巴里の印度人~映画『ベーフィクレー~大胆不敵な二人~』【IFFJ2017公開作】

■ベーフィクレー~大胆不敵な二人~ [原題:BEFIKRE] (監督:アディティヤ・チョープラー 2017年インド映画)

f:id:globalhead:20170911115037j:plain

 映画『Befikre』はパリで出会った一組のインド男女の恋と友情の行方を描いたロマンチック・コメディだ。

主演となるのは『銃弾の饗宴-ラームとリーラ(Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela)』、『Bajirao Mastani』のランヴィール・シン。ちなみにこの2作はオレの大のお気に入りのインド映画で、当然ランヴィール・シンも好きな男優だ。ヒロインは『Shuddh Desi Romance』のヴァーニー・カプール。そして監督があのインド映画に名高い名作『Dilwale Dulhania Le Jayenge』、さらに傑作『Rab Ne Bana Di Jodi』のアディティヤ・チョープラー。タイトルの意味は「気まま、気楽」といった所か。

物語はシンプルでもあり、風変わりでもある。デリーからパリへ仕事と冒険を求めてやってきたスタンダップ・コメディアンのダラム(ランヴィール・シン)はツアーコンダクターを営むインド人女性シャイラ(ヴァーニー・カプール)と出会い、恋に落ちる。しかし共に暮らし始めた二人はダラムの呑気さが祟ったのか程なくして破局、その後は友人として付き合うもダラムにはまだシャイラへの未練があった。そしてシャイラが新しい男性と付き合い始めたことを知ったダラムは自分も新しい恋人を作り、シャイラにダブル・デートを持ちかける。

映画は殆どがパリで撮影され、主人公となるインド人カップルがパリの恋人たちとなってパリの街を闊歩するある意味観光映画的な作品である。冒頭からパリのあらゆる街角でキスをする様々なカップルの映像が挿入されヨーロッパの自由な恋の雰囲気を盛り上げる。そう、この映画のテーマは多分パリジャンのような自由な恋をインド人のカップルが楽しむというものなのだろう。インド人が母国にいたら自由な恋などままならないからだ。だから異国に行って羽を伸ばしたい。インド映画には何の必然性も無く他の国で撮影される作品がよくあるが、この作品におけるパリという舞台は必然だったのだ。

だがこの作品には「自由気ままな恋」への憧れはあっても、「自由気ままな恋」がどんなものなのか実際にはよく分かってない、あるいは体験したことがないことによる、妄想だけで構築されたような上滑りした恋愛描写が目に付いてしまう。ランヴィール・シンのボンクラ演技はコミカルだが同時にコミックの登場人物のように地に足がついていないし、ヴァーニー・カプールは十分魅力的だったけれどもこと恋愛に関してはどこかちぐはぐなキャラクターだった。

例えばカンガナー・ラーナーウト主演による映画『Queen』は、婚約破棄によるヨーロッパ傷心旅行に出かけた主人公がパリやアムステルダムで様々な人々と出会い、様々な価値観や様々な生き方を目にし体験することにより、自分自身もまた新しく生まれ変わってゆくという作品だった。しかしこの『Befikre』においては主人公たちはパリのインド人コミュニティから一歩も足を踏み出すことなく、ただここがインドではないことの開放感のみによって「自由気ままな恋」を楽しんでいる。それはそれで構わないのだけれども、それはインド的恋愛慣習からの逸脱ではあっても、新しい恋愛の形を提示しているわけでは決してない。恋愛する側の内面がまるで変わっていないからだ。

そういった部分でどうにも煮え切らない恋愛描写の続く物語だった。「これからは恋ではなく友情!僕らはもう決して恋に落ちない!」とか誓い合ったりしながら未練たらたらなのがミエミエすぎてどうにも白けるのだ。掛け声だけで気持ちが付いていけていないのだ。これでは「自由気まま」を標榜しながら結局は旧弊な恋愛感情にがんじがらめではないか。ただ、「友情と恋」の新しいバリエーションを模索しようとしているらしいことはなんとなく伝わってきた。「友情から恋」はあっても「恋から友情」へのパターンは少なそうだしね。で、「でも「恋から友情」って、どうしたらいいの?」と持て余しちゃったのがこの物語のシナリオだったんじゃないかなあ。そして「やっぱり恋のほうがいいよ!」とやっちゃう所がインド映画らしいとも言えるのかもしれないな。