アフロフューチャリズムとブラック・フェミニズムの物語/映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエヴァー』

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエヴァー (監督:ライアン・クーグラー 2022年アメリカ映画)

国王ティ・チャラ/ブラックパンサー亡きあと

MCU映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエヴァー』は前作で主役を演じたチャドウィック・ボーズマンの突然の死去により、どのような形で製作され、どのような物語になるのか?が最大の関心事だった。代役を立てないことはあらかじめ知ってはいたが、それでは2代目ブラックパンサーは誰がなるのか(まあだいたい予想は付くけど)?それと併せ、物語はワカンダ王ティ・チャラの死から描かれるのは必至であり、そこからどのように物語に繋げてゆくのかに興味があった。今回は多少ネタバレありなのでご注意を。

《物語》超硬度を持ち超エネルギーを生み出す貴重な鉱石ヴィブラニウムを産出し、アフリカに高度な科学文明社会を築いたワカンダ王国。その王ティ・チャラはブラックパンサーとして平和のための戦いを繰り広げてきたが病により命を落とす。空虚と悲しみに包まれたワカンダはようやく新たな一歩を踏み出そうとしていたが、そこに新たなる脅威が訪れる。謎の海底王国タロカンの王ネイモアが人類を倒すための共闘かあるいは死かの選択を迫った来たのだ。

アフロフューチャリズムとブラック・フェミニズム

チャドウィック・ボーズマン亡きあとに製作された『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエヴァー』は、様々な面において革新的であり驚くべきコンセプトを持ち出してきた作品だった。1作目では「黒人たちによる幻想の千年王国」という卓越したコンセプトを持ち込みこれを描き切ることにより大成功を収めたが、この2作目で描かれるのはそれをさらに推し進めたアフロフューチャリズムの世界なのだ。アフリカの架空の王国ワカンダは白人文明と何ら関わることなく、黒人たちが自らの手により繁栄させた世界最高の科学文明社会として描かれるのだ。

そしてもう一つが、これがブラック・フェミニズムの物語であるという事だ。国王亡き後新たにワカンダを統べるのは国王の母ラモンダだ。その警護は女性戦士オコエの率いる女性親衛隊ドーラ・ミラージュであり、ラモンダ女王が心の拠り所とするのは娘であるシュリとなる。新たな戦いにおいてシュリが頼るのは黒人天才少女リリでありワカンダの女性スパイ・ナキアである。全てにおいて黒人女性の登場人物で占められており、同時に強力なのだ。物語全体においても男性も、白人も、たいした役に立っていない。前作が「黒人が主役」の物語として画期的だったのが、今作では「黒人女性が主役」としてさらに画期的なものとなっているのだ。

古代アメリカ文明の末裔

さらにこの物語を独特なものにしているのはその敵役の背景である。海底王国タロカンとその王ネイモアはスペイン人の侵略により滅亡した古代アメリカ文明の末裔なのである。彼らは白人世界への復讐を誓いその滅亡を願うが、それは彼らの残酷な歴史があったからこそであり、決して邪悪極まりない存在だというわけではないのだ。そして彼らの立場は、白人世界の脅威にさらされる有色人種民族として、そうであったかもしれないワカンダだともいえるではないか。だからこそネイモアはワカンダに共闘を持ち掛けるのである。

しかし既に白人世界に対し優位であり、同時に平和を愛するワカンダに共闘の意思はない。そして白人世界側に付くワカンダはタロカンの最大の脅威となる。これによりワカンダ/タロカンの絶望的な戦争が勃発してしまうのである。この、白人世界の存続を巡り有色人種同士が戦闘行為に突入すること自体に悲哀を感じてしまうのだが、例によってその中心であるべき白人世界の登場人物たち殆どが事態を理解できない役立たずばかりで、この辺りにもこの作品における白人社会への皮肉を感じざるを得ない。

新たなるブラックパンサーの誕生

こうして描かれるこの作品は、驚くべきことに3時間余りの長丁場のその半分を過ぎても「主役となるスーパーヒーローが全く登場しないスーパーヒーロー映画」という、異例の展開を見せる。さらにその「長丁場のその半分」にずっと出ずっぱりとなるのは、なんとワカンダ女王ラモンダなのだ。この前半の主人公は彼女だと言ってもいいし、ひょっとして次代ブラックパンサーのコスチュームを着るのはまさかとは思うがこのラモンダ女王なのか!?と一瞬思ってしまったほどだ。しかしこれらは、主役男優亡き後の演出の難しさを、最大限誠意を持って描く事により克服しようとした結果なのだろう。

