ケン・リュウ最新SF短編集『生まれ変わり』を読んだ

■生まれ変わり/ケン・リュウ

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わたしは過去の自分を捨て、生まれ変わった…。地球に到来した異星の訪問者トウニン人と共生することになった人類は、大いなる代償と引きかえに、悪しき記憶を切除して新しい自分に「生まれ変わる」道を選ぶことが可能になった。トウニン人のパートナーをもつ特別捜査官の男がトウニン人殺害テロの謎を追う表題作、アジアの田舎の靴工場で女工として働く少女の数奇な運命を描く「ランニング・シューズ」、謎の僧に見出され殺し屋としての人生を生きることになった唐の将軍の娘の物語「隠娘」など、短篇小説の名手ケン・リュウが描く、20篇を収録した日本オリジナル短篇集第三弾。

今のオレにとって現在最高のSFの書き手はケン・リュウだ。ケン・リュウ、1976年中華人民共和国生まれで現在アメリカ在住のSF作家である。日本ではこれまでに短編集『神の動物園』『母の記憶に』 、長編『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』の訳出がある。

ケン・リュウSFから感じるのは脱西洋的な視点であり、それにより欧米SFの在り方への批評ともとれる作品を物しているという事だ。これは彼が中国生まれという出自を持つことが当然影響していると思う。ケン・リュウは欧米的な科学主義SFが取りこぼした「人間性」をその作品の中でもう一度取り戻そうとする。さらに歴史の中で欧米列強によりないがしろにされてきた第三世界の心情にできるだけ寄り添い、その中でSFという形で物語を紡ごうとする。

ケン・リュウ作品がオレにとって最高のSFと思わせるのは、ともすれば従来的と思いこまされてきた西洋的な視点からの転換と、それとは違うオルタナティブ歴史認識・人間観の在り方が非常に新鮮に感じるからなのだ。

例えばSF作品ではお馴染みのテーマである「人間の意識の電脳人格化」だ。究極化した科学技術であればそれは可能なのかもしれないし、欧米SFはそれを無批判に描き出すが、ケン・リュウSFではそれは否定的なのだ。それが科学技術で可能であろうとも、肉体という頸木を持たない生命が果たして生命と言えるのか、とケン・リュウSFは問い掛ける。

この「電脳人格」に関するケン・リュウSF作品は非常に多い。これはこれまでSFが、例えば現在欧米SFの極北に位置するグレッグ・イーガンの作品などが安易に描いてきた「電脳人格」の在り方への批評であると同時に、どんなに科学が発展しようとも存在する「人間的要素」、即ち「人間を人間たらしめているものは何なのか」ということがケン・リュウの創作的興味の中心にあるからではないか。そう、ケン・リュウSFの中心にあるのは、常に「人間」なのである。

さて前置きが相当長くなってしまったが日本編集版ケン・リュウ短編集第3弾『生まれ変わり』である。これまで2巻出た短編集よりもさらに分厚く、20編の短編が収録されている。この分厚さと収録作の多さは、そのままケン・リュウSFへの日本における期待値が大いに膨れ上がっているからという事に間違いは無いだろう。

作品の執筆時期は2014年を中心に2018年に書かれた最新作まで収録するが、これまでの短編集で取りこぼした2011年作品も収録されている。そもそもがバラエティー豊かなテーマを描く作家だが、この執筆時期の幅により、彼のSF作品への向かい方の微妙な違いまで感じることもできるかもしれない。

全体的な印象としては、これまでの短編集よりもより「柔らかく」、「優しい」。これまでの作品ではSFテーマへの突き詰め方がどちらかというとハードであったものが、もっとソフトになってきたという事だ。女性の主人公の作品が多く、さらに少女が主人公の作品が目に付き、より感情の機微が豊かで、さらにそれらの作品の多くは、希望と救いがある。もちろんそうでない作品もあるが、基本的な部分では、人間への深い共感と愛情が描かれることになるのだ。

そしてこの『生まれ変わり』では、これまで否定的だった「電脳人格」の描き方を方向転換し、より積極的に「電脳化された人格のその先」を描こうとしている部分が目を引いた。これはどういうことなのだろうと思ったが、ケン・リュウがやろうとしたのは、「電脳人格の存在を肯定することによって、そこにどう人間的要素を見出そうとする事できるか」だったのではないか。ここにも従来的・先験的なテーマの在り方への批評が存在していると感じた。

例によって傑作揃いであり、これまでの二つの短編集と比べても全く遜色のない作品ばかりだが、2018年に書かれた最新作『ビザンチン・エンパシー』などを読むと、ひょっとしてケン・リュウは既にSFという枠組みに窮屈さを覚えているのではないかということをふと思った。この作品におけるSF的要素と呼べそうなものはVR技術とブロックチェーンだが、どちらも既に現行のテクノロジーであり目新しいものではない。SFというよりもスリップストリーム文学に近い。意外とケン・リュウはこちらの方向に行ってしまうのかもしれないが、これはこれでよりリアルな世界情勢を描き出しており、もし彼の興味の行く先が変わったのだとしても、これからもその作品を追い続けていきたいと思わせてくれた。 

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