『2010年代海外SF傑作選』は結構な粒揃いだったぞ

2010年代海外SF傑作選/橋本輝幸=編 

2010年代海外SF傑作選 (ハヤカワ文庫SF)

“不在”の生物を論じたミエヴィルの奇想天外なホラ話「“ザ・”」、映像化も話題のケン・リュウによる歴史×スチームパンク「良い狩りを」、グーグル社員を殴った男の肉体に起きていた変化を描くワッツ「内臓感覚」、仮想空間のAI生物育成を通して未来を描き出すチャンのヒューゴー賞受賞中篇「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」…2010年代に発表された、珠玉のSF11篇を精選したオリジナル・アンソロジー

 先頃刊行された『2000年代海外SF傑作選』に続き速攻で刊行された『2010年代SF傑作選』である。実は『2000年代』はオレには今一つだったのだが、だからこそこの『2010年代』には期待していた。

『2000年代』が今一つだったのは、2020年に2000年代の傑作SFを網羅しようとすると、これまで他のアンソロジーに収録されていない作品の落ち穂拾いにならざるを得ないからだったのだろうが、『2010年代』ならばまだフレッシュな作品を発見することが可能だろうと思えたからだ。そしてその予想は当たっていた。この『2010年代』はなかなかに粒揃いの作品がセレクトされていたではないか(まあもちろん好みもあるだろうけどね!)。なにしろ本アンソロジーの鮮度を高めているのは2010年代注目作家の初訳が多く含まれているという事だ。収録11作のうち6作が初訳、さらに1作は新訳だ(とはいえこの辺りはSFマガジンが隔月刊になって目新しい海外作品を訳し切れなくなってるのもあるのかなあ)。そしてその新訳がまたどれも素晴らしい作品なもんだから嬉しさ百倍だ。

作家のラインナップも高いネーム・バリューで押さえてある。知らない作家も何人かいるが、ピーター・トライアス、郝 景芳、ピーター・ワッツ、ケン・リュウ、チャイナ・ミエヴィル、テッド・チャン錚々たるものではないか。どの作家も長編・短編集に限らず1冊は読んでおくべき作家ばかりだ(とはいえ個人的にはチャイナ・ミエヴィルとテッド・チャンは苦手なんだが)。

一つだけ難を言うとテッド・チャン作品が170ページにのぼる既訳ノヴェラで、大傑作だしテッド・チャンを入れたい気持ちは十分分かるのだが、アンソロジーとしてバランス悪くなったかもなあ、ということかなあ。でもオレ、この作品今回初めて読んで相当に感銘受けたから、痛し痒しなんだよなあ!

ではざっくり作品を紹介。「火炎病」ピーター・トライアスは奇病とARを結び付けた話だが思いもよらぬ展開がGOOD。「乾坤と亜力」郝 景芳はAIと子供の交流がいつしか壮大なお話に!?「ロボットとカラスがイースセントルイスを救った話」アナリー・ニューイッツは医療ロボがカラス語を解析し感染症クラスタを捜索するという話で、動物行動学辺りの味わいも高く、今アンソロでも相当に好きな作品だった!

「内臓感覚」ピーター・ワッツは現代の巨大テック企業4社(GAFA)の脅威を徹底的にスリラーとして描いた作品で、ピータ・ワッツらしい寒々とした感触がいい!「プログラム可能物質の時代における飢餓の未来」サム・J・ミラー、粘土状の可変自在なナノロボット・トイが暴走し人類を滅亡に追い遣るという話だが、暗い情念に満ちた人間関係描写がまた息苦しくて、いやこれも好み。「OPEN」チャールズ・ユウはポップなファンタジーって所か。アンソロジーに一つ欲しい掌編ってな風情。