そしてこの望まれない戦争の中心となるのが、今は亡きティ・チャラ/ブラックパンサーの妹で、ワカンダ王国の王女でありヴィブラニウム工学の天才科学者・発明家でもあるシュリなのだ。彼女の双肩に掛かる責務は重い。あまりに重い。ただでさえ愛する兄を失ったばかりなのだ。ネタバレしちゃうが次代ブラックパンサーになるのも彼女だ。演じるレティーシャ・ライトは小さくて細身で華奢で、物語にしても役柄にしてもよくぞまあこれだけの重圧を耐えて最後までやり通したと思う。

彼女は筋肉があまりついておらず、アクションシーンの見応えは残念だけれども薄い。ぶっちゃけ、ブラックパンサーというよりキャットウーマンかと思っちゃったぐらいだ。これだけ見た目がひ弱なMCUヒーローはいないだろし、今後のユニバース展開においても他のヒーローと比べるなら見劣りするかもしれない。しかし、だ。だったらだったで、彼女のそんな特徴を生かして特色にしてしまえばいいじゃないか。マッチョばかりのMCUに知的で華奢なマスクドヒーローを加えればいいだけの話だ。少なくとも『ワカンダ・フォーエバー』の彼女は称賛に値する演技をやり通したし、オレはそんな彼女に存分にエールを送りたいのだ。

ロバート・W・チェンバースとアルジャーノン・ブラックウッドの怪奇小説を読んだ

黄衣の王 / ロバート・W・チェンバース (著)、BOOKS桜鈴堂 (翻訳)

ロバート・W・チェンバースの代表作にしてクトゥルー神話の原点、待望の新訳版!!自殺が合法化された世界で、狂気の野望に取り憑かれた男の顛末を描く「名誉修繕人」。大理石に変じた恋人を巡る芸術家たちの幻想譚「仮面」。不気味なオルガン奏者からの逃亡劇「ドラゴン小路にて」。不吉な夢に追い詰められてゆく恋人たちの悲劇を描く「黄の印」。呪われた戯曲『黄衣の王』を軸に、日常を侵食する邪悪なるものの恐怖を、不穏で緻密な筆致で描く4連作。著者チェンバースの代表作にして、怪奇文学に決定的な影響を与えた傑作ホラーサスペンス。

以前読んだ『彼方の呼ぶ声:英米古典怪奇談集Ⅱ』に収録されていたロバート・W・チェンバース作品「イスの令嬢」がとても面白かったので、この作家の作品をまとめて読んでみようと思い単行本を手に取ってみた。すると冒頭の1作目から異様極まりない作品が並び、これは大当たりだったかな、と思わされた。

この短編集『黄衣(きごろも)の王』に収められた4編は、読めば狂気へと誘われるという奇書「黄衣の王」を巡る物語となる。まず1作目「名誉修繕人」からして異様な狂気に包まれた作品だ。冒頭から描かれる20世紀初頭のアメリカの情景にまず違和感を覚える。そして読み進めてみるとこれは現実には存在しなかったもう一つのアメリカであることが分かってくる。そこで描かれるのは己がこの世の王になると信じ切っている男の歪み切った幻想と恐るべき殺戮計画ついての物語なのだ。

この狂気を生み出した書物「黄衣の王」の一節が本編で引用されるが、そこには「二つの太陽がハリ湖に沈む古の都カルコサ」なる記述があり、ここで物語の異様さは最高潮を迎える。調べるとこの「カルコサ」とは「別の宇宙に存在する呪われた都市の名」であり、A・ビアスの小説で初めて使用されその後チェンバースが流用した語句で、さらにその後クトゥルフ神話作家により神話体系に組み込まれたのだという。すなわちチェンバースの『黄衣の王』は実はクトゥルフ神話の祖型となる作品だったのだ。

