分かち難き半身〜映画『ジーンズ 世界は2人のために』

■ジーンズ 世界は2人のために (監督:シャンカール 1998年インド/アメリカ映画)


先日観た『インドの仕置人』が実に面白かったので、同じシャンカール監督作品『ジーンズ 世界は2人のために』を観てみることにしました。この作品は2000年に日本公開されていたらしく、日本語字幕付きDVDも出ていたんですが、なんでだかまだ観ていなかったんですよね(DVD自体は現在廃盤になっており自分は中古を購入して視聴しました)。出演はアイシュワリヤー・ラーイ、プラシャーント、センディル、ナーザル。ちなみにこの作品、インドとアメリカの合作映画で、前半部分はアメリカが舞台だったりします。

《物語》ロスアンゼルスに住むインド系アメリカ人、ヴィスとラムー(プラシャーント=二役)は瓜二つの双子兄弟。二人はある日、空港で困っているインド人一家と出会い、同郷のよしみで彼らを自宅に招待する。ヴィスはその一家の中の一人、マドゥ(アイシュワリヤー)と愛し合うようになるが、ヴィスの父は「自分も双子兄弟だったから、息子たちは双子姉妹としか結婚させない」などと理不尽なことを言い出す。しかし一緒に来ていたマドゥの祖母は一計を案じ「マドゥも双子なの!」と嘘をついてしまったからさあ大変!マドゥは一人二役で妹までまで演じ遂に結婚が決まるものの、嘘がバレるのは時間の問題だった!?

例によってインド映画お得意のダブルロールものであります。物語は双子の兄弟と一人の娘の恋の行方を描いたものではありますが、「双子兄弟が一人の娘をとりあう」といったありふれた物語では決してないんですよ。兄ヴィスとマドゥの交際を弟ラムーはとても祝福しています。しかし兄弟の父が分からず屋なばかりに、マドゥは一人で双子姉妹を演じてしまう、という部分が面白いんですね。しかしヴィスの家族は「ところでなんでマドゥ姉妹は一緒に現れないの?」というとても基本的な疑問を投げ掛けます。そりゃ不自然だわな!しかーしここで新兵器が!マドゥの兄がパソコンを駆使し妹の全身ホログラム映像を作っちゃうんです!なんだそれ!?これってSFだったのかよ!?あんまり馬鹿馬鹿し過ぎて逆に感心してしまったぐらいですよ!

しかも偽の妹に弟ラムーがすっかり惚れ込んじゃうから話はさらにややこしくなります。もともとマドゥのお婆ちゃんの思いつきだったのですが、「いるはずのない妹とラムーをどう結婚させるの?」という問いに「ヴィスとマドゥを結婚させたらその後妹は死んだ事にすりゃいいんだよ!」などというあまりに乱暴な計画!しかし、この「いるはずのない妹に恋したラムー」のエピソードが、それまでドタバタ・コメディとして進んでいた物語を切なく暗転させるのです。さらにこの物語、後半では場所をインドに移し、双子の父である父親ナーチャッパン(ナーザル)の、その双子の弟とのエピソードが展開し始めるものですから物語はさらに複雑に錯綜してゆくんですよ。だって双子x2と偽双子x1だぜ!?この複雑さを巧みに操りながらクライマックスに最良のポイントにストン!と落としこむシャンカールの演出の抜群さには舌を巻いてしまいました。レロレロ。

それとこの物語、話の展開自体は相当あり得ないものなのにもかかわらず、基本となる部分は結構しっかり作られているんですね。インド・アメリカ合作ということで両国を舞台にするという決まり事が最初にあったのだと思われますが、登場人物であるインド人たちがなぜそれぞれの国に住み、またはそれぞれの国に行く事情を持ち、そして彼らがなぜ出会ったのか、という理由がきちんと説明されているんですね。登場人物たちがそこにいることの必然性があるんですよ。「他国を舞台にしながらその国が舞台である必然性のないインド映画」って割とありますからねえ。こういったシナリオの作りがしっかりしていると思いました。ただし世界を股に掛けてロケした踊りのシーンは全く世界を股に掛ける必然性がないんだけどね!

というわけで、一見お手軽なダブルロール作品と思わせながらいろいろワザありの作品でしたね。しかしこの物語に登場する双子、特にヴィスとラムーの存在は、単に話を面白くするだけではない意味合いが隠されているように思いました。彼らは瓜二つなだけではなく全く同じ洋服を着て性格にすら差異がありません。二人は一人の人間だと言っても通じるぐらいです。しかし恋愛によって二人には差異が生じます。学生の彼らが結婚するということは一人前の大人になるということです。その為に彼らは未分化であったキャラクターから、そして被保護者であることから脱却しなければならなかった。そして彼らの恋の悩みとトラブルは、その為の通過儀式だと言えるのです。こうしてそれぞれが分かち難き半身として生きていた彼らが個別の人格を獲得する物語、映画『ジーンズ 世界は2人のために』は、実は青年たちの成長譚だったと言えるのではないでしょうか。