地獄で生きるということ/映画『暁に祈れ』

■暁に祈れ (監督:ジャン=ステファーヌ・ソヴェール 2018年アメリカ・イギリス・フランス・中国映画)

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なんだかとんでもなく物凄い映画を観てしまったのでざっくり紹介したい。タイトルは『暁に祈れ』、米英中仏合作のドラマだ。

どんなとっかかりでこの作品のDVDをレンタルしたのかがまるで思い出せない。なにやらシリアスなボクシング映画のようなのだが、そもそもオレはボクシング映画には興味がない(ただし正確にはこの映画はムエタイの映画)。でもまあ借りたので一応観とくべえか、と再生し始めたら、うわわわわ、なんだこの世界は!?と度肝を抜かれ腰を抜かしおしっこもちょびっと洩らしたオレがそこにいたのである。

舞台はタイの刑務所。麻薬所持により逮捕されたイギリス人ボクサー、ビリーはこの刑務所に収監されることとなる。そしてそこでビリーが目にする事になったのは、右を見ても左を見ても誰も彼もが全身にも顔にも刺青をしたタイ人囚人の群れだったのだ!

そう、この映画、出て来る囚人がほぼ全員「絵人間」という、とんでもないビジュアルの作品だったのだ!おまけに、顔付や行動がもう、全然真っ当な人間じゃない。アブナイ。限りなくアブナイ雰囲気満載の皆さんではないか。で、後で調べたら、この「絵人間」の皆さん、全員本物の元罪人で、当然「刺青」も全部モノホン、さらに舞台の刑務所までがホンモノだった!?という凄まじくリアルの塊の映画だったんですね!?

いやもうなにしろ刑務所なもんだから常に50人から100人にのぼる囚人たちが画面に映し出されるのだが、くどいようだがこの全員が全身刺青、というビジュアルは、もう異様過ぎて異質過ぎて、こんな世界がこの世にある、という事実に怖気立ってしまったのである。

おまけに刑務所あるあるの新参者いじめ、さらに集団アナル強姦、突発的に起こる暴力行為、威嚇と脅迫がビリーを襲う訳だが、これだけでも嫌になるぐらい怖いのに、さらに怖いのは、ここが異国で、言葉がまるで通じない、相手が何を考えてるのか分からない、おまけに果てしなく暗く不潔な刑務所で、いつまでの刑期なのか全く描かれる事がないという、もう恐怖と絶望しかない【地獄】が口を開けている、ということなのだ。

刑務所を舞台にした映画は多いが、異国で刑務所に入れられる恐怖、というとアラン・パーカー監督の『ミッドナイト・エクスプレス』が印象深かったし、絶望的な刑務所生活を描く作品としてはマヌエル・プイグ原作の『蜘蛛女のキス』という大傑作が存在する。『暁に祈れ』を観てまず連想したのはこの2作品だが、『暁に祈れ』がこれらの作品と全く違うのは、主人公の内省が全く描かれない、という部分、出所やら脱獄やらの形で外の世界に出たい、という主人公の願望すら描かれない、という部分だ。脱獄映画『パピヨン』のように自由を求めて戦い抜く物語では決して無いのだ。即ち、この作品は、地獄にいて、地獄で生きる事、そこのみに焦点を当てた物語なのだ。

この物語は実話であり、後に出所することになったビリー・ムーアの自伝小説を映画化したものなのだそうだが、ここまで徹底的に「地獄での生」のみを切り取ったこの映画は、それによりどこか抽象的な寓話にすら思えてくる。それは、「地獄でしかない逃れられない生をどう生きるのか」ということだ。

絶望の底にまで落とされたビリーはある日ボクサーのキャリアを生かし刑務所のムエタイクラブに入ることになる。厳しいトレーニングを経て強くなってゆくビリーは周囲の囚人たちから信望を得、次第に受け入れられてゆく。この映画の中盤にあたる部分で、ビリーはやっと笑顔を見せる。また、同じ受刑者であるレディーボーイ(タイでは割とお馴染みの性転換者)とのロマンスも描かれはする。ムエタイ試合への挑戦は希望の糧となり、ロマンスは心を癒してくれる。だがしかしだ、ここで注意したいのは、だからといってここが地獄であることには変わりないのである。

「地獄も住み処」という諺があって、これは「地獄のようなひどい所でも慣れれば住み心地がよくなるということ、住めば都」という意味なのだが、逆に言うなら、地獄すらも住み処にしてしまうということ、地獄しか生きる場所が無いのならそこで生きる術を探すしかない、ということでもあるのだろう。

幸いにしてオレは今地獄の中にいるような人生を生きてはいないが、その昔ちょっとかすってしまったことがあるのは確かだ。将来だって分かりゃあしないしな。そして実際今地獄の様な人生を歩んでいる人がこの世には幾人もいるのだろうとは思う。映画『暁に祈れ』はそのような人生を生きる人になんら希望をもたらすものではない。なぜならこれは希望についての物語ではないからだ。しかし、人は時として、地獄でも絶望の中でも生きてしまえること、「地獄も住み処」になってしまうことがある。映画『暁に祈れ』は、その得体の知れない生命力の在り方を描いた部分で、異様な感慨を抱かせる作品であった。

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