2016年オレ的映画ベストテン!!

■今年観た映画のベストテン的ななにか

という訳で毎年恒例【オレ的映画ベストテン!!】2016年版をお送りします。しかし今年も実のところ大作話題作しか観てませんね。だから並んでいるのは誰もが知っている様な有名作ばかりで眺めてみても少しも面白くありません。あんまりたいした数観て無いのでビデオスルー作品まで入ってる始末です。それと、今年大いに話題になった『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』も観てません。観て無いのは単に興味湧かないからなんですが、これだけでもどれだけ時流に乗り遅れてるか分かると思われます。まあ映画なんて好きなもの観てりゃあいいじゃないですか。あと順位は思い付きです。というわけで限りなく適当に始めることにします。ではいってみよう!

第1位:pk (監督:ラージクマール・ヒラーニ 2014年インド映画)


耳ッ!「神と宗教の本質」というややこしいテーマを描きながら、観客は主人公のダンボ状態の耳にびっくりしてそれに気をとられ、ややこしいことなんか考える暇がなくなってしまう、という恐るべきフェイント技を駆使した素晴らしい名作です!これは今年どころかオールタイムベストテンに入れてもいい作品でしょう!観なよ!

物語はこういった「神/宗教」というテーマと並行しながら、pkとTVリポーターのジャグとのささやかな交流、そしてpkのほのかな想いをも描いてゆく。「神/宗教」という論議はどこか抽象的なものだが、「愛」はより具体的で身近なものだ。そして「神/宗教」が人の生のある一面を司るものなら、「愛」はそれよりもより多くの面を司ってゆくものなのだ。こうして映画『pk』は「神/宗教」をテーマにしながらも最後に一つの「愛」の形へと集束してゆく。なんとなれば、人は例え神も宗教もなくとも生きていけるけれども、愛無しでは生きていけないものなのだ。こうしてクライマックスを迎える『pk』は、きっと爽やかな涙を観客にもたらすことだろう。
公開直前レヴュー:神と宗教の本質に迫るインド映画最大のヒット作『pk』を君は観たか? - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第2位:ローグ・ワン / スター・ウォーズ・ストーリー  (監督:ギャレス・エドワース 2016年アメリカ映画)


ドニーさんッ!本来ハリウッド製スペースオペラSFであるはずの今作が、ドニーさんが登場し暴れまわるだけで突然香港武俠映画に様変わりしてしまうという凄まじいドニーさんパワーが全開のドニーさん映画でした!

この「熾烈な戦い」が想像を遥かに超えた凄まじいものだったんですよ!SWストーリーはいわゆる「スペースオペラ」を基軸としており、ある種の奇想天外さや胸のすく様な冒険を描いてきましたが、そこには「英雄譚」ならではのドラマと楽しさがありました。しかしこの『ローグ・ワン』が描くのは酸鼻を極める「戦争の悲惨」そのものです。なんて言うんでしょう、『アベンジャーズ』観に行ったらいきなり『ブラックホーク・ダウン』が始まったような感じなんですよ。ヒーローもフォースも無く、圧倒的な敵の物量とその破壊力とに対峙しなければならない絶望感、まさしく死を賭けてそれに戦いを挑もうとするなけなしの勇気、番外編でなければ決して描けなかったSWストーリーがここにはあります。その戦いは壮絶を極め、情け容赦ない描写が次々と続きます。そういった悲壮な物語展開が非常に胸に迫る作品でした。
死地へ。〜『ローグ・ワン / スター・ウォーズ・ストーリー』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第3位:エンド・オブ・キングダム (監督:ババク・ナジャフィ 2016年イギリス/アメリカ/ブルガリア映画)


破壊と殺戮ッ!とにかくぶっ壊しまくりぶっ殺しまくってたとても乱暴な映画でしたね!もう正義とかテロリスト殲滅とか果てしなくどうでもよくて、とりあえずオレは壊したいし殺したいんだあああああ!という大変ろくでもない楽しい作品でした!

