還暦まであと365日

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この9月9日に59歳になってしまったオレである。

リーチである。60歳にリーチである。あと1年したら60歳になってしまうという59歳なのである。59になったということよりも60直前という事実に打ちひしがれているのである。60歳。そうそれは還暦。赤いチャンチャンコが幻影のように目の前にうっすらと見えてくる。世が世なら既に「お爺ちゃん」と呼ばれている歳だ。まあオレの場合は「ジジイ」ないしは「クソジジイ」という呼称のほうが合っているような気がするが。

50歳になったときは「半世紀だねえ」などと余裕をぶちかましていたが、60歳には何の余裕もない。60の次は70であり70の次は80だ。その後のことは知らない。生きているのかどうかすら定かではない。生きていても自分の年齢を覚えてすらおらず「お漏らししちゃったですバブー」とか言っているかもしれない。かもしれない、というよりも高確率で言っている気がしてならない。

そもそもこの50代最後の歳を、さらにその数年を生き延びることができるのかすら怪しい。これが10代20代なら「明日の事なんか知るわけないさ!」などと格好つけて言い放つこともできようが、それは向こう見ずな若さを謳歌している者だからこそ言える言葉なのであり、今この歳で言おうものならリアル過ぎてなんのシャレにもならないではないか。むしろ「明日のことを教えて下さい、なんならあと2.3年後のことも」などとすがるような声で懇願する身の上である(生まれたてのバンビのようにプルプル震えながら)。

それにしても。50代前半はまだ元気だった。それは40代の続きだからである。しかし50代も後半に差し掛かると、怒涛のように心身の不調が現れるようになった。去年などは胃の不調に悩まされ2度も胃カメラ飲んだ上に、歯がガタガタになり遂に部分入れ歯を作る羽目になった(ちなみに現在、養生した甲斐があったのか胃の不調には悩まされていない)。今年はというと遂に高血圧患者に認定され、動脈硬化の兆しを指摘され、それに伴い頭痛やら頭重やらに悩まされるようになった。それでなくとも2年目に差し掛かったこのコロナ禍で自律神経もやられ気味だ。なんかこう、どんよりしている。「今日は調子がいい」と感じる日が、月に何日もないような気がする。

健康上一つだけよかったのは、養生と節制のおかげで体重が落ち、BMIが平均値になったということぐらいか。だからこの歳にしてはそれほど腹が出ていない。出ていることは出ているが。「いやそれは要するに”出ている”ということに間違いはないのだから”それほど”という言い方は単なる誤魔化しに過ぎないのではないですかそこんところどうなんですか幹事長。え、え、お答えできないんですか」などという熾烈な追及の声が聞こえてきそうだが、もちろん「えーともう時間だ」といってブッチするつもりである。59歳はそのぐらいは姑息なのだ(というか幹事長って誰だ)。

そんな具合にボロボロになりながらも書いているのがこのブログなのである。実の所数年前から「いつやめるんだこのブログ?」と自問自答を繰り返しているのだが、なぜか未だに続いている。少なくとも今すぐ止めようとは思ってはいないのだが、ブログ書きそのものが体調を悪くしている、という事実もある。なぜなら多少体調が悪くても薬飲みながら書いていたりすることがあるからだ。身を削って書いているのである。何故?どうしてそこまで?と思われるだろうが自分でも分からない。ただ、なんかこうムキになって書いているような気はしている。

で、そのやめ時というのを、60歳までにしようか?と思った事もあった。もう一つは、あと3年でこのブログはブログ開始後20年になるので、20週年で大団円というのもいいじゃないか?とも思った。しかし、あと1年でやめるのも寂しいし、かといってあと3年も書き続けるのも考えただけでしんどい。なかなか悩ましい。というかあと3年というとオレは定年退職じゃないか。定年退職後も同じ会社で嘱託としてやっすい給料で働くのだろうと思うが(今の給料の半分ですってよ奥様)、年金貰える歳までは我慢しなきゃな……貯金も全然ないし……などとまたもや酸っぱい方向へと話が逸れてゆくのである。

