社会病理としてのジョーカー/映画『ジョーカー』

■ジョーカー (監督:トッド・フィリップス 2019年アメリカ映画)

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「ジョーカー」といえばDCコミック「バットマン」における最狂最悪のヴィランにして知られ、アメコミ世界それ自体においても悪のカリスマとしての魅力を燦然と輝き渡らせている存在だろう。そのジョーカーを主人公としジョーカー誕生の秘密を描いたのが映画『ジョーカー』である。主演はホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、『デッドプール2』の出演も記憶に新しいザジー・ビーツ。監督は『ハングオーバー!!』シリーズ、『アリー スター誕生』のトッド・フィリップス。今回はネタバレが在ると思うので読む方は要注意。

主人公となるのは大道芸人アーサー。彼はコメディアンを目指しつつも突然笑い出して止まらなくなるという障害を持っていた。そんな彼が世間と社会にフルボッコにされ、追い詰めに追い詰められた挙句狂気に至り、遂に悪の権化ジョーカーへと覚醒して破壊と混乱と死を撒き散らしてゆく、というのがこの物語だ。

まず主演のホアキン・フェニックスの演技がなんといっても最高だった。ままならない人生に虐げられた者の不安と悲しみで塗り固められた表情が、次第に深い孔の如き虚無に、さらに狂気の鮮烈な暗い輝きに満ち溢れてゆく演技は、絶賛を持って受け入れられて当然のものだろう。それだけの迫真性が彼の演技にはあった。映画作品としてみるなら、架空の都市ゴッサムの、過去のいつの時代とも分からない混沌とした情景描写が幻惑的であったし、個人の暗い情念に寄り添う形で疾走してゆく物語展開には単なるエンターティンメント映画の枠組みを超えた強烈な作品性を感じた。

しかしシナリオはどうだろう。一人の究極的な悪の誕生が、残酷な社会にどこまでも追い詰められ精神さえも崩壊した者の窮鼠猫を噛むが如き反逆であった、とする物語の流れは、どうにも単純な因果律をなぞったものにしか思えない。この物語は悪の発生を社会病理として描くけれども、それは表現の質としてちょっと凡庸すぎないか。確かに虐げられし者アーサーは悲惨な境遇にある男であり、また大なり小なり社会的弱者である者からの強烈な感情移入を可能にするキャラクターではあるが、社会に虐げられた者全てが悪に染まるわけではない。むしろドラマとはそれをどう乗り越えてゆくのかという部分で生まれるのではないか、と個人的には思ってしまう。

一歩譲って虐げられし者が悪へと墜ちる物語として認めるとしても、その最終形態が悪のカリスマ・ジョーカーであった、とするには、このアーサーという男はまるで役不足なのではないか。というのは、確かにアーサーは同情を感じざるを得ないキャラクターであるとしても、残酷な言い方をするならば少々愚鈍な男でもあるように思えるのだ。彼は彼を苛む非道さに対してまるで立ち向かわず戦わない。ただひたすら被害者であることに呻吟し愚痴を垂れ首うなだれるばかりではないか。

その彼が反撃に出ることになるきっかけは銃を手にすることによって引き起こされるが、それにしても「たまたま」手渡された銃による「偶発的な」殺人行為、という本人の恣意性からは遠い部分にある理由からではないか。 要するに成り行きなのである。それは愚鈍な男がたまたまの偶発的な理由により犯罪者になってしまった、という世間ではどこにでもありそうな犯罪劇である。物語はその殺人がさらなる殺人を呼び寄せることになるが、それは憤怒と怨恨によるものであり、ある意味人間臭い短絡的な理由からで、狂気と呼べるものでもない。その後物語は世相の混乱と相まって巨大なパニックへと発展してゆく様を描くものの、そのパニックに彼の恣意性は介在しない。全ては「不幸にもたまたまそういった負の連鎖が重なってしまった」事件なのであり、それが一足飛びに「狡知に長けた悪のカリスマ誕生」と結びつくとはまるで思えないのだ。つまりは物語的な飛躍が大きすぎ、展開に強引さを否めないと言うことなのだ。

煎じ詰めるなら、この作品はリアルな社会病理の在り様に拘泥したばかりにあくまでフィクショナルな存在であるジョーカーの突き抜けた悪の魅力を語るには充分ではなかったと思う。この物語ははからずして凶悪犯罪者となってしまった一人の男の悲劇を描くものだけれども、それがジョーカーである必要と必然性をあまり感じないのである。それと同時に、社会病理としての悪の発生とか理由付けではなく、純粋にアナーキーサイコパスなジョーカーを期待していた。ジョーカーに「いろいろ大変な人生だったねえ」だなんて同情したくもないしさせられたくもなかった。そもそもがこの映画、サディスティック過ぎて笑えないコメディを連発してきた監督トッド・フィリップスお得意のイキったサディズムを、今回は(ジョーカー以外の)笑い無しで羅列しただけのような作品にしか思えず、DC作品としても退屈だった。 


映画『ジョーカー』特報【HD】2019年10月4日(金)公開 

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