続く「仮面」は生物を生きたまま石化させる薬品を生み出した男が描かれるが、これなどもクトゥルフ神話的味わいを持つ作品だと言えるだろう。「ドラゴン小路にて」は「黄衣の王」を読んだ男の強迫観念的な追跡妄想が延々描かれるやはり狂った物語。「黄の印」はやはり「黄衣の王」を読んでしまった男女が悪夢に憑りつかれ「黄衣の王」を思わせる死霊の幻影に怯えながら破滅してゆくというお話。

使者 / ロバート・W・チェンバース (著)、BOOKS桜鈴堂 (翻訳)

クトゥルー神話の祖、ロバート・W・チェンバース、本邦初訳の連作短編集! ラブクラフト、そしてクトゥルー神話世界に絶大な影響を与えた古典ホラーの名作、 『黄衣の王』の著者、ロバート・W・チェンバースによるミステリホラー。19世紀末、 フランスの異郷ブルターニュ地方を舞台に、アメリカ人画家ディック・ダレルの活躍を描く。 「紫の帝王」、「葬儀」、「使者」の3編を収録。

『黄衣の王』を読んだ余勢をかってチェンバースのもう一つの短編集『使者』も読んでみた。『黄衣の王』と違ってクトゥルフ神話的要素は存在せず、耽美かつ抒情的で幻想味の強い作品が並ぶ。収録の3作は連作となっており、超自然的要素のある作品は3作目「使者」のみ。「紫の帝王」は希少種の蝶コムラサキを巡る犯罪ミステリ、2作目「葬儀」は1作目のエピローグ的な小編。ラスト「使者」では映画『羊たちの沈黙』でもお馴染みの「髑髏蛾」をモチーフにしながら太古から蘇りし悪霊との対決を幻想的に描く。

木の葉を奏でる男: アルジャーノン・ブラックウッド幻想怪奇傑作選 / アルジャーノン・ブラックウッド (著)、BOOKS桜鈴堂 (編集, 翻訳)

イギリス古典怪奇小説の巨匠、アルジャーノン・ブラックウッド。 その知られざる一面に光を当てるオリジナル短編集、堂々の刊行!! ドナウ流域、アルプスの雪山、エジプトの砂漠、カナダの大森林―― 文明の力の及ばぬ大自然を舞台に、怪奇幻想談の名手ブラックウッドの筆が冴え渡る。 ホラー史に残る代表作「柳」、「ウェンディゴ」に本邦初訳となる作品をくわえ、 自然との交感をテーマに集められた九つの中短編を収録。

この『木の葉を奏でる男: アルジャーノン・ブラックウッド幻想怪奇傑作選』はやはり以前読んだ『夜のささやき、闇のざわめき:英米古典怪奇談集Ⅰ』収録の「死人の森」が印象的だったので作者の作品をまとめて読んでみようと思い手に取った。全体的に思えたのは前出「死人の森」でもそうだったように非常に自然描写が瑞々しく豊かであり、その自然への畏敬、恐怖がメインテーマとなっているということだった。同時に男女の情愛を宿命的に描くロマンチックな作品も目立った。

ホラー史に残るとされる冒頭作品「柳」はドナウ川を川下りする二人の男が荒天により中州でキャンプをすることになったが、そこに生い茂る柳の意思を持つかのごとき蠢く姿に異形の存在を垣間見てしまうというもの。確かに強風にたなびく柳の枝の動くさまは不気味ではあるが、そんなに怖いかなあというのと、荒天なら中州になんかキャンプしないで陸地に行けよというのと、とりあえず身の危険を感じたら四の五の言わず逃げるのが優先なんじゃないのか、などといろいろ考えてしまった。

 「転生の池」「オリーブの実」は栄光に満ちた前世の記憶が蘇った男女の姿を描く幻想譚。 「雪のきらめき」はいうなれば雪女物語。 「微睡みの街」は猫の町に取り込まれた男の物語。 「砂漠にて」は砂漠を彷徨う男女の呪われた宿命のお話。「死人の森」は割愛。 これも傑作と名高い 「ウェンディゴ」は森に住まう伝説の魔物と対峙してしまったハンターたちの運命を描く恐怖譚。暗く妖しい森林の描写が素晴らしかった。 「木の葉を奏でる男」は森に出没する浮浪者と知り合った男が目撃する自然の神秘を描きこれも瑞々しい描写が印象的だった。