いやあ。確かに酸っぱいな。腹を減らした肉食獣が獲物に喰いつこうとした瞬間に顔をしかめて(ついでにペッペッしながら)退散しそうなほどに酸っぱい臭いで満ち溢れているな(いや幾らジジイだからといってそこまで加齢臭はしていないはずだぞ)。なんか明るい、弾けるような、笑顔と希望と満ち溢れた話題はないのか。実はそれほどたいしたことではないのだが、10月ぐらいにちょっとしたことを告知できるかもしれないので、それはちょっと明るいかもしれないな(いやホントにたいしたことじゃないんですが)。あとなんだろなー個人的なことよりとりあえずこのコロナ禍がさっさと終わって欲しいよなー。

例によって何一つ話の要点もないままグダグダと書き連ね過ぎた。なんだろうこの非生産性を絵にかいたような文章。まあいつものことだがな!このオレに生産性を期待している者などこの世にいるのか(いやいない)!だがしかし書き連ね過ぎてオレはもう疲れてしまった。だから結論もないままここで止めることにする(ホントグダグダだな)。というわけで『メモリの藻屑、記憶領域のゴミ』のブログ主であるこのオレ様は59歳と成り果てました。今までありがとう、(いつまでかは分からないが)これからもヨロシク。なんとか養生しながらもうちょっと長く生きていようと思います。いや長生きしたいです。そして恒例となりますが、こんなしょうもないオレの傍にいつもいてくれる相方さんに胸いっぱいの愛を。そして「胸いっぱいの愛を」と言えば!

 

(さ、書き終えたんで酒酒!酒飲むぞ!)

 

 

『短篇コレクション 2 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)』を読んだ

短篇コレクション 2 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 短編コレクション」は以前第1集を読み、その想像力豊かな粒揃いの作品群に非常に感銘を覚えた。短編と言いつつどれも濃厚で重量級の作品ばかりで、いつもはSF小説ばかり読んでいるオレが「文学スゲエ……」と心打ちのめされたことは以前ブログ記事で書いている。この短編集を読んでから文学ってェヤツもちょいと齧ってみっか、とさえ思わされ、実際何作かの名作文学に触れることになった。 

その第2集も続けて読もう……と思っていたら随分間が開くことになってしまった。そもそも書籍自体2012年に購入し永らく積読だったものだったが、1集目を読んでからさえ2年も経ってしまった。だがとりあえず読み終えた。

……読み終えたのだが、うーん、なんかこう、1作目の感銘とは程遠い、なんだかパッとしない読了感だった。平たく言うなら「それほど面白くなかった」のである。『Ⅰ』で「文学スゲエ!もっと読もう!」と思った部分を、『Ⅱ』では「文学ようわからん、オレはSFだけ読んどけばいい」とすら思ったほどである。

「それほど面白くなかった」とは書いたが、それはこの短編集に収録された作品の完成度が低いとか池澤夏樹のセレクトが悪かったということではない。というよりも「オレの好みではなかった」あるいは「オレ向きではなかった」ないしは「オレにはムツカシ過ぎた」というのが正確なところなのだと思う。

池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 短編コレクション』は『Ⅰ』と『Ⅱ』の2冊が刊行されており、『Ⅱ』がヨーロッパ圏で書かれたもの、『Ⅰ』がそれ以外の地域で書かれた作品が収録されている。「ヨーロッパ圏以外の小説」、それはアメリカとラテンアメリカ、それにアジア圏の作品であるということだ。つまり作品に対するオレの個人的な好みが「ヨーロッパ圏以外の小説」であり、逆に「ヨーロッパ圏の小説」は水が合わなかったということができる。

ヨーロッパ圏というとそれはイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア……等などだ。これらの国の小説がなぜ水に合わなかったのだろう。当然だがヨーロッパは南北アメリカよりも長い歴史性を持ち近代文学成立の歴史性も深い。アジアとはそもそも文化的に異質な土壌を持っている。ヨーロッパのその長い歴史において培われた、人間や個人や社会というものに対する立場や視点が、どうやらオレにはピンとこなかったのらしい。

