超絶ハードSF、グレッグ・イーガンの『シルトの梯子』を読んだ

■シルトの梯子/グレッグ・イーガン

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

2万年後の遠未来。量子グラフ理論の研究者キャスが“ミモサ研究所”で行った実験は、まったく新たな時空を生み出してしまう―それから数百年後、人類はその生存圏を侵食し拡大し続ける新たな時空の脅威に直面し、生存圏の譲渡派と防御派が対立していた。両派共有の観測拠点“リンドラー”号にて、譲渡派のチカヤは幼なじみのマリアマと再会し動揺する…深刻な対立と論争の果てに人類が見たものは!?

 グレッグ・イーガンといえば現在SF界で最もハードなSF作品を書く作家だと言えるでしょう。オレも結構なファンで、引用されている最新物理科学理論などこれっぽっちも分からないけど、それでも大体の著作を読みました。分からないなりに相当の歯応えがある作品ばかりなんですね。なんたって"ハード"SFだから(ここ笑う所)。要するにSF作品として十分面白いし、分かんないなりに「新しさ」を感じたんですよ。

とはいえ、割と最近の著作『白熱光』は一応最後まで読み通しましたが、これが見事なぐらいにちんぷんかんぷんでした!続いて訳出された「直交3部作」の1作目、『クロックワーク・ロケット』に至っては、もはや全くついてゆくことが出来ず、最初の数10ページで投げ出してしまった。なわけで当然「直交3部作」は読んでいないし、これからもイーガンの著作に手を出すことは無いだろうと思っていました。まあ敗北宣言ですね。

そんなオレが2017年に刊行されたこの『シルトの梯子』に手を出したのは、魔が差したからなのだと言えるでしょう。というか実際は『白熱光』「直交3部作」以前に書かれた作品と知り「これならイケるかも!」と思ったんです。敗北宣言はしたものの、未練はあったんです。だってそれまでファンだったし。

さてお話。舞台は2万年後の遠未来、地球から370光年離れた宇宙ステーションから始まります。そこではデータ化された人類が、一般相対性理論量子力学とを統合する「サルンペト則」なる理論の有効性を確かめるための実験を行っていました。しかし実験は失敗、それにより「新真空」と呼ばれる異空間が出現し、光速の半分のスピードで膨張しながら周辺の星々を飲み込み始めたのです。それから600年後、人類は〈ミモサ事象〉と名付けられ膨張を続ける「新真空」付近に観測拠点「リンドラー」を置き、この新たな事象を消滅させるか維持させるのか白熱した議論を続けていたのです。

もうね。冒頭から飛ばしてますよ。そして冒頭からわっからないんすよ。一般相対性理論量子論が2万年後ですら統合の難しい理論であることがそもそも分からないし、「新真空」とか言われても「真空なら何にもないわけだから何が困るの?」と思ってたら実は「真空掃除機」の「真空」ではなく量子論的な「真空」のことを言っていたりとか、そもそもタイトルの「シルトの梯子」自体、説明を読んでもまーーったく分からないっすよ。

真空状態 - Wikipedia

シルトのはしご - Wikipedia

とはいえね、作品のアイディアを支える物理理論は分からなくとも、物語の骨子は単純すぎるぐらい単純なんで意外と読み進められるんですね。要するにこのお話、「マッドサイエンティストが作った別の宇宙が現在の宇宙を侵食し始めた!宇宙の危機を救うため、キャプテン・フューチャーフラッシュ・ゴードンは宇宙船ビーグル号をかっ飛ばし現地へと急行!」という話だと理解(曲解?)し、展開される理論は全部呪文だと思えばなんとか付いてゆけるんですね(敗北主義者)。

ここで面白いのは、刻々と現宇宙を飲み込んでゆくこの空間を、「すわ破壊だ!」とやるのではなく、「実の所なんだかよく分かってないし、存続させて研究対象にするべきなんじゃないか?それに宇宙って広いから暫くほっといても宇宙が全部のみ込まれるわけじゃないし」という「譲渡派」と、「気色悪いからさっさとぶっ潰そうぜ」という「防御派」に分かれ、そこで延々議論が繰り広げられる、という部分なんですね。「異物=悪」として野蛮に排除するのではなく、「科学で生み出されたものだから科学できっちり内容を知ろう」という態度の在り方がなんだか2万年後の未来人類ぽいじゃないですか。

もう一つ面白いのは、人格のデータ化も、それを容れる肉体の製作も容易な未来において、意外と登場人物たちは肉体化して登場し、おまけに思ったより人間臭いドラマを演じているという事なんですよ。この世紀においては宇宙旅行するのじゃなく人格データを送信して目的地で人間の容れ物に入れる、ということなんですが、基本的にイーガンSFは絶対に光速の壁を超えないので、射出されたデータですらも何百年も掛かって目的地に到着しますが。

人格データは常にバックアップされているので基本的に人類は死なず、何百年も生き永らえる事が可能になっている未来なんですね。この辺は最近のSFではよくある話なんですが、さらに身体には「クァスプ」なる量子コンピュータが埋め込まれ、人間は常に量子論的選択を経ながら思考し行動するとかなってますが、実はこの辺もよくわっかんないんですけど、要するに「すっごいICチップが埋め込まれたすっごい頭脳!」だと思うことにして先を読んでました。

ここを面白く思えた理由は、科学が凄まじく発展した未来を描くとしても、そこでドラマを形作る登場人物に読者がある程度の感情移入を許さないと、「小説」として立ちいかない、ということですね。データ化された人格なんてケン・リュウ的に言うなら既に人間ではありませんから、正直に突き詰めちゃうとコンピュータ同士の会話にしかなりませんが、それだと「小説」として面白くなくなっちゃう、だから作品世界の「SF的リアリティ」を無視してもやっぱり登場人物は人間ないしそれに近いものでなくちゃいけない、そういうジレンマがこの作品にはありますね。そしてだからこそ『白熱光』や「直交3部作」は「人間じゃないもの」を主人公にしなきゃならなかったと思うんですけどね。

でまあ、人類の探査チームはいろいろあってこの「新真空」だか〈ミモサ事象〉にだかに侵入することに成功します。そして……という後半から結構なドライブが掛かってきてグイグイ読めるんですよ。刊行1年経ったからちょいとだけネタバラシすると、なんとそこではファーストコンタクトが待っていたんです。ここからの異空間における異様な世界の描写はこの辺のテーマの作品としても群を抜いているかもしれませんね。それともう一つ考えると、この世界を作ったのは人間なんだから、ある意味人間が神になっちゃった、という話でもあるんじゃないかと思うんですね。で、その宇宙を、人間=神はどうするのか?というところでお話は盛り上がってゆくんですね。ややこしい描写は確かに多いですが、シンプルな話の骨子に乗っかってしまえば十二分に楽しめる作品でした。

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

 
シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)