貧しく汚らしくこすからいインド~『インドぢる』と『ぢるぢる旅行記』

■インドぢる / ねこぢる

インドぢる

引っ越しをしたとき、この際だからと読まなくなった本や漫画を結構な量処分したが、逆に「これだけは捨てられないな」と思った作家の本も幾つかあった。漫画家では、諸星大二郎花輪和一、そしてねこぢるの作品である。オレにとってねこぢるは、諸星や花輪と同等の、「もはやオンリーワンとしかいえないとてつもない鬼才」の一人だったのだ。

いわゆるガロ系作家であったねこぢるについての詳細や特徴、その魅力はここでは特に書かない。ただ、「突き抜けてしまった漫画家」であった、という事だけは言える。1990年ガロでデビュー、「にゃーこ」と「にゃっ太」という姉弟猫を主人公とした漫画を描いていた。1998年に自殺により他界。享年31歳。

その後夫であった特殊漫画家の山野一が「ねこぢるy」というペンネームでねこぢる世界を引き継ぐ漫画作品の数々を世に送り出す。山野にとって「ねこぢるy」の漫画は妻ねこぢるへの追悼の意もあったのだろう。

今回紹介する『インドぢる』は、そんな山野がかつて妻と訪れたインドの町を、妻との足跡を思い出しながら再び辿ってゆく、という紀行文になる。漫画作品も幾つか収められているが、基本的には文章が中心となる。

ねこぢるは存命中に、夫とのインド旅行を漫画化した『ぢるぢる旅行記』並びにネパール編を追補した『ぢるぢる旅行記・総集編』を刊行しているが、ねこぢるによるこのインド旅行記は、オレにとってのインドのイメージを決定付けるような強烈なイメージで溢れていた。

それはバックパッカー的ないわゆる貧乏旅行であり、観光としてのインドというよりも、インドのダメな部分も汚らしい部分も体験しながら、そのどうしようもない部分をどうしようもないものとして受け入れてゆく、そして楽しんでゆく、奇妙に魅力の溢れた作品だった。

山野も、ねこぢるも、ある意味一般社会から外れた部分にある感性と社会性でもって生きてきた人間であり、そういった人間たちによるインドという国への視線が独特だったのだ。それはねこぢるの人生観の延長線上にある世界としてのインドだった。

この『ぢるぢる旅行記』を読んで数十年してからオレはインド映画にハマることになるが、それによりインドという国や社会や文化に対してそれなりに認知する部分が増えたとしても、『ぢるぢる旅行記』のインドのリアルさはその認知を遥か超えた部分に存在していた。

この『インドぢる』自体は2003年に刊行されたものだが、今まで手にしなかったのは「亡くした妻との足跡を辿る紀行文」という内容からウェットで生臭いものを連想してしまい、手にするのを躊躇したからだった。だが、今回こうして読んでみると、特殊漫画家・山野一の脱力したキャラクターと脱力しきった旅行先での毎日の記録とが、奇妙に面白い紀行文として完成していた。

もちろん、文章の合間合間には、あたかもフラッシュバックのように、生前のねこぢるとのやりとりが挿入される。その多くは『ぢるぢる旅行記』で描かれていたことだ。こうして、ねこぢるのいた過去と、ねこぢるのいない現在とか交差することにより、山野の抱く今は亡き妻への感情がうっすらと透けてくる構成になっている。

しかし、やはり面白いのは、インド・ネパールにおける山野の自堕落な日々と、その山野が出会い慣れ親しむインド底辺層の人々の、なんとも言いようの無いどうしようもない生活の描写だ。それは、貧しく、汚らしく、そしてこすからいインドの情景だ。しかし山野はそんなインドを肯定も否定もせず、ただそういうものだと眺めつつ日々を過ごすのだ。

山野はかの地の安宿を長期滞留しつつ転々とするが、滞留期間が長い分現地人との交流も非常に密になる。密にはなりつつ、山野は彼らを愛することも突き放すこともしない。彼らから嫌な目にも遭い、彼らと共に愉快なひと時も過ごすが、山野にとってそれは粛々と過ぎ去ってゆくだけのものだ。ここに山野独特の諦観がある。それは、インドという国それ自体に底流する諦観でもあるような気がする。

貧しく、汚らしく、こすからいインド。それは決して楽園ではないが、唾棄すべき穢土と糾弾すべきものでもない。ただそうでしかないリアルを、ぐちゃぐちゃの生活感に塗れて生きてゆく。それは逞しさだの生命感だのといったものですらない。そうして生きざるを得ないから生きているだけだ。

だが、そういったぎりぎりの、剥き出しの生の中に、生の本質が垣間見えることもある。それは生きる事への強烈な希求心だ。貧しく、汚らしく、こすからいインドに、なぜか人が魅せられてしまうのは、そういった部分なのかもしれないと思いながらこの本を読んだ。

インドぢる

インドぢる

 
ぢるぢる旅行記 (総集編)

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ねこぢる大全 上

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ねこぢる大全 下

ねこぢる大全 下