「良い狩りを」ケン・リュウは精霊や呪術がテクノロジーに放逐される話だが、希望のあるラストが印象深い。これシリーズになんないかな。「果てしない別れ」陳 楸帆、全身不随の主人公と知的生命のファーストコンタクトというテーマがもうなんだか物凄くて圧倒された。いやオレ陳 楸帆好きだなあ。「“ ”」チャイナ・ミエヴィル、うーんこの人の無理してペダント気取ったような作風はやっぱり苦手だなあ。ジャガンナート――世界の主」カリン・ティドベックはバイオテクノロジーによる閉環境の楽園を描いたものだが、なんだか既視感があるんだがなんだろうこれ……。

そしてラスト「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」テッド・チャンA.I.と人間との関係性を描く中編だが、ほんのちょっとだけの未来を舞台に、どこにでもいるであろう人間たちが登場する、卑近なテクノロジーをテーマにした物語にも関わらず、非常に圧倒的でリアリティに満ちた描写がとことん読ませる素晴らしい作品だ。そしてこれは「A.I.と人間」のみならず「他者との関係性」とは何か、という物語でもあり、同時に子育てのアナロジーとしても読めてしまう作品だ。物語としても凄いが、作者の知性や問題意識の高さ、人間への洞察力と共感力といったものの豊かさがそこここに滲み出ており、それを実に的確に、さらに情感を込めて描かれる筆力にもまた圧倒された。これは生半な作品じゃないぞ、これこそが本当の傑作というものだ。実はオレ、テッド・チャンが苦手だったんだが、この作品を読んでもう一度トライするべきだとすら思った。 

【 収録作】

「火炎病」ピーター・トライアス/中原尚哉訳★初訳

「乾坤と亜力」郝 景芳/立原透耶訳★初訳

「ロボットとカラスがイースセントルイスを救った話」アナリー・ニューイッツ/幹 遙子訳★初訳

「内臓感覚」ピーター・ワッツ/嶋田洋一訳★初訳

「プログラム可能物質の時代における飢餓の未来」サム・J・ミラー/中村 融訳★初訳

「OPEN」チャールズ・ユウ/円城 塔訳

「良い狩りを」ケン・リュウ古沢嘉通

「果てしない別れ」陳 楸帆/阿井幸作訳☆新訳

「“ ”」チャイナ・ミエヴィル/日暮雅通訳★初訳

ジャガンナート――世界の主」カリン・ティドベック/市田 泉訳

「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」テッド・チャン/大森 望訳 

彼女は復讐の旅に出る/ミステリ『ローン・ガール・ハードボイルド』

ローン・ガール・ハードボイルド / コートニー・サマーズ (著), 高山真由美 (訳)

ローンガール・ハードボイルド (ハヤカワ・ミステリ文庫 サ 9-1)

NYのラジオDJマクレイに、ある女性が電話をかけてくる。トレーラーハウスを貸し、祖母代わりとして気にかけていた19歳のセイディが姿を消したというのだ。そのドキュメンタリー番組を制作するマクレイは、セイディが最愛の妹マティを殺害した義父への復讐を狙っていることを知る。セイディの凄絶な追跡行とマクレイの調査が交わるとき、明らかになる真実とは。エドガー賞YA部門受賞のいま最も切実なハードボイルド。

 ミステリ小説『ローン・ガール・ハードボイルド』はコロラド州に住む19歳の女性、セイディが殺された妹の犯人を捜して単身アメリカを彷徨い歩く物語である。セイディと妹マティは母子家庭で暮らしその母も家出していた。さらにセイディは吃音症で、引っ込み思案の女性だった。

壊れた家庭、孤独な青春時代、不安定な情緒、そのような生い立ちにあるセイディはただただ無力な女性に過ぎない。最愛の妹の復讐、という執念だけで犯人捜索を続けるセイディは決してタフでマッチョな女丈夫ではなく、常に怯え、常に逡巡し、満身創痍になりながらアメリカの町から町へと渡り歩いてゆく。その町々でセイディは事件の手掛かりを探しつつ様々な人々に出会う。悪人もいれば善人もいて、その出会いの中で自らの存在しなかった青春をかすかに発見することもある。