いうなればそれは「実存の在り方、取り扱い方」ということなのではないかと思う。そしてヨーロッパならではの「個人主義とその合わせ技として存在する孤独」ということなのだろうと思う。さらに長い歴史性による「爛熟」や「疲弊」や「呪縛」が端々に顕れているという事もあるのだろうと思う。それらは総体として、どこか冷え冷えとした感触を作品にもたらしているのだ。

で、オレは、それらの事物に対して、どうやらとことん「ウゼエ」と思ってしまうような人間らしいのだ。どの作品の登場人物に対しても「お前らメンドクセエ連中だな」と感じてしまうのだ。挙句の果てに「だからお前はダメなんだ」とダメ出しである。オレは実に単純で即物的にできているのらしく、あたかも感情をメスで腑分けしているかの如き描写の連続に対し「カッタリー」と反応してしまうのだ。

とまあそんな具合に、殆ど義務感と惰性だけで読み進めていたのだが、実は最後の最後にとんでもなく面白い作品と遭遇してしまった。フランス人作家ミシェル・ウエルベックの『ランサローテ』である。どことなく倦み疲れた一人のフランス人男がカナリア諸島の島ランサローテにブツクサ言いながらバカンスに出かける。ランサローテ糞つまんねえとかボヤきながらダルそうに過ごし、そこで出会ったチェコ人男やドイツ人レズカップルとグダグダと遊び、たまさか3Pセックスをしてみたりする。

この物語の何が良かったかって、主人公の基本心情が「ウゼエ」「カッタリー」なのである。それはオレがヨーロッパ圏文学を集めたこの短編集に感じていたのと同じ文言ではないか。すなわちこの物語は、既にしてヨーロッパで生きることのウザさとカッタルさに自覚的であり、なおかつそれを表明した作品であるという事なのだ。文章は限りなくシニカルであり、セックス描写すら虫の交尾程度の情熱でもって描いてしまう。あー、この醒めてて不貞腐れた感じ、好きだなあ、なんかオレとめっちゃ波長が合うな。

調べると作者ミシェル・ウエルベック、変態作家としてヨーロッパ中で話題の人気作家なのらしい。いいね。今度なんか長編読もう。それで思ったのだが、結局この『Ⅱ』の延々とカッタルい編集は、最後のミシェル・ウエルベックに辿り着くまでの大いなる助走だったのかもしれないとすら思わせたな。 

《収録作》

おしゃべりな家の精・・・・・・・・・・・・アレクサンドル・グリーン 岩本和久訳

リゲーア・・・・・・・・・ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランベドゥーサ 小林惺訳

ギンブルのてんねん・・・イツホク・バシェヴィス【ノーベル文学賞受賞】 西成彦

トロイの馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・レーモン・クノー 塩塚秀一郎訳

ねずみ・・・・・・・・・・・・・・・・ヴィトルド・ゴンブローヴィチ 工藤幸雄

鯨・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ポール・ガデンヌ 堀江敏幸

自殺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・チェーザレパヴェーゼ 河島英昭訳

X町での一夜・・・・・・・・ハインリヒ・ベル【ノーベル文学賞受賞】 松永美穂

あずまや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ロジェ・グルニエ 山田稔

犬・・・・・・・・・・・・・・・・・・フリードリヒ・デュレンマット 岩淵達治訳

同時に・・・・・・・・・・・・・・・・・インゲボルク・バッハマン 大羅志保子訳

ローズは泣いた・・・・・・・・・・・・・・ウィリアム・トレヴァー 中野恵津子訳

略奪結婚、あるいはエンドゥール人の謎・・・・ファジル・イスカンデル 安岡治子

希望の海、復讐の帆・・・・・・・・・・・・・・・・J・G・バラード 浅倉久志

そり返った断崖・・・・・・・・・・・・・・・・・A・S・バイアット 池田栄一訳

芝居小屋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アントニオ・タブッキ 須賀敦子

無料のラジオ・・・・・・・・・・・・・・・・・サルマン・ルシュディ 寺門泰彦訳

日の暮れた村・・・・・・・・カズオ・イシグロノーベル文学賞受賞】 柴田元幸

ランサローテ・・・・・・・・・・・・・・・・・ミシェル・ウエルベック 野崎歓

 

MCUフェイズ4作品、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』は「カンフー+ファンタジー」だった!

