レディオヘッド再び〜『OKコンピューター OKNOTOK 1997 2017』

■『OKコンピューター』再び

レディオヘッドが1997年にリリースした彼らの代表作『OKコンピューター』が20周年記念盤としてデジタルリマスターされ再リリースされた。CD2枚組となっており、CD2には8曲のBサイド音源、初リリース公式音源3曲が収められている。
ロックも、レディオヘッドもとっくに見限っていたが、このリマスター・アルバムは、なんだかフラフラと購入してしまった。結構イイ年こいたオレではあるが、いまだに時たま、メランコリックになるのである。最近聴くエレクトニック・ミュージックも、トランキライジングなアンビエントや、メランコリックな曲調のものが多かった。年を取ってみると、年を取ったなりの憂鬱や心配があるのだ。だからあの、メランコリイの大ボスみたいな、レディオヘッドの過去作リマスターなんかをフラフラと購入してしまったのである。
しまった、と思ったのだが後の祭りである。取り敢えず聴いてみると、あの不安定で憂鬱な音が、時が止まったかのように響いている。やはり今聴いても、とても完成度が高く、音は歪んでいるかもしれないけれども、繊細で、恐ろしいほどに美しい音楽だ。でもやはり、聴き続けると、心のどこかが苛まれてゆくような気分になってゆく。この音の、あと数ミリ先を突き破れば、空っぽの狂気や、涅槃に名を借りた死が口を開けているような気がする。病んでしまいそうだったのだ。
そんなのは考え過ぎだと思われるかもしれない。だが、オレ個人に関しては、当時ロックとレディオヘッドを見限った理由は、このまま聴き続けていれば、精神的にしろ肉体的にしろ、おそらく死んじゃうんじゃね?という危機感を感じたからだった。なんだか、ダメになりそうだったのだ。既にダメだったものが、ダメ押しのダメ、それこそもう底の無い究極のダメに成り果てるような気がしてならなかったのだ。
そんなわけで、今回の『OKコンピューター』リマスターは、封印してしまいたいと思っている。だが、あのジェダイですら、ダークサイドに堕ちることがあるように、このオレも、気付かないうちにずるずると暗黒面に引き摺られることがあるかもしれない。だから、以前ブログに書いたこの文章を置いて、戒めとしたい。
以下にある文章は、2008年、レディオヘッドがニューアルバム『In Rainbows』をリリースした際に自分のブログで書いたものの再掲である。オレは、オレなりに、前向きな生き方がしたかった、そういった文章である。

レディオヘッド、あるいは私的ロック・ミュージックの終焉

In Rainbows[輸入盤CD](XLCD324)

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レディオヘッドを聴いたのは『OK Computer』が一番最初だった。当時既にロック・ミュージックに見切りをつけ、電子音鳴り響くクラブ・ミュージックばかり聴いていたオレであったが、何故かたまたまCD店で試聴してしまった『OK Computer』は、オレがロック・ミュージックから遠ざかった一番の原因である、暗さと不安定さと孤独さがみっちりとこびりついたアルバムだった。

10代から20代の半ばまで浴びるように聴いてきたロック・ミュージックを聴くのを止めたのは、イギリスのロック・バンド、ザ・スミスに傾倒してしまったからだ。ザ・スミスのひたすら惨めで自己否定に満ちた音と歌詞は、聴いていた当時のオレの生活を歌っていたかのようにさえ聴こえ、それは聴くほどに心に刺さり、気持ちを苛んだ。ザ・スミスの音は自分の醜い姿の映った鏡を常に凝視しているような気分にさせた。しかしそれを聴き続けていたのは、治癒していない瘡蓋を剥がす様な嗜虐の篭った快感があったからなのだろう。だがそんな行為を続けていても、いずれは行き詰る。剥がす瘡蓋さえなくなり、終いにオレは体中の皮が剥がされ、ただ苦痛に呻くだけの赤剥けの化け物と化してしまった。これは、まともな状態じゃないな、と思ったとき、オレはロック・ミュージックを聴くのを止める事にしたのだ。

それから聴き始めたエレクトロニカ/テクノ・ミュージックには、忘我と陶酔があった。躍動するリズムには自己否定の欠片も無かった。病んだ肉体を治癒し、さらにビルドアップしていくような快感がそこにはあった。負けているばかりいるのにはもう飽きていた。勝つつもりも無かったが(別に勝負しているわけでもないんだし)、取り合えず、ろくでもない糞溜から自分を引き上げる必要があったのだ。その為に、ロックにあったような暗さや不安定さや孤独さを己から洗い流したかった。勿論時々そこに舞い戻ってしまうこともあったが、もう今までとは違うのだ、とも思っていたのだ。

そんな時に何故またレディオヘッドの奏でるロック・ミュージックにはまってしまったのかは分からない。ただ、レディオヘッドの音には、聴いていて、奇妙に無垢になる一瞬があった。『OK Computer』から始まって、それからレディオヘッドのCDをぽつぽつと買い漁った。2001年発売の『Amnesiac』あたりまでは追いかけていたが、最も好きなアルバムは彼等の2ndアルバム、『The Bends』だった。このアルバムは、『OK Computer』からのどんよりとした内省へと向かう前の、レディオヘッドの最もリリカルなギターアルバムであると思う。オレは、夏休み、実家に帰ると、いつもポータブルプレイヤーにこのCDを詰めて、自転車に乗りながら、田舎の車も人も通らない道を走りながら、夏でも冷ややかな北国の空気を体に受けながら、宇宙さえ透けて見えそうな青空を見上げながら、8月というにはどうにもささやか過ぎる陽光を浴びながら、目を細めて、この音を聴いていたものだった。

そう、多分この時、この線の細い、ひ弱で内省的な音が、オレの気分にフィットしたのだろう。レディオヘッドは繊細だったのだと思う。そして自分で言うのもなんだが、田舎者のこのオレも、多分、純朴で繊細な、ドン臭いあんちゃんだったのだ。だがな。朴訥な田舎の風景にマッチしたリリカルなレディオヘッドの音は、東京の苛立ち気味に早足で歩く人間がごった返す雑踏の中では繊細すぎるんだよ。ここでこの音を聴くと首項垂れたまま前を見ることが出来ないんだよ。そしてもう疲れただの傷付いただのと言ってられないんだよ。

レディオヘッドのニューアルバム、『In Rainbows』。発表当初メジャーレーベルを通さないネット配信で話題になったアルバムだ。また相当売れているようだ。聴いてはいないのだが、きっと完成度も高いのに違いない。レディオヘッドは決して日和ったりしないのだ。それは分かる。聴かなくたって分かる。そして、オレはこのアルバムを聴かないだろう。オレには、ザ・スミスの自己否定が既に必要ないように、レディオヘッドの繊細さがもはや必要ないからだ。何かの映画で、黒人がレディオヘッドのCDを見つけ、「白人の聴く音楽だな」と吐き捨てていたのを覚えている。確かに、レディオヘッドは、白人の持つ知性の最先端の場所にあるロック・ミュージックなのだと思う。だけれど、もう、それだけでは足りないんだと思う。オレはタフでありたい。負けたくない。付け入れられたくない。その為には、レディオヘッドの音楽では、もう、十分じゃないんだ。
(※『レディオヘッド、あるいは私的ロック・ミュージックの終焉 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ』(2008年3月13日)より再掲)

OK COMPUTER OKNOTOK 1997 2017 [輸入盤] (XLCD868)

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