そしてこの物語を独特のものにしているのはその構成だ。NYのラジオ番組がこの事件を扱い、もう一つ別の面からこの事件を検証し、さらにセイディの行方を追ってゆくのである。殺人犯を探す力無き19歳の女性の孤独な道行き、このようなシチュエーションから日本語タイトルは『ローン・ガール・ハードボイルド』とつけられたのだろう。ただし「ハードボイルド」の定義としての乾いた情緒、文体、といったものがこの物語で描写されているわけではなく、ハードボイルド作品を期待すると肩透かしを食うだろう。

また、物語の本質にあるのは性的なものも含む児童虐待であり、そういった社会問題に切り込む姿勢は真摯なものではあるけれども、こと物語性という事においてはある意味ありふれたものであると言わざるを得ず、主人公が良くも悪くも「普通」であることも含めて、カタルシスの乏しい作品になっていることは否めない。そういった構成にテコ入れという意味もあってラジオ番組の挿話があるのだろうが、物語にリズムをもたらしている以上に効果を上げているようには思えない。こういった煮え切らなさがラストにも露呈し、作品として未完成なものを感じた。

 

最近聴いたエレクトリック・ミュージック

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Joris Voorn

■Global Underground #43: Joris Voorn - Rotterdam / Joris Voorn

Global Underground #43: Joris Voorn - Rotterdam

Global Underground #43: Joris Voorn - Rotterdam

 

ロンドンの人気レーベルGlobal UndergroundのDJ Mixシリーズ最新作はオランダを代表するDJ/コンポーザー、Joris Voornが登場。Joris Voornお得意の矢継ぎ早なMixによりアルバム2枚55曲ものダンス・チューンを聴くことが出来る。 Joris VoornのMixは流麗で繊細、線の細さはあるが十分満足できるアルバムとなっている。

■DJ-Kicks / Avalon Emerson

DJ Kicks -Digi-

DJ Kicks -Digi-

  • アーティスト:Emerson, Avalon
  • 発売日: 2020/09/18
  • メディア: CD
 

ベルリンの!K7レーベルからリリースされているDJ MixシリーズDJ-Kicks最新作はカリフォルニア出身のDJ、Avalon Emersonが登場。アルバム1枚の中に様々なジャンルが凝縮され、そのMixはリラックスしていて時折ユーモラスですらある。こんな伸び伸びとした雰囲気がユニークなMixだ。

■Spaven x Sandunes / Spaven x Sandunes

Spaven x Sandunes

Spaven x Sandunes

  • 発売日: 2020/09/11
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

UKの新世代ジャズ・ドラマーRichard Spavenとムンバイ出身のピアニストSandunesとのコラボ・ミニアルバム。ジャジーな香りを残しつつエレクトロニック・サウンドとしても非常に端正な味わいがあり、緻密な演奏から漂う緊張感が心地よい作品。 

■Global Underground: Select 5 / Various

Global Underground: Select #5 [Explicit]

Global Underground: Select #5 [Explicit]

  • 発売日: 2020/01/31
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

Global Undergroundレーベルの今年初頭にリリースされたテックハウス詰め合わせMix。DJの記載は無いが遜色ないレベルのEDMが並び、作業用として最適。D/L版は70分にのぼるMix2曲を含む全38曲7時間とお得感もたっぷり。

■Alientronic / Ellen Allien

Alientronic

Alientronic

  • アーティスト:Allien, Ellen
  • 発売日: 2019/05/24
  • メディア: CD
 

ベルリン・テクノの女王 Ellen Allienによる2019年リリースのアルバム。最新作も良かったが、この作品でも切れ味のいいフロア・サウンドを響かせている。

■1995 / Kruder & Dorfmeister

1995

1995

 

