いつか中指を立てる日/映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』

アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル(監督:クレイグ・ガレスピー 2017年アメリカ映画)

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トーニャ・ハーディング・スキャンダル

フィギュアスケート選手、トーニャ・ハーディングのことはリアルタイムで覚えている。

それは1994年、ライバル選手の襲撃に加担した事件と、リルハンメルオリンピック出場時における一騒動の件だ。その一騒動とは演技失敗の直後、これは靴紐のせいだと審判員たちに涙ながらに訴え、演技をやり直させてほしいと訴えたことだ。当時は「ライバル襲撃をするようなビッチのわざとらしい嘘泣きと図々しい再演技要請」という形でマスコミやバラエティの物笑いの種となっていた。TVを見ていたオレも「ガツガツしてこすからい女」と一緒になって嘲笑した。

その後襲撃事件の判決によりフィギュアスケートの道を絶たれたトーニャはプロレス出場を噂されたりプロボクサーに転身するなどしたが、「ダーティーイメージのビッチが堕ちる先のイメージそのまんま」とやはりオレは嘲笑していた。

だからそんなトーニャ・ハーディングのスキャンダル事件が映画化されると知った時は「クソビッチのトーニャが釘バットぶん回しながらクソスキャンダルに突入してゆく様を面白おかしく描いたキワモノ映画」程度のものだと思ってたし、同時に「なんで今更あんなすっかり忘れられたような昔の人を」とも思った。とはいえ、ポスターで見るトーニャ役のマーゴット・ロビーのふてぶてしい面構えはどこか黒々としたワルの魅力に溢れており、それに惹かれて映画を観ようと思ったのだ。

しかし映画が始まってすぐ、オレは自分がすっかり間違っていたことに気付かされた。これはクソビッチのクソスキャンダルを面白おかしく描いた作品なんかでは決してない。そんな作品では全然なかったのだ。

貧困と無知と虐待とDV

物語はトーニャを始めとする家族や当時の関係者のインタビューの形で描かれることになる。そこで明らかになってゆくのは、幼い頃から抜群のスケートの腕を持つトーニャ、そのトーニャを虐待に近い形でしごかせる愛情薄い母親、そんな二人のホワイトトラッシュとも呼ぶべき貧困生活、冷酷な母から逃れる形で始めた結婚生活、しかしその夫の度重なる家庭内暴力、といったものだ。

そんな最低の生活の中、トーニャは自らにできるたったひとつのこと、フィギュアスケートで最高の栄冠を勝ち取る事だけを心の寄る辺として生きてゆくのだ。しかし、彼女を取り巻くクズどもの、貧困と、そこから生まれる無知と、無知が生み出すアンモラルと、アンモラル故の暴力性が、栄冠間近のトーニャを地の奥深くへと引きずり込んでゆくのである。

ホワイトトラッシュに生まれ、そこから這い上がろうとしながらも、貧困ゆえに蒙昧な有象無象に引き摺り降ろされるという地獄。どんなに才能があろうと努力を重ねようと、貧困という名の魑魅魍魎は、どこまでも彼女を離さない。出てくる男は全員救いようのない馬鹿揃いでこれには戦慄させられる。ただ一人の肉親である母は毒親で、利己的で、愛情の欠片すらない。

その結果が「ナンシー・ケリガン襲撃事件」であり、「もう後がない」状態で出場したリルハンメルオリンピックにおけるやむにやまれぬ醜態だった。

すなわちこの物語は、フィギュアスケートだけを頼りに、貧困と無知と虐待とDVに塗れた人生から逃れようとしつつ、決して果たせなかった女性の絶望の物語じゃないか。「じゃあどうしたら」と言ったところで答えなんかどこにも無い。この物語には【愛】すら無い。どこまでも切なく、遣り切れない。この遣り場の無さにオレは映画『スリー・ビルボード』並みの重い衝撃を感じた。打ちのめされる思いだった。

いつか中指を立てる日

と同時にこの映画は、当時のトーニャを巡る騒動に加担しそれを煽ったマスコミと、訳も知らずに彼女を断罪し嘲笑した一般大衆へも一石を投じている。この作品は物語内で演者が観客に直接語り掛けるいわゆる「第4の壁を破る」形式を時折取るが、この中で主人公トーニャが観客になぜあのように自分を嘲笑したのかを問い掛けて来る場面があるのだ。当時マスコミの流す言説のままに彼女を笑っていたオレはこの時痛切に自分を恥じた。なんとなればオレも加害者の一人だったのだ。

トーニャ・ハーディングは溢れる才能と技術がありながらなぜ評価されなかったのか。競技審査員に嫌われたのか。それは芸術性が低かったからだ。確かにYouTubeで観た彼女の演技は技術こそ確かだったのだろうが無骨極まりないものだった。でも、オレには分かる。貧乏人に、ゲージツになんて、関わってる余裕なんかないんだよ。贅沢品なんだよ。貧乏人は、ガツガツしなきゃ生きていけないんだよ。気を抜いたら、現実に捻り殺されるんだよ。

ポスターの中に立つマーゴット・ロビーのふてぶてしい面構え。それは、このどうしようもなくクズで、決して変えようもない現実への敵意と怨嗟がない交ぜになった表情だったのだろう。そして彼女は戦い、叩き潰される。「アメリカン・ドリーム」という名の耳障りだけはやたらいい虚妄に。この救いの無い物語の教訓はいったいどこにあるんだろう?例え自らの血反吐の海に沈みながらも、「ふざけんじゃねえこのクソタコ!」と中指立てる事だろうか。それは最後のなけなしの意地なのかもしれないけれども、オレもこの現実との負け戦に敗れる時は、そのぐらいのことはしてもいい、と思った。


女子フィギュア史上最もスキャンダラスな事件『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』予告編

氷の炎―トーニャ・ハーディング

氷の炎―トーニャ・ハーディング

  • 作者: アビーヘイト,J.E.ヴェイダー,オレゴニアン新聞社スタッフ,Abby Haight,J.E. Vader,The Staff of The Oregonian,早川麻百合
  • 出版社/メーカー: 近代文芸社
  • 発売日: 1994/04/01
  • メディア: 単行本
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