デヴィッド・ボウイ大回顧展『DAVID BOWIE is』を観に行ってきた


先日は友人とデヴィッド・ボウイ大回顧展『DAVID BOWIE is』を観に行ってきた。

この展覧会はもともと2013年に英国ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催され世界9都市を巡回していたもので、開催当時は「そのうち日本にも来そうだけどいつになったら実現するのかなあ」と首を長くして待っていたのだが、きしくもボウイが逝去した1年後に日本で開催されることとなったのだ。現地で開催された当時は「現在進行形のボウイ」をたっぷり味わうお祭りだったものが、本当に「逝ってしまったスーパースターを回顧する博覧会」になってしまった。ちなみに、展示物には2013年以降のボウイの活動に関するものも若干付け加えられている。

回顧展の観覧は2時間刻みの時間指定になっており、入場者数も限定されているようだ。混雑防止もあるのかもしれないが、実際は入り口で貸し出される受信装置付きヘッドホンの数に限りがるからだろう。このヘッドホンが独特で、展示物の前に行くと自動的にボウイ・ソングや説明を受信し、様々な来歴を知ることが出来るようになっているのだ。一般の美術展でも解説が成される装置を貸し出すことはよくあるが、それに音楽が重なってくると展示物への引き込まれ方がまた格別のものになる。会場自体にもボウイ・ソングが流されているが、これがまた有名曲が次々にミックスされたもので、あの曲かと思うとこの曲、次々に流れるボウイ・ソングの数々にあっと言う間にボウイ・ワールドに飲み込まれてしまうことになる。

展示物のメインはボウイがアルバム毎に変えていった奇抜で美しい衣装の数々になる。ボウイの衣装はアルバムと、その時演じていたキャラクターと混然一体となったものであり、衣装を見ると「あの時のアルバムの!」とファンならすぐさま分かる。ボウイほどキャリアの長いアーチストだとその数も膨大で、さらに演じたキャラクターも多岐に渡るので、衣装の変遷からボウイの変遷を見て取ることが出来るのだ。そしてやはり初期の頃、ジギー・スターダスト時代の衣装をじかに見ることが出来るというのはオレのようなファンにとって万感の思いなのだ。さらにそちこちで流される当時のライブ映像や記録映像の数々は、今まで観たことの無かったものが多く、オレは展示が始まって割合すぐの場所にあった「スターマン」の展示で既にウルウルしてしまったほどだ。

衣装の奇抜さということであればジギー・スターダスト時代なのだろうが、個人的に最も思い入れの深いボウイ・アルバムは『ステイション・トゥ・ステイション』であり、その時のキャラ「シン・ホワイト・デューク」の、白シャツに黒ベスト&パンツの衣装を観た時には陶然となってしまった。どの衣装もそうだが、「ボウイが、これを着てステージに立っていたんだ」と思うと胸が熱くなって堪らない。それは単なるステージ衣装なのではなく、その時々のボウイ世界の一端を象徴したものでもあるからだ。そんな衣装とは別に、ボウイが書いた歌詞の肉筆原稿がまた心ときめく。衣装はボウイ世界の外面だが、肉筆原稿にはその曲を作った時のボウイの魂そのものが籠っているからだ。それと『ヒーローズ』製作に使用したとされるシンセサイザーの展示もこれまた興奮した。

以前から感じていたが、ボウイは、物凄く王道であったり、本質を究極まで突き詰めた何かを表現する人と言うよりは、何かそこから外れた、ある意味「変な事」「変わった事」をとことんやっていた人で、その「変な事」の視点を力技で周囲に認知させてしまった人なのではないかと思っている。常にアバンギャルドであることを由としていながら、凡百の輩のようにそこに安住せず、それをポップ・スターのアイコンにすり替えてしまうのが巧みな人だったのだろうと思う。自分は、10代からボウイ・ファンではあったけれども、これは決してメイン・ストリームなロック・ミュージックではないのだろうな、とはいつも感じていて、そんなアーチストが実は世界中で敬愛され様々な人々に影響を与えていたことにかえって驚いたぐらいだった。ボウイは、先端的なアーチストであったというよりも、「変な事や変わった事をやっていたって全然構わないんだよ、そして実はそれが一番カッコイイことなんだよ、なぜなら、僕を見なよ!」ということを、ボウイ・ソングを聴くファンの胸に役付けた人だったのだろう。ボウイがこうして愛されるのは、そんな部分にもあったのではないかな、と改めて思った回顧展だった。


デヴィッド・ボウイ・イズ 復刻版 (SPACE SHOWER BOOKs)

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