いやーなにしろもう小気味いいぐらいぶっ壊しぶっ殺しぶっ放す映画でしたね。破壊と殺戮と銃撃戦の大盤振る舞いなんですよ。あまりのド派手さに嬉しくなって途中からヘラヘラ笑いながら観ていたぐらいですね。やっぱ映画はぶっ壊しぶっ殺しぶっ放してナンボ!おまけに主人公は無敵の脳筋ヒーロー!既に21世紀のランボー状態です!あんまり楽しかったもんだからこの映画、もう2016年上半期最高傑作ってことでいいだろ……としみじみと思ってしまったぐらいです。なにしろ主人公が恐るべき戦闘殺戮マシーンで、銃で素手でナイフでとブルドーザーのように次々と敵をぶち殺してゆきます。いやもう軍隊なんか出さなくても、こいつ一人いれば朝飯前でテロ組織の1個や2個片付けちゃうだろ……と思っちゃったぐらい。
ぶっ壊しぶっ殺しぶっ放す!〜映画『エンド・オブ・キングダム』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第4位:デッドプール (監督ティム・ミラー 2016年アメリカ映画)


無駄口ッ!この映画の本質は復讐と愛の成就の全ての行程において徹底的に無駄口ばかり叩きまくっているという点でしょう!作品から無駄口を取り去ったらきっと3分ぐらいしか残ってないと思います!いや全く残らないかも!それだけ壮絶な無駄口に満ちた楽しく愉快なヒーロー映画です!

今作の魅力はストーリーにあるのではない。個人的な復讐と個人的な憤怒に燃えるデッドプールがR15指定のゴアばっちりなウルトラバイオレンスアクションを決め、その合間にバカアホマヌケ満開でサイテード下品な戯言を延々とくっちゃべっている。それが映画『デッドプール』の全てだ。そしてそれが、イイのだ。絶対の危機の状況にありながら、なんの緊張感もなく、ケツやチンコやスター・ウォーズの話をしている、その有り得ないコントラストが楽しいのだ。カッコよくキメる場面でハズし、ロマンチックに盛り上がる部分でハズす。この「ハズシ芸」が堪らないのだ。
もうアメコミヒーロー映画はデッドプールだけでいいと思う〜映画『デッドプール』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第5位:13時間 ベンガジの秘密の兵士 (監督:監督マイケル・ベイ 2016年アメリカ映画)


銃撃戦ッ!特殊部隊と民兵との果てしなく続く銃撃戦を描くこの物語はベンガジ版『ブラックホーク・ダウン』とも呼ぶべき凄まじい緊張感に満ち溢れた作品でした!やれやれ撃って撃って撃ちまくれ!ビデオスルーなんて勿体無いぐらいの傑作です!観れ!

しかし敵はあたかもゾンビみたいに殺っても殺っても後から後から波状攻撃を仕掛けてくる!さらに最悪なのが近隣各国に駐留するアメリカ軍が政治的問題のせいで全く支援に来られない!いかに少数精鋭の最強戦士により守られた拠点とはいえ兵士たちの疲労は限界に近づいてくる!そして敵はいよいよ迫撃砲を導入し、CIA拠点の防備は無情にも切り崩されてゆくんだ!この孤立無援の中で次第に旗色の悪くなってゆく後半の緊張感がまたたまらない!オレなんかもうその緊張感に耐えられなくって映画観ながら「う、うぉう!ううう、うぉう!」とうめきまくってたよ!いやホント頭に問題がある人みたいだねオレ!
迫力怒涛のキリングフィールド!〜映画『13時間 ベンガジの秘密の兵士』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第6位:バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 (監督:ザック・スナイダー 2016年アメリカ映画)


ワンダーウーマンッ!ジャスティスの誕生』とタイトルの付けられたこの作品はむしろ『ワンダーウーマンの誕生』と名付けられるべき作品ではなかったでしょうか!?賛否両論あるかと思いますが"戦う女神"ワンダーウーマンの露出度たっぷりの衣装を眺められただけで1億点付けてもいい!あああああワンダーウーマンに叩きのめされてみてえ!

