ケン・リュウ小説の進化形〜短編集『母の記憶に』

■母の記憶に / ケン・リュウ

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

不治の病を宣告された母は、誰より愛するひとり娘を見守り続けるためにある選択をする。それはとてつもなく残酷で、愛に満ちた決断だった…母と娘のかけがえのない絆を描いた表題作、帝国陸軍の命で恐るべき巨大熊を捕らえるため機械馬を駆り、満州に赴いた探検隊が目にしたこの世ならざる悪夢を描いた「烏蘇里羆」、脳卒中に倒れ、入院した母を、遠隔存在装置を使用して異国から介護する息子の悲しみと諦念を描く「存在」など、今アメリカSF界でもっとも注目される作家が贈る、優しくも深い苦みをのこす物語16篇を収録した、待望の日本オリジナル第二短篇集。

アメリカで活躍するアジア系SF作家、ケン・リュウの第1短編集『紙の動物園』は素晴らしい作品だった。個人的には現代最高のSF作家の書いた現代最高のSF作品集なのではないかとすら思ったほどである。この作品集については以前自分のブログでこんな記事を書いた。

ケン・リュウの『紙の動物園』は現在最高のSF小説集だと思う。 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

ケン・リュウ小説がなぜこれほどまでに括目すべきものなのか、それは一言でいうなら「西洋的な認識論から書かれたSF世界へのアジア的返答」である点だ。SF小説に限らず、欧米の創作作品にはその根底にキリスト教思想と西洋合理主義・理性主義が無意識的に混入し、そこに立脚した認識によって成立しているようにオレにはどうしても思えてしまう。そこに是非は無いにしても、どうしても西洋的な認識の限界を垣間見てしまうのだ。
しかしケン・リュウ小説はそこアジア的視点を持ち込むことで風穴を開け、一般的と思われがちな西洋的な認識を批評し、それをひとつ飛び越えた、あるいは別個な認識の在り方を提示するのである。要するに、生き方や、生と死、そして生命そのものといった、人間の根本にあるものの見方が、ケン・リュウ小説においては西洋的なそれとはまた違う洞察がなされたものであり、それは西洋文明の持つ苛烈さと孤独さを対象化したアジア的視点なのではないかと感じてしまったのだ。
それはSF世界に登場するデータ化された自我の永遠や不死といった概念に顕著であるように思う。昨今のSFテーマとしてはありふれてしまったものではあるが、ケン・リュウはそこで、「永遠と不死を得た人間は、それは人間と呼べるのか」と問い掛けるのだ。それは「人間を人間たらしめているものはなにか」、そして「人間とはなにか」という問い掛けに他ならない。
益体もないことを長々と書いたが、そのケン・リュウの日本独自編集による第2短編集が出たのだからこれは読まない訳にはいかない。そしてその読後感は、「またしてもケン・リュウの力量にねじ伏せられた」といったものだった。この短編集『母の記憶に』は、第1短編集『紙の動物園』の延長線上にありながらも、『紙の動物園』とはまた違ったケン・リュウの魅力に溢れている。『紙の動物園』は「作家ケン・リュウはSFをどこへ導こうとしているのか」を開陳する作品集だったが、この『母の記憶に』は「作家ケン・リュウはそのストーリーテリングにどれほど高いポテンシャルを持つか」を思い知らせる作品集なのである。
確かに表題作『母の記憶に』は第1短編集表題作『紙の動物園』と同様の甘いセンチメンタリズムを感じさせるし、『残されし者』はシンギュラリティ後の人類を描いている点において『紙の動物園』諸作品と同系列にある作品だ。太平洋戦争時の満州を舞台にした『烏蘇里羆(ウスリーひぐま)』は徐々にファンタジー世界が混入してゆくといった点で前短編集『良い狩りを』に通づるものがある。だが同じオルタード世界を描いた『『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」』の研ぎ澄まされた描写力はなんだ。ここではドラマらしいドラマが起きないにもかかわらず、平行世界の情景をそこにあるかの如く迫真的に描き切っているではないか。
『存在』『シミュラクラ』『ループのなかで』『パーフェクト・マッチ』は最新テクノロジーと人間性との齟齬を描くといった点で従来的なSF作品として楽しむことが出来るが、ここでもケン・リュウの主要テーマは「人間性」ということなのだ。『上級読者のための比較認知科学絵本』は知的なお遊びといった点で面白い作品だ。しかし『状態変化』は「奇妙な味」とも呼べる摩訶不思議な文学だし、『重荷は常に汝とともに』は「SF版ウンベルト・エーコ」といった作品だし、『レギュラー』はいわば女探偵モノのサイバーパンク・ハードボイルド作品じゃないか。『カサンドラ』に至っては映画『アンブレイカブル』を思わせる「反スーパーヒーロー小説」である。このあたりの目も眩むようなバリエーションのありかたにケン・リュウの高いポテンシャルを感じたのだ。
しかし最も凄みのあるのは非SF作品であり中国の歴史ないし中国人を中心に据えた『草を結びて環を銜えん』、『訴訟師と猿の王』、そして『万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語』だろう。前者2作は中国の隠された陰惨な歴史を描くものだが、秀逸なのは一筋のファンタジーの色彩を混入することで、それら救いの無い物語に想像力だけが持つ「輝き」を与えたことだろう。本短編集で最も長い『万味調和』はアメリカ開拓時代の中国移民の物語だが、ケン・リュウが非SF作品においてどれだけ高い文学性を発揮することが出来るのかを知らしめる素晴らしい逸品だ。
もはやSFだけにとどまらないケン・リュウの力量の全てを堪能することが出来る短編集『母の記憶に』、『紙の動物園』を読んだ方も読まれていない方も、当代きってのSF作家の紡ぎ出す物語の数々を堪能できる作品集として是非お手に取ってもらいたいと思う。

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

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紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

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