことヴィジャイ。単に「スーパースター」と書いても伝わらないかもしれないが、現地での彼への熱狂は神懸かりと言っていいぐらい凄まじい。日本でも何作か主演作が公開され、DVDやオンデマンドで観ることができる(筈)。ヴィジャイの敵役バワーニ役を演じるのがこれまた「タミル民の宝」と評される個性派俳優ヴィジャイ・セードゥパティ。監督は先頃日本でも公開された『囚人ディリ』のローケーシュ・カナガラージが務める。

さて今作の主人公となるJD、これがもうなにからなにまで破天荒な大学教授。頭はよく腕っぷしも強い優男だが、酒好きでアル中気味なのが玉に瑕。今日も今日とて酔い潰れて学校に行けない所を、生徒たちが賑々しく歌と踊りで鼓舞し、自分も気持ちよくなって踊りながら出勤だ!なんなんだね君は!?ところがすわ暴力沙汰ともなればたった一人で暴漢どもをちぎっては投げちぎっては投げ、魔人の如き無敵さを見せつける!いったいどんな大学教授なんだね君は!?物語はそんなヤンチャで破天荒過ぎる教師が少年院に赴任させられる所から始まるのだ。

一方、暴力と殺人を繰り返して暗黒街を牛耳り、悪逆の限りを尽くす男が登場する。奴の名はバワーニ。奴は少年たちを酒と薬漬けにして手足として操り、非道な行為に手を染めさせる卑劣漢だった。JDの赴任する少年院は、実はそんなバワーニの魔の手に陥っていたのだ。それを知ったJDはバワーニを叩き潰すために闘志を燃やすんだ。こうして冷酷極まりない暴力団ボスとヤンチャな剛腕教授との血で血を洗う抗争を描いたバイオレンス・ストーリーの始まり始まり!というわけなんだね。

ローケーシュ・カナガラージ監督の前作『囚人ディリ』でもその暴力描写は凄まじいものがあったが、この『マスター/先生が来る!』における暴力シーンもまた情け容赦ない。カナガラージ監督の描くバイオレンスは重く、熱く、暗い。こってりとしつこく、そしてじわじわと暴力の興奮をスクリーンに叩き付けてゆくのだ。冒頭にJDが演じる見栄えのいいアクションなんて実はおふざけみたいなもの、後半に行くほど展開するアクションは重量級となり、相手を叩き潰す快感が、観る者の脳髄に痺れるように響き渡るのだ。カナガラージ監督の映画は恐るべきことに、観ている者に暴力衝動を誘引するのである。

また、この作品がこれまでのヴィジャイ主演作品とは一味違う仕上がりになっている部分も注目すべきだろう。実のところ、オレがこれまで観たヴィジャイ主演作品は「完全無欠のカリスマスーパースターが快刀乱麻にトラブルを解決する」という、ある意味ジャニーズタレントが水戸黄門をやっているような予定調和に満ちたものだった。しかし今作において、主人公JDはアル中というメンタルの弱さを持ち、それによって失敗し、その後も決して万能ではないことによる危機に陥れられる。そういった、「決して万能はない、弱さを持つ主人公」を演じたことにより、ヴィジャイ主演作として画期的な作りとなっているのもまたこの作品なのだ。

ヴィジャイ主演作品

ヴィジャイ・セードゥパティ主演作品

ローケーシュ・カナガラージ監督作品