【人間】である彼は、【常に死の運命と直面する存在】であるからこそ、【きまぐれな神】による不条理を赦すことが出来ない。見過ごすことが出来ない。スーパーマンが【神】という名の「自然の力への畏怖の具現化」だとすれば、バットマンは科学技術を駆使して【人間】という「脆い肉体と遷りやすい精神を持った存在」、さらに不条理な「自然の力」を克服しようとする【近代的精神】である。「神への挑戦」という言葉が使われることがあるが、それは「自然の理」を超越しようとするときに使われる。即ちバットマンとスーパーマンとの戦いは、【近代的精神】が【神】を超克しようとする戦いなのである。『BvS』、それは、【神】に戦いを挑んだ【人間】の物語だったのである。
【神】に戦いを挑んだ【人間】の物語〜映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第7位:スーサイド・スクワッド  (監督:デヴィッド・エアー 2016年アメリカ映画)


ケツッ!何度でも言う、ケツケツケツッ!!この映画の本質はなにしろハーレイクインのショートパンツからはみ出したムッチムチの【ケツ】で御座いましょう!凶悪ヴィランの連中がなんでまた結束したのか、という問いは全て「ハーレイクインのケツにビンビンになったから」という答えで全て解決できるのです!もちろんオジサンのオットセイ君もビンビンのビンさッ!

アマンダ・ウォーラーとヴィランたちを分け隔てるもの。それは、アマンダ・ウォーラーの後ろには国家という巨大で強固な体制が存在するということである。それは強大であるがゆえに機械の如き無慈悲なシステムであり、そこには感情も人間性も差し挟まれる余地はない。即ちアマンダ・ウォーラーは無慈悲なシステムそのものとして登場するのだ。一方、ヴィランたちはどうか。奴らにあるのは大いなる個人主義でありとめどない欲望であり、それを成就するためなら手段を選ばないアンモラルさである。ここで映画『スーサイド・スクワッド』は、「善と悪」といった従来的なスーパーヒーロー映画の退屈な二元論とは全く異なる対立項を観る者に提示するのだ。それは「国家と個人」であり「制度と自由」である。
国家と個人、制度と自由〜映画『スーサイド・スクワッド』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第8位:ズーランダー No.2 (監督:ベン・スティラー 2016年アメリカ映画)


バカッ!バカが観たい!バカを笑いたい!そして自分もバカになってしまいたい!徹頭徹尾バカしか登場しないこのバカ映画は溢れんばかりのバカ成分があなたの脳を直撃し桃源郷のようなバカワールドへと誘ってくれるでしょうや!バカサイコー!!ビデオスルーなんて勿体無い大バカ映画でした!

作品自体は前作よりもスケールを大きくした分、若干大味になったかもしれないが、実のところそんな部分はあまり気にならなかった。ギャグのスベリ方も前作同様だが、それもまたベン・スティラー映画らしくてかえって楽しい。それよりも、「おバカでファッション・ヴィクティムな主人公の探偵物語」といった部分に、奇っ怪な連中の跋扈する奇っ怪な物語であるという部分に、あの傑作コメディ・シリーズ『オースティン・パワーズ』の片鱗を感じてしまった。『ズーランダー』シリーズには『オースティン・パワーズ』の下品さこそないけれども、逆にそれによりスマートでスタイリッシュにまとまっており、しかし頭の悪さとキッチュなセンスは同等なのだ。
渡るファッション業界はバカばかり〜映画『ズーランダー No.2』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第9位:帰ってきたヒトラー (監督:デビッド・ベンド 2015年ドイツ映画)


ちょび髭ッ!ヒトラーが蘇ってあることないこともっともらしい事を喚きまわり知らずに周囲が「そっかもしんないね!エヘヘ!」と納得しちゃうどうしようもなさは別にヒトラーいなくても今の世界そのものじゃん!という真っ黒黒助な黒い笑いに満ちた危険な作品でありました!