ロックよもやま話:オレとパブリック・イメージ・リミテッド

John Lydon

10代後半の頃はニューウェーヴと呼ばれるロック・ジャンルをよく聴いていたが、その中でもジョン・ライドン率いるパブリック・イメージ・リミテッドは、オレにとって「神」扱いしていたバンドだった。

70年代半ばに始まったロンドン・パンク・ムーブメントはセックス・ピストルズをはじめザ・ダムドやクラッシュ、ジャムなどのバンドを輩出した。それまでの商業主義化したロック・ミュージックに反旗を翻しDIYの精神をモットーにシンプルなロックンロールの復権を目指したのがパンクだった。オレも当時デビューしたてのセックス・ピストルズの1stアルバムを聴いたが、それまでプログレやグラムを聴いていた耳には「なんだこれは」と戸惑ったのと同時に衝撃的でもあった。いやもう音がうるさい上に金属的過ぎて。しかしその音が大型重機よろしくこれまでのロックを解体してしまったのだ。

しかしそのパンク・ムーブメントも短期間で終焉(音的にシンプル過ぎて潰しが効かなかったのだ)、そこからポスト・パンク、あるいはニューウェーヴと呼ばれるジャンルが勃興する。パンクが更地にしたロックの土壌に新しいロック・ミュージックを鳴り響かせようと試行錯誤した音がニューウェーヴだったのだ。オレも単純でやたら喧しかったパンク・ロックの音よりもこのニューウェーヴの音のほうがすんなり入っていけた。かのセックス・ピストルズのジョン・ロットンも「ロックは死んだ」と捨て台詞を残してピストルズを脱退、ジョン・ライドンと名前を変えてニューウェーヴ・バンド、パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)を結成する。

自らの新しいバンド名をPublic Image Limited=「(パンクという)世間のイメージの限界」と称したジョン・ライドンという男はやたら皮肉な男なのだろう。しかしこの皮肉ぶりこそがイギリス流と言えるのだ。そしてその皮肉は既存概念への否定・批判・批評となって、彼の生み出す音楽、歌詞、アルバムのプロダクツイメージに表出することになる。常にユニークな、それは「変わっている」という意味ではなく、本来の語義である「他に類を見ない」「比類のない」「独特な」ものとして生み出されることになるのだ。批評的である事がロックであるとすれば、PILはまさにロック的なバンドだったのだ。

とはいえ、PILが真に先鋭的だったのは初期の数枚のアルバムに限定されると思う。それは1st『パブリック・イメージ』2nd『メタル・ボックス』3rd『フラワーズ・オブ・ロマンス』までだ。4th『ジス・イズ・ホワット・ユー・ウォント』からはロットンの皮肉な異端児ぶりこそ健在だが、音は彼が嫌っていたはずのハード・ロックにどんどんと近付いてゆく。常に先鋭的であろうとすることは、実は人を疲弊させるものでもあるのだ。そして反逆的であることを当為してしまうことが、それ自体が反逆的であることから逸脱してしまうという皮肉を、ロットン自身が体現してしまったのだ。

そんなPILの真に先鋭的だった初期アルバムをざっくり紹介しよう。

『パブリック・イメージ』 - Public Image: First Issue (1978年)

PIL誕生の禍々しい産声に満ちたデビュー・アルバム。9分に渡る1曲目「テーマ」から既にヘヴィーでフリーキーなニューウェーヴサウンドを展開し、「レリジョン」で宗教をこき下ろし、「パブリック・イメージ」でピストルズ時代に引導を渡し、「ロウ・ライフ」でマルコム・マクラーレンに唾を吐きかけ、ラスト「フォダーストンプ」で既に実験的なダブ・ミュージックに突入している。ジャケット・スリーブは洒落のめしたスーツを着たメンバーが著名雑誌を模したようなポーズで写真に納まっているが、それ自体がPILの皮肉なのだろう。というかちょっと待てよ、このアルバム今聴いても最高だな!