シャン・チー/テン・リングスの伝説 (監督:デスティン・ダニエル・クレットン 2021年アメリカ映画)

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アベンジャーズ』シリーズのマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)、フェイズ4起動!様々な話題作が公開される中、今度は中華系カンフー・ヒーロー、『シャン・チー』の登場だ!

犯罪組織を率いる父に幼いころから厳しく鍛えられ、最強の存在に仕立て上げられたシャン・チー。しかし心根の優しい彼は自ら戦うことを禁じ、父の後継者となる運命から逃げ出した。過去と決別し、サンフランシスコで平凡なホテルマンとして暮らしていたシャン・チーだったが、伝説の腕輪を操って世界を脅かそうとする父の陰謀に巻き込まれたことから、封印していた力を解き放ち、戦いに身を投じる。

シャン・チー テン・リングスの伝説 : 作品情報 - 映画.com

カンフー・アクションは結構好きなので、この『シャン・チー』にもそこそこ期待はしていた。なにより「MCUでカンフー」ってェのが新鮮じゃないか。そろそろMCUも飽きてきたかな?という時期ではあったので、新機軸として大いに歓迎していたのだ。

ただね……ここははっきり言っちゃおう、主演のシャン・チーを務めるシム・リウ、ちょっとルックス的に華に乏しいんじゃないか?「アメリカ人が東洋人として一般的に認知するルックス」ではあっても、スーパーヒーロー映画を牽引する配役としてはなんだか地味じゃないか?スーパーヒーローというよりも渡嘉敷勝男っぽくないか(習近平に似ているという説もあり)?ヒロイン・ケイティを務めるオークワフィナもどことなくイモトアヤコっぽいしなあ……。そこだけ不安材料を抱えつつ劇場に足を運んだのだのだが。

しかし、映画が始まってそんな不安は吹き飛んだ。シム・リウがとてもクレバーな俳優だという事はすぐ伝わってきた。オークワフィナも愛嬌いっぱいながらも隅に置けない愛らしさを兼ね備えていた。オレはすぐこの二人のことが好きになった。そしてこの二人がどんな活躍をするのかが気になり始めた。制作者によると彼らの配役は「普通っぽさ」を目指したものなのだそうだが、「普通の生活を営んでいた者たちがある日とてつもない出来事に巻き込まれる」という物語は、十分引き込まれる要因となった。

なにしろ冒頭、「普通の青年」であった筈のショーン(シャン・チー)がいきなりバスで乱闘に巻き込まれ、どう見ても只者ではない暴漢どもを電光石火になぎ倒してゆくというシーンで、思わず「ひぇええええ!」と度肝を抜かれまくるのだ。もちろん観ている側は主人公がスーパーパワーの持ち主だと了解の上で観ているのだけれども、ここまで凄まじいアクションを最初に用意されると「いや、この映画、ひょっとしてただ事で済まされないんではないか」と身を乗り出してしまうではないか。その後もビルの足場を使ったアクションの連打連打を見せられ、そのスピード感たっぷりのカンフーアクションにすっかり魅せられてしまう。

物語の中心となるのはシャン・チーの父であり、謎のアイテム「テン・リングス」を持ち世界を裏で動乱に導いていた男ウェンウー(トニー・レオン)とチャン・チーの確執だ。さらにチャン・チーの妹シャーリン(メンガー・チャン)の登場、そしてチャン・チーの母リー(ファラ・チャン)の惨たらしい死の真実などが語られ、この作品が「家族の物語」であることを宣言する。この辺りの「家族ドラマ」はいつものMCU作品を踏襲していて、新奇ではないにせよ、それなりに感情に訴え、なおかつ分かり易いものとなっている。

後半の実に中華なファンタジー展開は賛否両論あるようだが、オレ自身はすんなり入っていけた。いわゆる「中国4千年の!」ともなれば奇観を誇る山岳の只中に神仙が舞い龍が躍るというのはもはや当為ではないか。というより、MCUがこれまで主人公それぞれの世界観としてSFであったりミリタリーであったり魔法であったりといったものを背景にしていたことを鑑みるなら、お次はファンタジー、それも中華系の、という流れは特に違和感を感じないではないか。これらまるで異なる世界観のヒーローたちが統合して「アベンジャーズ」となる部分に面白さがあったのではないか。

