【ネタバレあり】有終の美を飾るシリーズ完結編『アベンジャーズ/エンドゲーム』

アベンジャーズ/エンドゲーム (監督:アンソニージョー・ルッソ 2019年アメリカ映画)

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◆今回はネタバレにて失礼

衝撃の結末を迎えた前作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』から1年、いよいよその完結編でありMCUマーベル・シネマティック・ユニバースの一応の一区切りとなる作品『アベンジャーズ/エンドゲーム』が遂に公開され、オレも鼻息を荒くして観に行ったのである。

そんなわけでこの『エンドゲーム』の感想というか雑感を書こうかとは思うのだが、なにしろもう、何を書いてもネタバレになりそうである。オレも観に行くまではSNSは極力控えて観に行ったぐらいだから、他の方も同様に避けたいであろう。オレなんかもう面白かったか面白くなかったかすら知りたくなかった。かといって物語に一切触れずに書くのも難しいし、もういっその事全部伏字のブログ記事にしちゃおうか!?などと逆上気味に思ったりもしたのだが、それもなんだか馬鹿馬鹿しい。

というわけで今回はあえて【ネタバレあり】の感想にしたいと思うので、まだ映画をご覧になっていない方はこの辺でブラウザを閉じるなり前に戻るなりしてくださった方がよろしいだろう。

なお本文では「MCU最終章」的な書き方をしているが、もちろんこの作品でMCU自体が全て終わるわけではないことは認知しているので、「これまでの物語の大きな一区切り」であるといった意味で受け取ってもらいたい。では行ってみよう!

◆インフィニティ・ウォー

さて最初に感想を書く。まずなにしろ、想像以上によく練り込まれた、素晴らしい作品だった。『インフィニティ・ウォー』の続きとなるなら、それはもうヒーローたちの凄まじい「アベンジ」が描かれるだろうことぐらいは予想付くが、それ以上に、MCU作品群のフィナーレとして、非常に心動かされるエピソードをこれでもかと盛り込んできた。それにより、タイトルに相応しい見事な幕引きを見せてくれた作品として完成していた。マーベルヒーローのみんな、ありがとう、ごくろうさま、という気持ちで一杯になって劇場を出る事が出来た。

実の所オレはそれほど熱心なMCUファンではない。そこそこに映画の好きな人間なのでこれまで公開されたMCU作品は一応全て観ているのだが、ほとんどの作品は楽しんで観てはいたけれども、まるでノレなかった作品や退屈すぎてゲンナリした作品も無いことも無いのだ。特にMCUで最も重要な作品であろう『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』や『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』はオレには辛気臭すぎてうんざりさせられた作品だった。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『アントマン』のシリーズには相当退屈させられた。こういった作品が続くものだから一時はMCU嫌いにまでなってしまった。

ただその後の『ドクター・ストレンジ』や『マイティ・ソー:バトルロイヤル』、『ブラック・パンサー』は好きだったので、どうもオレは仲間内でゴチャゴチャする話ってェのが基本的に嫌いなのかもしれない。それと併せ、際限なく登場する新手のヒーロー映画には食傷気味になってきたし、変わり映えのしない物語展開にも退屈してきたのも確かなのだ。

しかし『インフィニティ・ウォー』は違っていた。これは、これまで培ってきたMCUを終わらせるために製作されていたのだ。ここまで長い年月を掛け膨大なファンと莫大な収益を得てきたシリーズ作を終わらせる、という英断の在り方に驚いた。どこぞの””SF星間戦争シリーズ”と志が違うな、と感心した。しかもただ終わらせるのではなく、全宇宙の全生命が半分となり、当然ヒーローたちも半分方消滅してしまう、という未曽有の危機を描いて幕を閉じたのである。世に幾多あるSF作品ヒーロー作品の中でもここまで絶望的な状況を描き切った映画は後にも先にも初めてかもしれない。

◆エンドゲーム

こうして凄まじい喪失と絶望の中からこの『エンドゲーム』は語り始められる。陰鬱極まりない出だしだけれども、これからの大いなる反撃の様も逆に期待させられる。ところが、開幕早々前作今作の最大の敵である筈のサノスがあっさりとナニされてしまうのだ。そしてサノスをナニしただけでは宇宙は救われないことも分かってしまう。ここで登場するのがアントマンだ!で、「量子力学のアレのコレで時間をアレすればコレがソレしますよ!よし、やっちゃおう!」という流れになるのだ。