ウィーンで結成されたPeter KruderとRichard Dorfmeisterによるトリップホップ・デュオ、Kruder & Dorfmeister。彼らが90年代にリリースしたMix集はそのハイセンスなビートに病みつきにさせられたものだが、最近名前を聞かないな、と思ったらなんと突然の新作リリース、しかも結成27年目にしてなんと初のファースト・アルバムなのだそうな。とはいえ身震いする様なハイセンス振りは相変わらず、思わず「COOL!」などと使い慣れない言葉を使ってしまいそうになるぐらいカッコいい。 

■Lailonie / Marsh

Lailonie

Lailonie

  • アーティスト:Marsh
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: CD
 

ロディック・ハウスでファンをメロメロにさせるAnjunadeepレーベルから新しくリリースされたシンシナティ出身のプロデューサーTom Marshallによるプロジェクト、Marshのアルバム。Anjunadeepらしいどこまでも美しく繊細なメロディに心もうっとり。

■Fabric Presents Octo Octa & Eris Drew / Octo Octa/Eris Drew/Various

fabric recordsのMixシリーズfabric presents最新作はT4T LUV NRG創設者Eris DrewとOcto Octaによるタッグ作品。ハウスからベースライン、UKハードコア、トランス、さらにはレイヴ・クラシックまで交えた非常にパワフルなMixアルバムだ。 

困難に満ちた火星探査船計画を成功させろ/映画『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打ち上げ計画』

ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打ち上げ計画 (監督:ジャガン・シャクティ 2019年インド映画)

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世界で初めて成功した火星探査船計画

2013年、インドは世界で初めて火星周回軌道に探査船を到着させることに成功します。それまでアメリカ、ロシア、中国といった大国が軒並み失敗していた計画を、月探査船さえ送り込んでいなかったインドが成功させてしまったんですね。その実話を元に、計画の背後に存在したであろう様々なドラマを脚色して描いたのが映画『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画』です。

《物語》2010年、宇宙計画の命運をかけたロケット打ち上げが失敗に終わり、チームリーダーのラケーシュと同僚のタラは実現に程遠い火星探査プロジェクトに異動させられます。しかもそこに集められたスタッフは経験の浅い若手女性職員や二軍落ち扱いの男性職員ばかり。けれどもラケーシュとタラは次々とアイディアを出し、火星探査プロジェクトを実現可能のものとしてゆきます。とはいえ、上層部の反応は冷たく、無理難題ばかりが積み重なってゆきます。果たして火星探査プロジェクトは軌道に乗ることが出来るのか!?

『パッドマン 5億人の女性を救った男』スタッフが再集結

主演は『パッドマン 5億人の女性を救った男』『KESARI/ケサリ 21人の勇者たち』のアクシャイ・クマールと『女神は二度微笑む』『フェラーリの運ぶ夢』のヴィディヤー・バーラン。さらに『ダバング 大胆不敵』のソーナークシー・シンハー、『きっと、うまくいく』のシャルマン・ジョシ、Netflixドラマ『ピンク』のタープスィー・パンヌーといった俳優が脇を固めます。監督は『マダム・イン・ニューヨーク』『パッドマン』で助監督を務め、今作が初監督となるジャガン・シャクティ

いやー、素敵な映画でした。『パッドマン』主演・製作スタッフが再結集ということらしいんですが、『パッドマン』同様、困難極まりないミッションを、決して諦めることなく、石に齧り付いてでも成功させようという不撓不屈の精神がここでも描かれているんですね。今作は宇宙計画という、国家規模の計画が扱われますからその困難さはまた別格です。それは予算や人員、技術的問題と達成すべき期日、さらに国家の威信までが重なるのですから、その重圧は並大抵のものではありません。

女性がメインとなる今日的なアプローチの作品

しかしこの『ミッション・マンガル』は、そんな困難な計画の様子を決してシリアス一辺倒で描くものではありません。お堅いリアリズムにこだわらず、ややこしい科学技術を並べることもなく、むしろ明るく軽やかなステップで、ユーモラスかつテンポよく進んでゆくんです。それはなんと言っても、この作品がタラを始めとする女性スタッフが中心となって描かれていることが理由の一つでしょう。彼女らが挑む宇宙計画だけではなく、それぞれのプライベートな人間関係や各々が抱える想いを描くことにより、実にたおやかで情感豊かな物語となっているんです。こういった「女性がメインとなる物語」であることが非常に今日的なテイストを生んでいるんですね。

