【ネタバレなし】スカイウォーカー・サーガ完結編、映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を観た。

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け (監督:J・J・エイブラムス 2019年アメリカ映画)

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■オレとスター・ウォーズ

オレはスター・ウォーズが好きである。より厳密に言うなら、オレは『スター・ウォーズ・サーガ』を割りと結構好きなほうである。VHSのボックスセットを買ってDVDが出たらそのボックスセットも買ってブルーレイになったらなったで当然ボックスセットで買う、というぐらいには好きなのだ。「いやそれ相当好きなんじゃないですか」と言われそうだが、本当に【相当好き】な人はこんなもんじゃ済まない事を周りを見て知っているので、このように謙遜交じりで言うのである。

「割りと結構好き」なSWファンのオレがひとつだけ自慢できるのは、1作目(EP4)公開当時から全て劇場で観ていることぐらいだろうか。なにしろオレは1962年生まれのジジイなので、1978年の日本公開時は「話題のエスエフ映画大公開!」ということで興奮して観に行ったのだ。その当時の思い出や、EP1-6のざっくりした感想はオレのブログの以下の記事でまとめてあるので御用とお急ぎの無い方は読んでもらえれば嬉しいのである。

 

■「オリジナル」と「プリクエル」と「シークエル」

スター・ウォーズはまず最初に公開されたEP4-6を「旧3部作/オリジナル・トリロジー」と言って、その次に公開されたEP1-3を前日譚ということで「新3部作/プリクエル・トリロジー」と言って、最新の3部作は後日譚なんで「続3部作/シークエル・トリロジー」と言うのらしい。なんだかややこしい。

実はオレはSWファンでも珍しい「プリクエル」派で、「旧3部作」よりも好きかもしれない。いや「旧3部作」は十分好きなんだが、今観ると冗漫だし古臭く感じるんだよ。その点「プリクエル」は映画テクノロジー的に進化しててキラキラした画面が官能的だし、あれこれのデザインも刷新されていて美しいし、お話も緩急自在で割と複雑な上悲劇的な様相すら呈していて、その翳りの在る部分が好きなんだよ。だから「プリクエル」を頭ごなしに否定されると結構イラッと来るんだ。なんかさー、「プリクエル」貶せば本当のSWファンだと思ってる輩いたりしない?

じゃあ「シークエル」はどうかというとだ、まずEP7『フォースの覚醒』、これがもう何の新鮮味も無いホンットのクソだった。EP3から10年待たされて出来上がったものが「オリジナル」の焼き直しというか正直パロディみたいなのってどういうことだよ、と思った。しかし続くEP8『最期のジェダイ』はどうかというと、結構ゴチャゴチャしてたけれども相当興奮して観ることが出来た。EP7監督のJ・J・芸の無い・エイブラムスに対するEP8監督ライアン・やればできる子・ジョンソンの卓袱台返しだと思えた。

ちなみにオレは外伝に当たる『ローグ・ワン』のみならず『ハン・ソロ』も好きなので、SWサーガ全体で言うならEP7を除いてどれも好き、というSWファンとしたら相当好意的な部類のファンじゃないかと思う。オレがSWに求めてるのは「オリジナル」の厳密な踏襲なんかではなく「SF映画としてその時その時楽しかったかどうか」なのではないかと思うんだ。

■そして(やっと)『スカイウォーカーの夜明け』

長々とSWサーガ全体をおさらいしてみせたのは、「じゃあオレは一人のぞんざいなSWファンとしてこの『スカイウォーカーの夜明け』をどう観なければいけないのか」と思ったからだ。どう観なければも何も、「SF映画として」楽しみゃあいいだけなんだが、どうもこの「シークエル」はデコボコしていて、期待やら否定的感情やら余計な思惑が入り込み素直に観られない部分があったからだ。

まず心掛けとして、今作の監督がクソつまらないEP7を監督したJ・J・エイブラムスであることを念頭に置き、EP7的なファン迎合作品であることは避けられないだろう、だからその辺はブツクサ言わず軽く流そう、多大な期待はしないでおこう、と思った。それとこれは「シークエル」の最終話となるので、なにかとんでもないことが起こる訳ではなく、収まるべきものが収まる、既に予定調和的な作品にならざるを得ない、ということだ。あと、なんだかんだと言いつつ、これは亡くなられたキャリー・フィッシャーの最期の出演作となるので、敬意をもって臨もう、ということだ。

で、結局どういう感想だったかというと、これが結構楽しんで観られた。その場の思い付きで作ったんじゃないか、とすら思えたシナリオの雑さや、これSFじゃなくて単なるファンタジーだろ、と感じた展開のインチキさ加減、エイブラムスの大味さや外連味頼りの監督振り(プロデューサーとしての手腕は評価できるかもしれないが映画監督としては全然たいしたことないよな)は、【既に学習済み】ということにして、徹底的に【お気楽に】観ることにしたら、これが、割と悪くないのだ。

まあこれすらもEP7の酷さやEP8の悪くはないがゴチャゴチャした作りと比べるなら、という相対的なものではあるのだが、なにしろ上映時間が142分あったにも関わらずスイスイスラスラと立て板に水の如くお話が進んでゆくではないか。当然3部作最終話としての予定調和的展開がそう思わせるのかもしれないが、「いや、別にこれでいいじゃん?」と感じたのだ。要するに「安心して観ていられた」ということなのかもしれない。

それよりも、あれやこれやの惑星の工夫されたロケーションが楽しかったし、新たな登場人物の何人かは魅力的だったし、レン騎士団はカッコよかったし、「ビックリ隠し玉」にはやっぱりビックリさせられた。そして主役たるレイ役デイジー・リドリーの終始引き攣った顔と、カイロ・レン役アダム・ドライバーのヌボッとした顔には、流石に3作目ともなると愛着が沸いてこれも安心して観ていられた理由だった。

実の所、「語るべきものも語りたいことも何も無いにも関わらず極めて商業的な理由ででっち上げられたオハナシ」には余り興味が沸かず、だから「スカイウォーカー一族がああしてこうして結果的にこうなった」という本来のテーマの結末にも特に感銘を受けることはなかったけれども、とりあえず期待したり失望したり驚かされたりうんざりさせられたりしたこの「シークエル」が大団円を迎えた、というその「完走感」が、『スカイウォーカーの夜明け』の感想を底上げしているかもしれない。ああ、終わった終わった、だから次はもっと新しいものが観たいな。