橋本治さんが亡くなった。

f:id:globalhead:20190202173800j:plain

橋本治さんが亡くなった。亡くなったのは1月29日、70歳だったという。死因は肺炎ということだが、去年癌の摘出手術を受けていたのらしく、併発症ってことなんじゃないかな、と思う。以前から難病認定され、最近読んだ本も執筆ではなく口述だったので、「橋本さんも年取ったなあ」と感じていたが、『九十八歳になった私』なんて本も書いてたんだから、やっぱり98歳までは生きろよなあ、とちょっと悲しい気分で思ったりした。

橋本さんの紹介文では真っ先に小説家であり処女作『桃尻娘』の著者、ということになっているのだが、オレにとって橋本さんは100%評論の人だった。オレが最初に読んだ橋本さんの本は『親と子の世紀末人生相談』という本だった。橋本治の名前も知らずになんでこの本に手を出したのか覚えていないのだが、多分装丁に惹かれたのと、当時相当にシニカルな性格だったので、「世紀末人生相談」というタイトルに何か感じるものがあったんじゃないだろうか。

その時読んだ『親と子の世紀末人生相談』は当時のオレにとって凄まじい内容だった。それは「相談」に「答える」のではなく、相談者が「相談」を生み出したであろう背景と、「相談」の形で自己正当化している相談者と、「相談」に書かれてはいない・あるいは書くことをしていない相談者の心象を全て見抜き、「あなたの本当の問題はそれではない」と喝破し、真実困窮している相談者には恐ろしくタフでストロングな人の道を説いた。

オレは「この人、恐ろしく頭の切れる人だな」と感嘆した。いや、頭の切れる人間なんて世の中に腐るほどいるが、橋本さんの文章には、知識や教養だけではない、一本鋼のように筋の通った「在るべき在り方」が見いだせた。要するに、哲学があるのだ。それは「〇〇流」とかそういうのではなく、「最後までつきつめてゆくと、こういうことだよね?」という有るべき結論へ曇りもなく真っ直ぐ辿り着く頭脳の成せる業だったのだ。そして当時果てしなくしょーもない人生を送っていたオレは、橋本さんがここで書いた、「地味な生き方だって、生き方じゃないか」といった内容の文章にどこか救われた思いだった。

それからは橋本さんの本を貪るように読んだ。『江戸にフランス革命を!』『’89』『20世紀』『ナインティーズ』はとてつもない本だった。この時オレは橋本さんから歴史理解の重要性を教えられ、高校の時世界史日本史の落第生だったのもあって、自分なりに歴史を本を紐解いてみたこともあった。今でもオレの歴史認識の在り方は橋本さんの影響が大である。橋本さんは「全ては繋がっている」という、それはつまり今在る諸相とはどれも過去にあった、そしてまたさらに過去にあった「何か」 の行き着いた現在である、と言うことだ。だから橋本さんはいつも遥かに古い時代から掘り起こしながら「今」を語るのだ。

しかしさらに感銘を受けたのは『貧乏は正しい!』シリーズだった。これは橋本さんなりの若者論であり、同時に21世紀を目の前にした資本論でもあった。それは「経済とはこうである」ということではなく、「経済経済言うけどさ、やっぱなんかいろいろおっかしーし、そんなもんにからめとられちゃダメなんだよ!」ということを透徹した視点で看過していた。言葉はとことん易しく、しかし展開する論理は非常に高度で、さらに橋本さん独特の、「一本鋼のように筋の通った「在るべき在り方」」がそこにはあった。

続く『宗教なんかこわくない!』は例のオウム真理教事件が後に刊行された。ここではもはや「宗教なんてもはやとっくに時代遅れなんだから、自分の頭で考えることをするべきなんだよ!」と全ての宗教をあっさりぶった斬っていた。こう書くと当たり前のことのようだが、その結論に辿り着くまでのあらゆる思考がこの本ではみっちりきっちりと展開してゆくのだ。

その後も「ああでもなくこうでもなく」シリーズなどを読み続けたが、結局橋本さんの本を読まなくなったのは、「これ以上心酔しちゃうと単なる信者になっちゃうな」と思えたからだった。それこそ橋本さんの言う「自分の頭で考えろ!」ということだったのかもしれない。それと同時に、橋本さんの提示する「正しさ」が、現実に塗れまくっている自分の生き方にはきつく感じられてきたこともあった。なんかこう、「正しく」は生きられないものだ。自分は未だに沢山のものを誤魔化しながら生きているし、曖昧にしたまま忘れたふりをしている。それに対して「それは違う!」と看過されるのはちょっときつかったのだ。

そんな橋本さんの本を、また最近読み始めていた。それは、オレが年を取ったからだ。右も左も分からない、しょーもないワカモノだった自分が、ある種自己正当化のために、藁をもすがるような読み方をしていた橋本さんの文章ではなく、年を取ってなんとなく気持ちに余裕が出来て、もう一度、「あの時橋本さんは何を言ってたんだろうなあ」と考えたくなってきたからだった。

そしてやっぱり、橋本さんは凄かった。『国家を考えてみよう』『たとえ世界が終わっても』『福沢諭吉『学問のすゝめ』』は、まさに今現在の世界と日本の、とりわけ日本の政治状況のグジャグジャした様相をきっちりと見透かしていた。ここで橋本さんは日本が株式会社化してきたということを指摘し「国民はクビに出来ないので企業経営感覚の政治家は容易に差別主義者になる」と書いた。それは与党が、総理が、ということではなく、利潤追求型の政治の行く末はその国に住む人を幸せにしない、ということだ。

そんな感じで、またたまに橋本さんの本を読んでおこうかなあ、と思っていた矢先の訃報だった。オレは基本的に人はいつか必ず死ぬものだと思っているので、「惜しい人を」とか「早すぎる」とかは一切言わないことにしている。だから橋本さんの死も、「そういうものだ」と受け止めオレの今日と明日とその先の現実を粛々と生きていくだけでしかない。ただ、そんなオレのしょーもない現実に、幾ばくかの光を与えてくれた橋本さんには、心から感謝したい、と言いたいのだ。橋本さんありがとう、オレは橋本さんの代わりに、98まで生きてみるよ。わかんないけど。 

■これまでブログで書いた橋本治の本についての記事