「女性がメインとなって描かれる宇宙計画」といえば60年代NASAの黒人女性スタッフをクローズアップして製作された映画『ドリーム』を思い浮かべる事ができるでしょう。『ミッション・マンガル』はこの『ドリーム』を多大に意識して作られたものであるように思えます。実のところ『ミッション・マンガル』の、「経験の浅い少数の若手女性職員が中心となって遂行されたミッション」というプロットはあくまで脚色です。実際当時の計画には1万7千人が従事し、そのうち女性は20パーセントだったというのが正確な数字です。しかしその中から女性をクローズアップさせることによって、単なるドキュメンタリー作品ではなく、今日的な切り口を持った娯楽作品として豊かな物語性を加味することに成功しています。

無理難題とアクシデントが重なる困難な計画

そういった点のみならず、作品は「困難な計画」のその「困難さ」を徹底的に描きます。上層部の冷淡さと圧力と対立、バラバラな気持ちのチームスタッフ、ひたすら渋られる予算、どの国も成し得ていない計画の技術問題、火星接近に間に合わせなければいけない期日、これら積み重なる無理難題と度重なるアクシデントが、観ていて最後までハラハラさせられどうしなんです。そしてそれを数々の閃きとアイディアで乗り越えてゆく様子がまた胸のすく作品となっているんです。

これらのドラマも映画的脚色なのだろうと思いますが、現実的には宇宙計画とは地味で地道で厳密なものの集積であるのでしょう。しかしその根底にある「宇宙への想い」をドラマとして結実させたのがこの作品だと言えるのではないでしょうか。実際にも、この火星探査船計画は日本円で約70億円という破格の低予算で成し遂げられました。映画でも言及されていますが、それはハリウッドの大作映画よりも低い予算です。宇宙を駆ける映画の夢よりも低い予算で現実に宇宙へと羽ばたく夢を実現させたこの計画、その偉大さに触れるという部分においても、見所のある作品ではないでしょうか。 

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『ウォッチメン』とDCユニバースとの邂逅/『ウォッチメン』続編作品『ドゥームズデイ・クロック』

ドゥームズデイ・クロック/ジェフ・ジョーンズ (著), ゲーリー・フランク (イラスト), 中沢 俊介 (翻訳)

ドゥームズデイ・クロック (ShoPro Books)

ウォッチメン』の結末から7年後、世界は再び核戦争の危機に直面していた。人類を救うため、オジマンディアスとロールシャッハは、ドクター・マンハッタンを探し求めてDCユニバースへとたどり着く。しかし、DCユニバースもドクター・マンハッタンによる歴史改変の影響で、かつてない危機を迎えていた…。歴史的傑作『ウォッチメン』の正統続編にして、DCユニバースの歴史を揺るがす大作が堂々刊行!

80年代米ソ冷戦構造の只中を舞台に、「誰が見張り(正義のヒーロー)を見張るのか?」というテーマで描かれたアメリカン・コミックの問題作、『ウォッチメン』。その背景にはベトナム戦争ウォーターゲート事件など、「アメリカの正義」が潰えた時代における「正義」の本質を問うた作品でもあった。映画化作品はザック・スナイダーが監督し、最近でもTVドラマ化されるなど、非常に話題の尽きない作品だった。

その『ウォッチメン』の続編として描かれたのがこの『ドゥームズデイ・クロック』である。『ウォッチメン』のラストから7年、オジマンディアスによる狡猾な策略により世界は一旦平和によって結ばれていたが、またしても終末戦争の危機が訪れようとしていた。この危機を回避する鍵は行方不明となっているドクター・マンハッタンであると悟ったオジマンディアスは新生ロールシャッハらと共に彼を追跡するが、行きついた先は別の並行宇宙であり、そしてそこはバットマンやスーパーマンが存在するDCユニバースだったのだ。