『メタル・ボックス』 - Metal Box (1979年)

メタル・ボックス(セカンド・エディション)

メタル・ボックス(セカンド・エディション)

  • アーティスト:P.I.L.
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon
Metal Box

Metal Box

Amazon

45回転LP3枚組、ジャケットは丸いブリキ缶製、ということで大いに話題になった2ndアルバム(通常の紙ジャケットもあり)。1979年に発売された当時、オレを含めた周囲5人ぐらいのニューウェーヴ・ファンにとってこのアルバムはなにしろ衝撃的だった。超重低音のダブ・ベース音が1曲目から延々とのたうち回る化け物じみた曲が並んでいたのだ。そこに金属音めいたギターと呪術的なヴォーカルが重なり、唯一無二のサウンドを展開していたのがこの2ndアルバムだった。当時のニューウェーヴサウンドは、XTCにしろポリスにしろレゲエ/ダブ手法の応用で画期的な音を出していたが、このアルバムもその素晴らしい成功例の一つだろう。当時はこの『メタル・ボックス』こそがニューウェーヴサウンドの最先端であり「神」アルバムでもあった。

『フラワーズ・オブ・ロマンス』 - The Flowers of Romance (1981年)

『メタル・ボックス』で調子に乗ったベーシストを解雇し、ベース抜きで製作されたのがこの3rd。メインとなるのは和太鼓のような野太いドラム音であり、そこにギター・シンセサイザーとミュージック・コンクレートのように編集されたテープが重なり、非常に前衛的なサウンドを形作っている。というか前衛を目指したというより、「ベースなんか無くったって音楽は作れるぜ」というライドンの逆張り精神、当てつけによって丸々1枚のアルバムを作った、というひねくれた経緯があったような気もする。ライドンはいつだって皮肉屋なのだ。そしてそれでもこれだけ完成度の高いアルバムを生み出せる部分に凄みがあった。だいたい、「ロマンスの花」というタイトル自体、皮肉以外の何者でもない。

P.I.L.パリ・ライヴ』 - Paris au Printemps (1980年)

2ndと3rdの間にリリースされたライブ・アルバム。演奏にしろコンセプトにしろ特に画期的な事をやっているわけではないが、全体的にピリピリとした緊張感が漂い、ライブの高揚を全て否定したような異様なアルバムとなっている。なにより、会場で騒ぐ観客に「だまれ(Shut up)」と冷たく言い放つライドンの声が収録されており(下の動画で聞ける)、このアルバムの異様さをさらに増しているのだ。

さてここからは余談だが、PILにハマっていた高校生の頃、ジョン・ライドンみたいなヘアスタイルにしたくて、でもオレの住む究極にして最底辺のド田舎にはこんな頭に切ってくれる床屋があるはずもなく、だから「パンクの精神はDIYだ!」とばかりに自分で髪の毛をザクザク切り、その頭で学校に行っていた。そしてクラスメイトの反応は「いいお笑いネタができた」であった。

最近聴いたダブとダブテクノ / Pig & Dan、Grayscaleレーベルのアルバムを中心に

Pig & Dan

Pig & Danとその他のダブ・アルバム

Destination Unknown 2 / Pig & Dan

Destination Unknown 2

Destination Unknown 2

  • アーティスト:Pig & Dan
  • Bedrock / Hyper
Amazon

スペインを中心に活躍し、数々のフロア・ヒットを飛ばすプログレッシブ&テックハウス・デュオ、Pig&Danの最新3枚組アルバム。ダブテクノをベースに、ゆったりとしたテンポでトリップホップ、瞑想的なチルアウト曲が続く1枚目から始まり、2枚目ではそれが徐々にディープなラテンソウルのテイストを帯び始める。3枚目はヒップホップから始まり、それはジャズ、レゲエの喧騒へと収斂してゆく。3枚のアルバムそれぞれが朝、昼、夜を象徴し、それはあたかも音楽に満ちた豊かな一日を描き出したシンフォニーであるかのようだ。下のYouTube動画リンクではイギリスのトップDJ、John Digweedによるアルバム曲のミックスが聴くことができる。

