映画『ロボット2.0』は奇絶!怪絶!また壮絶!な物語だったッ!?

■ロボット2.0 (監督:シャンカル 2018年インド映画)

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「インド映画史上最高額の製作費90億円」「2018年インドNO.1ヒット、インド映画歴代でも第2位」などと景気のいい宣伝文句で現在公開中のインド映画『ロボット2.0』は2010年に公開された『ロボット』の続編となる作品である。

1作目である『ロボット』はとんでもなくおったまげさせられた映画だった。まだ日本公開未定の段階で「インドでおそろしくぶっ飛んだVFXの映画が公開されている」とネット上で話題となり、その一部を紹介した動画を観たがそれはもう本当に「アリエネーッ!!!」と絶叫したくなるような映像で、インド映画の事などまるで知らなかった当時のオレが矢も楯もたまらずすぐさまインド雑貨の店で輸入DVDを注文したぐらいであった。

1作目の物語は心を持ったロボット、チッティとそのレプリカである戦闘ロボット軍団との戦いを描くSFアクションだ。大枠で言うなら「A.I.の叛乱」と「A.I.の人権」がテーマとなる作品である。しかしこういったシリアスなテーマを中心としながらも、笑いとロマンス、百花揺籃な歌と踊りをふんだんに盛り込み、インド映画らしい噎せ返るような芳香に満ちた作品として仕上がっていた。そしてなにより、そのアクションの発想とビジュアル化が、唖然呆然としてしまうほどに突き抜けた作品であったことは言うまでもない。その表現力はもはや世界レベルどころか、唯一無二と言っていい。

そしてその続編となる『2.0』である。物語はインドの都市チェンナイにおいて、全てのスマートフォンが人々の手をすり抜け宙へ飛び去ってしまうという怪事件が起こるところから始まる。そしてそれら消え去ったスマホは合体し、巨大な怪鳥となって街や人々を次々と襲い始めたのだ。ロボット工学者バシー博士(ラジニカーント)は伝説のロボット・チッティ(ラジニカーント二役)を再起動、消えたスマホと合体した怪鳥の謎を解明するため危険な戦いへと乗り出すのだ。

1作目は「A.I.の叛乱」「A.I.の人権」という実にSF作品らしいテーマだったが、この『2.0』は「スマホ依存の危険」と「高度情報化社会の陥穽」という現代的・社会的なテーマを持ち込んでいるという部分で実にキャッチ―な作品だと言えるだろう。スマホに慣れ親しんだ我々だからこそ、この物語に強い訴求力を感じるのではないだろうか。街中の全ての人がスマホを失うことで大パニックに至り、ついに軍隊まで出動する、という流れは、逆にこの小さな電子機器がいかに人々の生活に無くてはならないものとなり、それに依存しきった生活を営んでいるのかを浮き彫りにし、さらにそのスマホが合体して人を襲うという展開は、それだけでもどぎついアイロニーであるに違いない。

とはいえ、こういった社会派な問題提起ありきの物語ではなく、そこで描き出されるビジュアルがなにより新奇で面白いものだからこそ生きる作品なのだ。大量のスマホが空を飛び交う!大量のスマホが川となって流れてゆく!大量のスマホが合体して鳥になる!そして人々を襲い街がパニックとなる!なぜそうなったのかという理由はさておいて、この「訳が分からないけどなんだかとんでもないことになっている、とんでもない映像として描かれている」という部分がまずなにより面白く、興奮させ楽しませてくれるのだ。そして、「なんでそんなことを思いついちゃうの!?」という奇想の在り方に感服させられるのだ。

こうして前半、雪崩の如く暴走するこの物語は、後半において明らかになる「理由」と「真実」により、逆に沈痛と悲哀とが渦巻くエモーショナルに振り切った展開を見せ始めるのだ。ここで中心となる男パクシ(アクシャイ・クマール)については多くを語らない事にするが、彼のその存在が、どこまでも躁的にはっちゃけていた1作目とはまた別個の、暗鬱な空気感をこの2作目にもたらしていることは確かだろう。正直なところ、主役たるロボット・チッティの変幻自在な戦い振りには前作を超えるほどの驚きを感じなかったけれども、パクシのどこまでも禍々しい妄念の噴出とそのビジュアルが、今作を牽引することとなるのだ。そしてこの悲痛なる暗鬱さはシャンカルの前作『マッスル 踊る稲妻』に通ずるものがある。すなわち『ロボット』と『マッスル 踊る稲妻』との作品的フュージョンがこの『2.0』であるという事もできるのだ。

監督シャンカルのこれまでのフィルモグラフィを振り返ってみると、彼の作品の多くは、「アンビバレンスの中にある個人の苦悩と矛盾の物語」であることに気付かされる。例えば『その男シヴァージ』や『インドの仕置人』は「社会的腐敗に対抗するために自らも穢れた仕事に加担してしまう男の物語」であったし、『ジーンズ 世界は2人のために』は双子が主役というそれ自体がアンビバレンスの物語だった。『マッスル 踊る稲妻』は「愛と憎しみの間で引き裂かれてゆく男の物語」だし、『ロボット』は「人間性と非人間性の狭間で苦悩するA.I.の物語」だ。ではこの『2.0』はどうか。それは「正義のために死と破壊を選択してしまう男の物語」ではないか。アンビバレンスの中にある苦悩と矛盾、それは大なり小なり現代の社会生活者の心に存在するものだ。奇想天外なヴィジュアルとアイディアで観る者を驚かせながら、同時に現代人の心のひだに澱の様に溜まった苦悩を照らし出してゆく、そんなシャンカル監督の手腕に観客は魅せられるのではないだろうか。

映画的に見るなら、スーパースター・ラジニは、お年のせいなのかあんまり動いていないように見えた。アクション・シーンは代役だと思うがどうなのだろう。アクシャイ・クマールはメイクし過ぎで誰でもいいような気もするが、その存在感はやはりアクシャイのもののように思う。女性アンドロイド役のエイミー・ジャクソンは、ウーンあんまり魅力を感じなかったなあ。2時間半ある映画だったが、あっという間だった。余計な寄り道が無いこともあるが、やはり歌と踊りのシーンがエンドロール以外一切なかったからなのだろう。同時に、大ヒット作の1作目の続編という事で、シャンカル監督が相当にシビアに作り込んでしまったからというのもあるだろう。結果的に1作目の天衣無縫な語り口調は後退してしまったが、あくまで挑戦的な作品作りに挑む態度は全くぶれてはいなかったと思う。


映画『ロボット2.0』予告編

■参考:このブログでのシャンカル監督作品レビュー一覧