つまりこの『ドゥームズデイ・クロック』、ウォッチメン・ミーツ・DCコミックキャラクターという作品になっているのだ。それにより、『ウォッチメン』キャラのみならず、ヒーローやヴィランも交えたDCコミックキャラクターが大挙登場することになる。当然DCユニバースの中心となるのはバットマンとスーパーマンであり、さらにジョーカーらも登場し、ウォッチメン・キャラと絡むことになるのである。

それだけでは単なる「人気キャラ大集合フェスティバル」でしかないのだが、DCユニバースでもやはり世界の危機が迫っていた。バットマンらメタヒューマン(スーパーヒーロー)に対する糾弾が本格化し、さらに各国はメタヒューマンを使用した軍拡競争に突入していた。併せてスーパーヴィランが結託し一つの国家を作り、世界に宣戦布告を開始したのである。そしてここでも鍵を握るのがドクター・マンハッタンであり、オジマンディアスの暗躍であった。果たしてバットマンとスーパーマンに打つ手はあるのか?といった内容がこの物語である。

ウォッチメン』において背景となったのは80年代まで続く米ソ冷戦構造だった。そしてソ連が崩壊し核軍縮が推し進められた90年代以降を舞台とした『ドゥームズデイ・クロック』ではそれが世界の軍拡競争の脅威となる。それはポスト冷戦時代における新たな難題だ。さらに「中東に一個の国家を作り集結したスーパーヴィラン」とはテロ支援国家やアルカイーダ、ISILに代表される過激派テロ組織の暗喩であろう。『ドゥームズデイ・クロック』はこういった世界の新たな対立構造を抉り出し、冷戦時代よりもなお一層混沌とした世界観を提示することとなる。

「誰が見張り(正義のヒーロー)を見張るのか?」というテーマは『ウォッチメン』から派生しマーベル作品『アベンジャーズ』でも見られるが、この『ドゥームズデイ・クロック』においてもDCヒーローを苛むこととなる。もはや単純な善悪二元論的な価値観は崩壊し、何が善で悪なのか判別しない曖昧さが作品世界を覆う。しかしこのテーマ自体は旧来的なコミックヒーロー像を批評し新たなヒーロー像を確立するための過渡的な方法論であろうと思う。先ごろ読んだ『バットマンホワイトナイト』も丁度そのような作品だった。

そういった部分で、この『ドゥームズデイ・クロック』は『ウォッチメン』の再話ありDCユニバースを使った変奏曲であり、そのどんよりと暗く濁った物語展開は周到に『ウォッチメン』のテイストを踏襲している。とはいえその『ウォッチメン』的な複雑さと理屈っぽさは、重い緊張感はあるにせよ爽快感に欠け中盤までは読み進めるのに苦労させられた。しかしこの物語は佳境に入るにつれ新たな局面を見せることになる。それは「そもそも多世界解釈的に存在するヒーロー・ユニバースとはなんなのか」ということをメタ視点から語り始める部分だ。

ヒーローたちの存在する世界はなぜそれぞれが別次元であったり同一世界であったりするのか、というのは実のところ商業上の理由ではあるが、それを一つの「物語」として説明しようしたのが実はこの『ドゥームズデイ・クロック』であったのだ。こういったメタ視点物語であることから、この作品はヒーローストーリーの為のヒーローストーリーとも言え、アメコミに特に思い入れの無い方にはそのカタルシスが伝わり難いかもしれない。しかし同じく深い思い入れのないオレですらも、「よくもまあここまでもってまわった方法でこんな結末に辿り着いたな」とちょっと驚いたのは確かである。そういった部分では「重厚な力作」と言っていいだろう。でも次はもっとスカッとしたアメコミが読みたいな……。

ドゥームズデイ・クロック (ShoPro Books)

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WATCHMEN ウォッチメン(ケース付) (ShoPro Books)

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