こうして物語は「カンフー+ファンタジー」という超絶的な展開を見せ、その戦いは異次元の領域のものと化し、さらに究極の敵は人知を超えた恐るべき存在として主人公の前に立ち塞がるのだ。これらを見せるVFXはどこまでも目を奪う熾烈で白熱したものと化し、究極アイテム「テン・リングス」のその凄まじい威力とそれを使った変幻自在な戦いを見せつけてゆくのだ。それにしてもここまでキレのいいアクションと思い切りよく突き抜けた世界観を表出させるとは思わなかった。これはもう傑作と言っていいだろう。MCU、まだまだ見所がたっぷりじゃないか。

 

生きるって何だろう?/映画『彼とわたしの漂流日記』

彼とわたしの漂流日記(監督:イ・ヘジュン 2009年韓国映画

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自殺に失敗しサバイバル生活を余儀なくされる男と彼を観察する引きこもり女

生きる希望を失って川に飛び込んだはずが、川の中州に漂着してしまった主人公。しかし泳ぐことのできない彼はそこから脱出できず、死ぬのを諦めてサバイバル生活開始!?そんな彼を高層ビルに住む女が発見するが、なんと彼女は重度の引きこもり、助けようとは思いつかない!?こうして、生きることに難儀する二人の奇妙な交流が始まるが……。

2009年に公開された韓国映画『彼とわたしの漂流日記』は、こんな風変りな設定と、どこかファンタジックな味わいを持つサバイバル・ラブ・ストーリーなんです。主演は「トンマッコルへようこそ」のチョン・ジェヨン、ドラマ「私の名前はキム・サムスン」のチョン・リョウォン、監督は現在日本公開中の『白頭山(ペクトゥサン)大噴火』のイ・ヘジュン。 

無人島に漂流してサバイバル、ともなれば「過酷な大自然の中で生きることの力強さ、尊さ!」を描くサバイバル・ストーリーともなるんでしょうが、この作品の舞台は大都市の河川にある単なる中州です。でも陸地とは結構離れていて、さらに男はカナズチ、助けを求めることもままなりません。この辺りの微妙な情けなさが哀感を誘います。中州には都会のゴミが漂着し放題、こんな場所に取り残された男は、これらゴミを利用してサバイバルを開始するんです。

一方、女はというと、高校中退から数年来の引きこもり、顔に大きな痣があって、そんなことも引きこもりの理由なのかもしれません。彼女は親に面倒を見てもらいながら、汚部屋と化した自室から一歩も出ず、なりすましのチャットと、カメラの望遠レンズで月を眺めるのだけが生きがいとなっています。この望遠レンズで男を発見する彼女ですが、なぜか助けようとは露とも思わず、空き瓶を使ったコミュニケーションを開始するんです。

生きるということの生々しい実感

女は何故、男を助けることを思いつかないのか?それは女にとって、自分の部屋の外は、彼女が毎夜観察する月と同じような、生命のない死の世界だからなんです。彼女には「人間」の姿が目に入りません。それは彼女が人間を拒否しているからです。彼女が男を「発見」したのは、それが中洲という、通常人が居ないはずの場所に人が生きていたからなのでしょう。

「何故あんな場所に人が生きているのか?」彼女にとって彼の姿は、死の世界であるはずの月に生命を発見したかのような驚きだったんです。けれども、外の世界が月と同じくどこまでも遠い世界である彼女にとって、中洲にいる彼を「助ける」「助けられる」という事をまるで思いつきません。それはまた、彼女の心がそれほどまでに病んでいる、という事の表れでもあるんです。

男は、中州から脱出する機会が何度かあったのにも関わらず、「自らの手で生き延びる」という生活を意固地に手放しません。それは究極の状況に置かれた彼が、「生きる、ということの生々しい実感」を得たからなのです。一方、女も、中州で懸命にサバイバルする男を見守り続けることにより、「生きる、ということの生々しい実感」を見出します。それにより、彼女の中で様々なものが少しづつ変わってゆくんです。

こうして物語は、「生きることの辛さから死を選び、逆に遮二無二生きなければならなくなった男」と、「生きることの辛さから心を病み、まともに生きることを拒絶した女」との、不思議なコミュニケーションを描くことになるんです。

生きるってなんだろう?