そしてそんなヒトラーの言動を、誰一人として論破できない、ということがさらに恐ろしかった。「声の大きいもの」の威圧感に気圧された人々が「そういうものかもしれないな」「逆らわないほうがいいかもしれないな」と黙り込んでしまう状況は、別にヒトラーじゃなくても、どこの世界でも、この日本だってあるじゃねえか、と思えてしまった。さらにそんなヒトラーを、「売れるし金になるからどんどん使っちゃえ」という付和雷同型のマスコミ、「一緒にいれば箔が付くから仲間になっちゃえ」という無批判な有象無象もきちんと描かれていて、ああこれもどこかで見たような光景だよなあ、とやはり真っ黒い笑いが浮かんでしょうがなかった。
もっともらしいことを言う声の大きい者に従え!〜映画『帰ってきたヒトラー』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


第10位:ジプシーのとき (監督:エミール・クストリッツァ 1989年イギリス/イタリア/ユーゴスラビア映画)


アコーディオンッ!世界は悲しみと苦しみに満ちていて悪いことばかりが起こり辛い事ばかりが続くけれども、でもこの世界の向こうには眩しいばかりに輝く幸福と安寧の世界がきっとあるはず、いやなくちゃおかしいんだ、だから今日も僕はアコーディオンを弾くよ!そうすればきっとその世界に近づける筈さ!素晴らしい作品ですがリバイバル上映ということで10位に置いておきました。

これらの幻想と超現実性は、多くのクストリッツァ作品にみられるもので、それは【マジック・リアリズム】と評されることが多い。便利な言葉なので自分もつい使ってしまうのだが、ではなぜ【マジック・リアリズム】なのだろう。クストリッツァは幻想と超現実性の中に何を現そうしているのだろう。それは貧困と犯罪にまみれた暗くやるせない現実の光景に風穴を開け、その向こう側にある、この世界のもう一つの意味と構造を垣間見せようとしているからなのではないか。その向こう側とは、主人公の、あるいはジプシーという民族の、無意識に存在する"何か"だ。
現実と地続きになった無意識の光景〜映画『ジプシーのとき』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

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■その他今年面白かった映画

レヴェナント:蘇えりし者 (監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 2016年アメリカ映画)


大変重厚な素晴らしい作品でしたがなにしろ寒そうだし痛そうだし臭そうだしアタマおかしすぎ!

この映画を観ていて、オレはあの『マッドマックス 怒りのデスロード』をどうしようもなく思い出してしまった。文明の痕跡すらない過酷な荒野で、たった一つの目的を持った主人公が、死と隣り合わせの追跡/逃走劇を繰り広げる。物語の構造が至ってシンプルなのだ。ここには【生きることへの希求】と、【敵を討つ】という目的が、究極的に存在しているだけなのだ。と同時に『レヴェナント』と『マッドマックスFR』は、そのシンプルな構造の中に要所要所で忘れ難いエピソードを巧みに盛り込む。それによって主人公の【生の輪郭】を鮮やかに浮き上がらせてゆく。その強烈な【生の輪郭】を体感することこそが、この二つの映画作品の大いなる魅力となっているのだ。
厳寒のミズーリ河畔で展開する神話的復讐劇〜映画『レヴェナント:蘇えりし者』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


ヘイトフル・エイト (監督:クエンティン・タランティーノ 2015年アメリカ映画)


タラ映画だから四の五の言わず観ればいいんだよッ!でもちょっと長すぎだよな!

この映画、なにしろどこもかしこもタランティーノなのである。一見どうでもいい無駄話が挟まれ、とても教育によくない差別語と卑猥な言葉がこれでもかと連発されるのである。今作で言えばのべつまくなしにニガニガニガニガ言ってるのである。タランティーノらしいなあ、と思えたのはもうひとつ、決して相容れないもの同士が一つの席につき、うわべだけ友好的に振る舞いながら一触即発の熾烈な腹の探り合いを延々と続ける、といった部分だ。この『ヘイトフル・エイト』はとかくタランティーノ監督の処女作『レザボア・ドッグス』が引き合いに出されるが、「一触即発の熾烈な腹の探り合い」といった部分はどの作品にも大なり小なり一貫して存在しており、むしろこの『ヘイトフル・エイト』ではタランティーノ映画におけるそういった側面を徹底的に追求しようとしたのではないか、とも思えるのである。
タランティーノの新作映画『ヘイトフル・エイト』がとても長かったのでオレもとても長い感想文を書いてみた - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


オデッセイ (監督:リドリー・スコット 2015年アメリカ映画)


『スーサイド・スクワッド』が【ケツ】についての映画だとするとこの作品は【オッパイ】についての映画だったね!でも火星人が出てきて光線銃で戦ったり露出度の高いネーチャンが登場しなかったのがちと惜しい!

