髙山龍智 著『反骨のブッダ』を読んだ

■反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄 / 髙山龍智

反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄

オレは全くの無宗教であり、これからも信仰を持つ予定は全くないにもかかわらず、「宗教」それ自体には興味がある。世には仏教・キリスト教イスラム教・ヒンドゥー教他沢山の宗教があるが、世界何10億という多くの、大多数の人々はそれらのどれかを信仰し、生きる糧にしてしており、「世界」や「人間」を考える上で、決して無視することはできないものだと思うからだ。インド映画を観始めた時もまず、「インドの人々の信じるヒンドゥー教というものはいったいどういうものなのだろう?」という部分からとっかかりを得ようと思い、それらの本を幾つか読んだぐらいだ。

この『反骨のブッダ』の著者、髙山龍智さんの名前はツイッターで知った。高山さんは現代インド仏教僧でいらっしゃるが、仏教について、あるいは日常のことについて、いつも豪放磊落かつ諧謔溢れる口調でツイートされており、多くの人気を集めている。インド映画もお好きらしく、なんと最近は現在話題沸騰中のインド映画『バーフバリ』のことばかり呟かれている程だ。きさくで親しみやすく、明るくて楽しい方だ。そして同時にロックンロールな方でもある。ロックンロール的な気風の良さ、粋で鯔背な風通しの良い気概が高山さんにはある。そしてこれら全ては、現代的な宗教者として多くの人に受け入れられる優れた資質を持つ者であることの表れでもある。

実はこんな高山さんを知る前に、オレはツイッターで「アンベードカル博士の言葉_bot」をフォローしていた。ビームラーオ・アンベードカル氏(1891-1956)はインドの最底辺カーストに生まれながらも高い教育を受け、インド独立時に憲法草案作成に参加し「インド憲法の父」とまで呼ばれた人だ。終生カースト制度を徹底糾弾しその廃止を訴え、人々の平等を願った人でもある。後に仏教に改宗しインドにおける仏教復興運動を始めもした。「アンベードカル博士の言葉_bot」は、博士のアグレッシブな言葉で満ちており、インドや仏教を考える上で非常に参考になった。そして後で知ったのだが、このbotの監修を務めたのが高山さんだったのだ。

著書『反骨のブッダ』は、アンベードカル博士の仏教復興運動により再興されたインド仏教を基本にしながら、日本で誤って解釈されている仏法の意味を正し、本来の仏教の神髄をつたえようとするものだ。日本で一般的に仏教として認識されているのは6世紀から16世紀の間に中国から輸入され日本的な解釈を加味したものにすぎない。そして玄奘がインドからもたらし成立したその中国仏教ですら原典の意訳や曲解が少なくないという。高山さんはこれをパーリ語サンスクリット語原典から改めて見直し、本来の仏典の意味を求めようとする。とはいえこの著作は論文ではないので、仏教の基本となる教えを分かりやすく説明するのだ。

ここで説明されるキーワードは「無常」「苦」「無我」「僧宝」「慈悲」といった言葉である。これらを高山さんはこう説明する。

 「無常」なげくことではない。変わらない安定より変化することに希望を見いだすこと
「苦」ただ耐えることではない。一部の「楽」のために強いられる大勢の「苦」をなくすこと
「無我」無私、滅私ではない。他ではなく自分に帰依して自由になること
「僧宝」出家者ではない。手を携え互いに尊重し合う、共同体のこと
「慈悲」情けをかけることではない。友愛によって自ら救済されること

これらの説明はオレにとって相当に目から鱗だった。特に「無常」や「苦」といった言葉、さらに「56億7千万年後に衆生を救う弥勒菩薩」の説話から、オレは仏教を諦観についての宗教だとばかり思っていたものだから、この誤解を一刀両断で断ち切っただけでもこの著作は拝読に値した。

しかし、「仏教原典から仏教本来の教義を読み解く」だけなら昨今見かける原始仏教再評価と変わらないものとなってしまう。そうではなく高山さんは、「仏教が生まれなければならなかった当時の時代の人々の苦悩」を推し量り、それを現代に当てはめることで普遍性のある仏典の在り方を指し示そうとする。これは即ち低カーストの人々を救おうとしたアンベードカル博士の方法論であると思う。さらに高山さんはそれが今現在の日本にどうあてはまるのかを模索しようとする。

ひとつだけ思ったのは、人間性全てを否定されるカースト制度を覆す為に生まれた古代仏教から派生し、今なおインドに残るカースト制度を否定すべく興された現代インド仏教が、今の日本社会と日本人にどういった形で受け入れられるべきものなのかということだ。インド料理がカレーの神髄と言われても、慣れ親しんだカレーライス(中国由来の仏教)のほうがいいという人もいるだろう。しかし「そもそもカレーとは何か?」「真のカレーとはどんなものなのか?」に興味を持った人なら、おのずとインド料理へと目を向ける筈なのではないか。こういったカレー=仏教に意識的であろうとする人の為に、この『反骨のブッダ』は親しみやすいテキストになるのではないかと思う(最後変な例えでスマン)。

反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄

反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