「時間のアレ」。要するにタイムトラベルだ。いや最初はオレも「ちょっとズルくないかー?」とは思ったのである。確かに今作に対する感想でタイムパラドクスに言及されている方も見かけはする。で、このタイムパラドクスなんだが、物語内で「よく言われるタイムパラドクスの概念は間違い」という「方便」が宣言される。「方便」、または「インチキ」ともいう。しかしそもそもMCUにおける科学の在り方は「荒唐無稽系」という”系”に属しているので(そもそも魔法が存在している世界である段階で科学もクソも無い)、宣言された「方便」はこの”系”においては有効であるという認識で正しいのである。すなわちインチキでもよいのだ。

そしてこのタイムトラベルの扱いがMCUフィナーレとしての今作に於いて核心的に重要な役割を負っている。それはアイアンマン/トニー・スタークが、キャプテン・アメリカスティーブ・ロジャースが、それぞれに様々な遍歴を経て現在の戦いの場にいる中で、タイムトラベルによりそれぞれの出自はなんであったのか、を振り返ることになるシーンが挿入されるということだ。それは、「自分たちはなぜ今の自分となったのか?」「自分たちにとってヒーローであることとはなんだったのか?」「そしてなぜ戦っているのか?」といった問い掛けとその答えが描かれるということだ。そしてそれは物語世界から離れ、MCUの歴史とその存在自体を再確認する描写でもあったのである。

これにより、物語は「敵を倒す」「世界を救う」といった従来的なヒーロー物語から、ヒーローそのものの来歴にクローズアップした、フィナーレに相応しい有終の美に満ち溢れた物語展開を可能にしているのだ。長年のファンであればあるほどこの二人のタイムトラベルで観ることになるシーンに万感の想いを抱くことになるだろう。この『エンドゲーム』は『インフィニティ・ウォー』から続く物語の完結編であると同時にMCU自体の(一応の暫定的な)完結編でもあり、その両方の展開を用意しているという部分で相変わらずすさまじく見事に交通整理されたシナリオだな、と感服させられる。

◆最後の戦い

 こうした「堂々たる完結に向けてひた走るシナリオ構成の見事さ」もさることながら、遂に巻き起こったクライマックスにおける大戦闘の【最後の戦い】ぶりは、黙示録もかくやと思わせるが如き世界最終戦争の様相を呈しており、その天が割れ地が裂け空気が燃え肉と肉がぶつかり合い超科学兵器と超魔法とがしのぎを削る戦いの凄まじさはシリーズ最終章に相応しい超ド級の描かれ方をしている。

なんと言ってもこれまでシリーズに登場してきたあのキャラクターが、このキャラクターが、あたかもバトンリレーの如くその雄姿を次々と顕しあらん限りの持てる力を振り絞って戦うその姿は、これまでシリーズを愛してきたファンにとっては万感に迫る思いで目に映る事だろう。個人的にはキャプテンがムジョルニアを手にした時ソーが「やっぱりな」と言った時の高揚感と言ったら無かった!そして強力の盾と槌を持ったキャプテンのその姿は彼の完成形の姿ではないかとすら思えた。

ところで今作で危惧していたのはキャプテン・マーベルの絶対的な強力さだった。『インフィニティ・ウォー』ラストにおいて「最後の切り札」的に言及されその出演作『キャプテン・マーベル』においては向かうところ敵なしの超絶的な力を見せつけたキャプテン・マーベルは、ともすればデウスエクスマキナ的なご都合主義的な「最後の切り札」に成り得たであろう所をしかし、この『エンドゲーム』では巧みに登場シーンを限定しつつ、その強力さの見せ場もきっちり用意してまさに「最後の切り札」らしい活躍を見せてくれた。

あの悲痛極まるトニーのエピソードについては多くを語るまい。しかしこう思ったのだ、『アイアンマン』で始まったマーベルの長く偉大なる旅の最終章は、こうしてまた『アイアンマン』で閉じられるのだと。こうしてMCUは一つの大きな円環の中で完結し、そしてまた新たなMCUの物語が語り継がれるのだと。これは終わりではない、新訳聖書の福音にあるが如く、「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである、だが死ねば、多くの実を結ぶ」ことを体現しているのだと。畢生の傑作であった。