こうした物語を通して感じたのは、原作の感想でも書いたけれども、アメリカという国とその国民性の持つ、不撓不屈の精神であり、いつも前向きであらんとする態度だ。常に挑戦者たらんとする気概、古くから存在する開拓精神と為せば成ると信じる楽観性、これら「アメリカ的」ともいえる精神がこの物語には十二分に横溢している。それらは悪しきアメリカ覇権主義と表裏一体となっていて、決して手放しで絶賛できるものではないのだけれども、しかし映画『オデッセイ』には、少なくともアメリカの持つ素晴らしい側面があらん限りに詰め込まれている。そこにはかつて誰もが憧れたアメリカがあり、誰もが信じたアメリカがある。そういった「楽観と肯定性に溢れたアメリカ」を今一度描いたドラマとしてもこの作品は評価できると思う。
不撓不屈。〜映画『オデッセイ』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


ウォークラフト (監督:ダンカン・ジョーンズ 2016年アメリカ映画)


あんまり話題にならなかったけどオーソドクスなファンタジー映画と思わせていろいろ技ありだった秀作で、みんなが褒めてあげないと続編作ってくれないだろうからここでオレが褒める!!

この物語のユニークな点は、オーク族が単なる血に飢えたモンスターとして登場するのではなく、彼らなりの生活と"滅びゆく故郷"という已むに已まれぬ理由を持ち、しかもそれぞれに感情を持つキャラクターとして描かれてる、といった点にある。"殲滅すべき悪鬼の軍団"では決して無いのだ。しかも種族内の統率は一枚岩ではなく、戦争を繰り返す自らの種族の状況に疑問を持ち、離反する者がいるほどなのだ。それは人間族にも言えることで、ここにも離反者がおり、侵攻された世界にはドワーフ族、エルフ族の姿もあるものの、世界の危機に対して関心を持たず、戦いに参戦するというわけでもない。さらにハーフオークと呼ばれる、オーク/人間の中間にいてどちらの側なのか一概に決められない存在すら描かれるのである。即ちこれは単純な"善と悪との戦い"を描いたものなのではなく、"戦争"という名の異種族間闘争の、その本来的な複雑さを描き出そうとしているという部分に、この物語のユニークさがあるのだ。
映画『ウォークラフト』はハイ・ファンタジー映画の傑作として評価していいと思う。 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ


グッバイ、サマー (監督:ミシェル・ゴンドリー 2015年フランス映画)


ミシェル・ゴンドリーの自伝的青春映画は小品ながら実に微笑ましい逸品で、こういう作品もきちんと評価しないとダメだよな、と思いましたマル!

この「家型の車」の登場により既にしてミシェル・ゴンドリーらしい稚気溢れる摩訶不思議さが漂っている作品だと言わざるを得ないだろう。ゴンドリーの自伝的映画とはいえ、ホントにこんな車を作ったのかどうかは定かではないが、少なくとも常にこういった自由な発想の中で遊び、そんな想像力を駆使した物作りの喜びに浸る少年時代であったろうことは、その後の活躍を見れば明らかな事だ。そしてそんなゴンドリーの少年時代に、テオのような無二の親友がおり、輝くばかりの夏を過ごしたであろうことも十分に伝わってくる。道中では様々な珍事件が起こり、それらのエピソードはどれもクスリと笑わせてくれる結末を迎え、またはしんみりとさせ、そしてそれらの体験が二人の友情をさらに篤くしてゆくのだ。そして物語ではダニエルのちょっとした恋の顛末までも描かれる。
少年二人が発明した"夢の車"で冒険の旅が始まる〜映画『グッバイ、サマー』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

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