Stepping Into A New Age 1980 - 2012 / New Age Steppers 

New Age Steppersがこれまでリリースした4枚のアルバム『The New Age Steppers』(1980)、『Action Battlefield』(1981) 、『Foundation Steppers』 (1982)、『Love Forever』 (2012) と、レア&ダブ・ヴァージョンを収録したアルバム『Avant Gardening』(2021)の5作品をオールインワンにパッケージしたボックスセット。CDセットだと4000円程度するが、BleepからのD/L版ならなんとUSD9.99(1500円ぐらい)! まあしかし、通して聴いて思ったのは、アリ・アップはあまり歌が上手くないよな、ということであった……。

Megabit 25,1992-Dub / Prince Far I 

Megabit 25, 1992-Dub

Megabit 25, 1992-Dub

  • Tamoki Wambesi Dove
Amazon

「プリンス・オブ・サンダー」ことプリンス・ファー・Iの死後、1997年にリリースされたアルバムだが、実際はオリジナル・アルバムではない。本作のプロデューサーであるロイ・カズンズの過去のカタログにプリンス・ファー・Iのヴォーカルをミックスしたものなのだ。とまあそんな経緯がありつつもダブ・アルバムとしての破壊力は抜群で、むしろ灰汁の強いプリンス・ファー・Iのヴォーカルを上手い具合にダブの中に落とし込んでいるように感じる。

 

リトアニアのダブテクノ・レーベル、Grayscaleのアルバム

Grad_U

Greyscaleは2012年にリトアニアのプロデューサーでDJの Grad_UとフォトグラファーのRima Prusakovaによって立ち上げられた、ダブテクノを中心にリリースするレーベルだ。アルバム・ジャケットはどれもRusakovaによる静謐なモノクロ写真で統一され、アルバム曲の瞑想的な曲調を暗示するのだ。ダブテクノというとなにしろミディアムテンポのミニマルなビートとズブズブな重低音がひたすら延々と続く催眠的なジャンルなのだが、このGrayscaleレーベルのアルバムは一条の美しさが煌めいていてオレはちょっと気に入っている。

Surrealismus / Sraunus

Surrealismus

Surrealismus

  • Greyscale
Amazon

ダブテクノ・アルバムはどれも似たような音に聴こえるものだが、このSraunusのアルバム『Surrealismus』は静謐さの中にも時折美しい音の輝きが響き、あたかも内宇宙に深く潜航し旅を続けているかのような密やかな喜びを感じさせてくれる。

Echo Train / Extractor

Echo Train

Echo Train

  • Greyscale
Amazon

Extractorはウクライナ出身の写真家でありミュージシャンである。この『Echo Train』はダブテクノと呼ばれる音の要素を全て持ち合わせ、ある意味非常にバランスの良いダブテクノ・アルバムだということができる。

Static Phase / Lotech/Hijack

Static Phase

Static Phase

  • Greyscale
Amazon

カナダ出身のダブテクノ&アンビエント・プロデューサーLotech/Hijackのアルバムはゆったりとした音の中に静かな安らぎがあり、密やかな暖かさすら感じる。チルアウト・サウンドとして最高だろう。

Rope Of Sand / Das

Amazon Music - DasのRope Of Sand - Amazon.co.jp

Dasによる2枚組ダブテクノ・アルバムは全10曲156分に渡る「Rope Of Sand」組曲。なんだか砂漠に立ち尽くして終わることなく風の音を聴かされているような気にさせられる。

Mood Compiled / Various

Mood Compiled

Greyscaleレーベルのお得な2枚組コンピレーション。20曲に渡りひたすらズブズブなダブテクノを堪能できる。

Mood Compiled 2 / Various

Greyscaleレーベルのお得な2枚組コンピレーション第2弾。こちらも20曲に渡りひたすらズブズブなダブテクノを堪能できる。

 

犬猿の仲の元夫婦が娘の結婚式阻止のために休戦協定!?/映画『チケット・トゥ・パラダイス』

チケット・トゥ・パラダイス (監督:オル・パーカー 2022年アメリカ映画)

最初はあれほど愛し合い結婚して子供までもうけたのに、いつしかその愛も冷め結婚も解消、今では憎み合いいがみ合いすっかり犬猿の仲の元夫婦が、娘のスピード婚を阻止するために休戦協定を結んじゃう!?というロマンチック・コメディ『チケット・トゥ・パラダイス』です。元夫婦役を「オーシャンズ」シリーズ(観てない)で夫婦役を演じたジョージ・クルーニージュリア・ロバーツ、娘役を『ディア・エヴァン・ハンセン』(観てない)のケイトリン・デバー。監督は『マンマミーア! ヒア・ウィー・ゴー』(観てない)のオル・パーカー

