不思議に彩られた里山への畏怖と畏敬〜『里山奇談』

里山奇談 / coco、日高トモキチ、玉川数

里山奇談
オレは海育ちのせいか、山にはちょっとした憧れがあった。オレが18まで住んでいた北海道の漁港の町は、三方を寒流の海に囲まれ、それこそいつでも飽きるほど海を眺められたが、これが山となると、せいぜい小高い丘程度の高さのものがある程度だった。しかも北海道特有の粘土質と、寒冷による植物相の北限により、植林されたもの以外にこれといった樹木も生えず、当然林だの森だのといった植生が存在しなかった。生えているものといえば北国独特の小振りな草花と、貧相な色をした雑草と、あとは見渡す限りのススキノだけだ。だからTVや映画や漫画で見る「森」というものに、木々を始め様々な草花が生い茂る山という存在に、密かな憧れを抱いていた。
だから今の相方さんと知り合った頃、ちょっとしたことがあるといつも山にハイキングに出掛け、意外と体力量のいる作業を要するそんな休日に、相方さんが不満を漏らしていた、なんていう笑うに笑えない話まである。ただ、オレは、子供の頃憧れていた、山が、見たかったんだ。そんな山の中を、歩いてみたかったんだ。
coco、日高トモキチ、玉川数氏3人による短編集『里山奇談』は、そんな山の、それも、里山を題材にした物語を集めたものだ。"里山"とは、深山の対義にある言葉だという。それは「人の暮らす地と、今なお不思議が色濃く残る山との境界である」だと、まえがきでは書かれている。執筆者3方は、それぞれに野山に生息する昆虫をはじめとした動植物に親しみ、それらを擁する自然を愛する方たちであり、そしてそんな彼らは自称か他称か、"生き物屋"と呼ばれているのらしい。そんな"生き物屋"の彼らが、鬱蒼とした野山の、里山の自然に密かに息づく、奇妙で不可解で不思議な物語を集めたものが、この『里山奇談』というわけなのだ。
それらは、まるで黄昏時のような、薄昏く、曖昧模糊として、所在のはっきりしない、そして容易に説明のつかない物語ばかりだ。そしてそれらは、怪談や恐怖譚というよりも、ただ不思議であるとしかいいようのない、"奇談"を集めたものなのである。
確かに、山には畏怖や畏敬を覚える独特の空気が漂っている。それは霊性だの神性だのという話ではなく、植物、動物、昆虫といった、あまりにも多くの生命を抱え込み、そしてそれらが息を潜め、あるいは百花揺籃として息づいている、その溢れるような生命の蠢きに、たった一個の人間という個体でしかない自らが、圧倒されてしまうからなのではないだろうか。そして、その認識こそが、里山と、そこに住まう幾多の生命への畏敬へと繋がるのではないか。そして"生き物屋"と呼ばれる人たちは、そんな畏敬を人並み以上に持った人たちなのではないだろうか。そう、『里山奇談』は、奇談を通じて描かれる、畏敬についての物語集なのである。
この本には、数ページ程度の短めの物語が幾つも収められている。伝聞や体験談の形を取っており、語り口調は平易で、どれもすぐに引き込まれてしまう不思議の物語ばかりだ。読者は、最初の1ページを開いた時から、自らも鬱蒼とした里山に分け入ったような錯覚に囚われる。そして幾多の物語を経ながら、あたかも里山の奥へと奥へと彷徨いこんでいるような気にすらさせられる。こうして最後のページを閉じ、現実の世界へと戻ってきたときですら、その思いは、どこかにある、緑豊かな、あるいは黒々とした口を開けた、里山の世界を漂い続けることになるだろう。その時すでに、あなたは里山に魅せられているのだ。

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