『ボヘミアン・ラプソディ』を今頃やっと観た

ボヘミアン・ラプソディ (監督:ブライアン・シンガー 2018年アメリカ映画)

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去年公開され大ヒットしたあの話題作『ボヘミアン・ラプソディ』がディスクになったんでオレもやっと観た。ディスクリリース早くね?と思ったんだが劇場でつい最近まで上演されてたけど実際は去年の11月公開だったんだね。

あれだけ話題だったが特に劇場で観る気がしなかったのは、それほどクイーンには興味がなかったのとあんまり感動感動と世間がかまびすしかったのでなんだかシラケていた、というのがあった。フレディーの最期とその理由はオレはリアルタイムで知っていたが、こういう悲劇性でクイーンの物語がくくられるのはなんだか違和感もあった。

クイーンの音楽は中学生頃に知ったのかな。当時出ていた最新アルバムは5枚目の『華麗なるレース』だったと思う。当時クイーンはハードロックにジャンル分けされていて、フレディー・マーキュリーのヴォーカルやパフォーマンスなんかよりもブライアン・メイのギター・テクニックのほうが話題だった。友人から借りて聴いた『オペラ座の夜』と『華麗なるレース』は悪くなかった。ただなにしろオレはハードロックは趣味じゃなく、プログレッシヴ・ロックグラム・ロックが好きだったので、クイーンには特に熱中しなかった。そういや当時、確かにクイーンは女の子に人気があった。中学の時にロックを聴く様な女子はたいがいクイーンだった。その前はベイシティ・ローラーズを聴いていたような女の子がクイーンを聴いていた。

フレディー・マーキュリーが注目を浴びるようになったのはMTVの全盛期からだったと思う。ロック界隈の中でのフレディーの衣装は奇抜過ぎたしパフォーマンスはなんだか付いて行けない部分があった。短髪と髭、タンクトップというファッションもちょっとロックぽくなくて、この人何がしたいんだろう、と思っていた。だからどこかの段階でゲイと知った時には溜飲が下がった。オレはもともとボウイのファンだったし、当時よく聴いていたニューウェーブ系の音楽にもゲイやバイセクシャルのアーチストが多かったので、フレディーがゲイだということを知っても特に何も思わなかった。むしろびっくりしたのは、彼がインド系だったということだ!インド系ロッカーって、なんか凄いな、とちょっと思った。

映画はそんなフレディー・マーキュリーを中心に、青春期における父との葛藤や、女性との愛、バンドの成功とそれに反比例して彼を苛むようになる孤独、さらに自らがゲイであることを知り、その恋人に振り回されるようになってゆくことなどが描かれてゆく。

映画を観て思ったのは、フレディーがゲイであるかどうか以前に、そもそも心が乙女なヤツだったんだなあ、という事だ。これは彼の女性の恋人と電話しながらお互いの部屋の照明を点けるとか点けないとかどうにもロマンチック過ぎるやりとりをしていたシーンで思った。フレディーはお目目をキラキラさせながら恋人との愛の確認作業をしていたけど、恋人のほうは途中からうんざりし始めるのだ。

男のほうが女よりも無駄に無意味にロマンチックなのは結構あることで、なぜならそれはオレ自身が心が乙女な男だからよく分かるのだ。これはオレの相方からもよく揶揄されるよ。あ、オレの相方は女性です。多分実は、女の方が男よりもリアリスティックなんではないかと思う。それは性差という事ではなく社会的な理由で、男は夢みたいなことを言ってても社会でなんとなく生きていけてしまうが、女は夢みたいなことばかり言ってたらこの社会で生きていけないからなんだと思う。それは社会が男社会にできているからだということだ。

フレディーの繊細さや傷付き易さや孤独や親との葛藤がアーチストとしての表現に繋がった、というのは何となく分かんないでもないが、別に孤独で繊細で傷付き易くて親と葛藤がある人間が誰しもスーパースターになるわけなんじゃないから、これはまあ彼の個人的なキャラクターである、としか捉えられない。当然、ゲイであることとアーチストとして大成することも、要因ではあっても原因ではない。じゃあなぜフレディーが大成したかって、それは彼に才能があり時代を読む知見があったからということでしょう。だから彼の人生と絡めて彼の表現を語るのは、なんとなく居心地が悪いんだ。

それよりも、彼を支えるバンドメンバーの、フレディーの気ままさにあんまり動じないどっしりした落ち着きや寛容心や包容力のほうに、フレディー・マーキュリーという不世出のアーチストを活かすことができた要因があったんじゃないかな、とこの映画では思えた。もちろん映画というのは脚色が成されているもんだし、この映画におけるバンドメンバーの描かれ方が現実に即しているかどうかなんて知らないし分からないんだが、少なくともこの映画では、よく見るとバンドのメンバーはそういった描かれ方をしているんだ。で、実際、意外とクイーンってそういうバンドだったんじゃないか、とオレには思えたよ。