元夫婦のデヴィッドとジョージアは20年前に離婚して以来、必要に迫られて会うことがあっても、いつもいがみ合ってばかりいた。そんな2人の愛娘リリーがロースクールを卒業し、旅行でバリ島へ向かい、数日後に「現地の彼と結婚する」という連絡が入る。弁護士になる夢を捨てて会ったばかりの男と結婚するなどあってはならないと、自分たちと同じ過ちを繰り返してほしくないデヴィッドとジョージアは、現地へ赴き、娘の結婚阻止に向けて協力することになる。

チケット・トゥ・パラダイス : 作品情報 - 映画.com

主人公となる元夫婦がなぜ娘の結婚式を阻止するのか?というとそれは、ロースクールを卒業し栄えある弁護士への道が開けていたはずの娘が、卒業旅行で出掛けたバリ島で現地の青年と恋に落ち、たった1ヶ月ほどで「わたしたち結婚します!」と元両親に告げたからなんですね。あ、離婚してても両親である事は変わらないから元両親とは言わないか。

現地の青年というのは代々海藻の養殖をし、これを海外に輸出するという堅実な事業を行っているのですが(おまけに超イケメン)、職業も生活もアッパークラスの元夫婦にとっては「白人社会のトップで生活できるはずの娘が大自然しかない東南アジアのちっちゃい島で第1次産業を営むどこの馬の骨とも知れないアジア系の男と結婚だとぉ~~ッ!?」と激オコプンプン丸になったわけです。なんだよ激オコプンプン丸って。いったいいつの言葉だよ。

で、納得できない元夫婦は犬猿の仲だったにもかかわらず一旦休戦協定を結び、一致協力して娘の結婚を思い止まらせようと、結婚式が数日後に迫るバリ島へと乗り込んだんですね!あの手この手で結婚を阻止しようと画策する激オコ元夫婦!いやあこれは血の雨が降りそうですね!

……と思いきや、なにしろジョージ・クルーニージュリア・ロバーツが主演のロマンチック・コメディなので、あんまりエゲツナイことは出来ないわけなんですよ。未来の婿にウニョウニョと悲観的なことを吹き込んだり結婚指輪を隠したり、「その程度のことで結婚が阻止できるかよ!?」と思っちゃうような手ぬるい行動しかできないんです。

例えばこれがウィル・フェレルセス・ローゲンのコメディ作品なら、もっと下品で破壊的でエゲツナイ行動に出て大いにドタバタを演じ笑いを取ったんだろうと思います。しかしそれはあくまでスラップスティック作品の話法であり、一方こちらはジョージ・クルーニージュリア・ロバーツが主演のロマンチック・コメディ。もっと常識的で保守的な観客層が鑑賞することを前提としたシナリオにならざるを得ないんです。

なにしろ舞台となるバリ島は世界一の楽園と言ってもいい程に風光明媚で自然の豊かな場所。この島の素晴らしい景観を案内しながらあたかも観光しているかの如き満足感を与え、海と空と密林に囲まれたその土地に住む美しい人々と美しい伝統とを映し出し、環境に優しいオーガニックでサステナブルな生活を魅力的に伝えるのです。サステナブルの使い方合ってますか。ああそうですか。こういった自然に心洗われながら家族というものの在り方に思いを馳せる。これはそういった作品なんです。

そんなわけですから「結婚式の邪魔」などという生臭い展開は途中で放棄され、一方犬猿の仲だった元夫婦の和解が成し得るか否かを中心的に描く展開へと移行するんです。どうせ最後は仲直りしてお仕舞いだろうな!と予想は付くんですが、それでもこの二人の距離感が縮まるかと思えばまた離れる、というじれったいエピソードの数々が物語に微笑ましい楽しさを生んでいます。で、あれこれ書きましたがこの作品はそれでいいんだと思います。オレは十分楽しめました。ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツも実に素敵だったし、バリ島の自然は美しかったし、たまにはこういった作品でほっこりするのもいいのではないかと思います。