生きるってなんだろう、なぜ生きなければならないんだろう、そういった問いに簡単な答えはありません。ただ一つだけ言えるのは、生きている実感を得ること、「今自分は生きている」という確信を得ること、その手応えそれ自体が、生きることそのものの本質であるような気がします。しかし往々にして人は、漫然としたローテーションの中の生活と、煩わしい人間関係に疲れ果て、「ただ死んでいないだけの生」を生きることになってしまう。

映画『彼とわたしの漂流日記』は、そんな生き難さにまみれた人生に、生きる希望の在り処を指し示そうとする物語です。どこか可笑しくいじましく、同時にもどかしい主人公二人のコミュニケーションの果てに、いったい何が待っているのか。こうして物語は、まさに奇跡としか言いようのない展開をそのクライマックスに用意します。これには大いに唸らされました。毎度毎度書きますが、本当に「韓国映画恐るべし」、と言える作品です。是非ご覧になってください。現在HuluTSUTAYAで配信もされています。 

彼とわたしの漂流日記 [DVD]

国立科学博物館に行ってきた

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国立科学博物館「特別展 植物 地球を支える仲間たち」

この間のお休みの日は上野にある国立科学博物館に行ってきました。「特別展 植物 地球を支える仲間たち」が見たかったんですよ。

新型コロナ感染予防対策として国立科学博物館は現在入場人数制限のため予約制になっており、オレも前々から予約を入れて行ってきました。

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それにしてもなぜオレが「特別展 植物」なのかといいますと、ただ単に植物も含む自然科学が好きだから、というだけなんですけどね。子供の頃から『植物』『動物』『昆虫』『地球・宇宙』なんていうタイトルの図鑑を穴が開くほど眺めていたし、植物栽培なんかもよくやっていたんですよ。地元のプラネタリウムもよく通ったなあ。

こういうのって基本的になんだか不思議だし、びっくりさせられることが多いじゃないですか。かといって学術的ななにやらかにやらを学習してみたりはしないんですけど、見ていてただただ楽しいんですよ。

例えばこんなのとか(高さ2.7mあるショクダイオオコンニャクの模型)、

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こんなのとか(巨大植物ラフレシア)、

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こんなのとか(食虫植物ウツボカズラ)、

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こんなのとか(食虫植物モウセンゴケの模型)、

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こんなのとか(高山植物の一種。花の中に実が入っている)、

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こんなのとか(青いバラ)、

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こんなのとか(キバナツノゴマの実の模型)、

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とまあこんな具合に奇態で面妖な姿をした植物(とその模型)がたくさん並べられているわけです。そしてそれを眺めながら「へー」とか「なんだコレ?!」とかびっくりしたり感心したりする、そんな「驚き」がある、という部分に楽しさがあるんですよ。

国立科学博物館「常設展」

一通り特別展を眺めた後は常設展とへ。以前オレが国立科学博物館に行った時は、あまりの展示物の多さに細かく眺めていたら草臥れてしまって、全部見ることができなかったもんですから、今回はザザザッ!と高速で回ることにしました。

やっぱり恐竜化石は「上がる」なあ!

f:id:globalhead:20210829203717j:plainこんなデカイ生き物がいたなんて地球おかしいわ!

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いやあ化石っていいっすねえ!

f:id:globalhead:20210829203932j:plainアンモナイトの化石一個欲しい……。

f:id:globalhead:20210829204347j:plain三葉虫って不思議だよなあ……。

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いやもうカッコイイのなんの!

f:id:globalhead:20210829204155j:plainザザザッと回るはずでしたが結局2時間ほど館内をうろついてました。あんまり興奮してしまったもんだから途中で小走りになっちゃって、「オレはどっかの幼稚園児か」と思ってしまったほどですよ!

そして最後は館外にあるクジラの模型にご挨拶をして国立科学博物館を後にしました。

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「特別展 植物 地球を支える仲間たち」は9月20日までです。