ドラッグによる精神の解放を描くインドのヒッピー映画『M Cream』

■M Cream (監督:アグニア・シン 2016年インド映画)


映画『M Cream』はデリー大学に通う4人の男女が中心となって描かれるインディペンデント系のロード・ムービーだ。作品は2014年にロードアイランド・フィルム・フェスティバル上映後2016年にインドで一般公開されている。
タイトル「M Cream」とは何か?というと、これがヒマラヤにあるという極上のハシシ(大麻樹脂)の名前。実はこの物語、麻薬を中心としたインドのヒッピー・カルチャーを描いたものなのだ。その昔ヒッピーの幻想はインドを目指したが、この作品はインドのヒッピーが目指す幻想を描いたものであるということもできる。2016年に公開された『Udta Punjab』はインドを蝕む麻薬禍を描いた作品だったが、この『M Cream』は麻薬による精神の開放を描く。この辺の真逆のアプローチというのも面白い。
《物語》主人公フィグズ(イマード・シャー)は裕福な家に育ち、将来を嘱望される青年だが、若者ならではの反抗心と皮肉な性格も併せ持っていた。フィグズはカメラマンのニッツ、彼のガールフレンドのマギー、そして人権活動家の女学生ジェイ(アイラ・デュベィ)と共にヒマラヤを目指す。道中彼らはドラッグ・パーティーのコミューンに立ち寄りドラッグによる精神の解放を体験する。しかし羽目を外し過ぎたマギーのせいでフィグスら一行の旅は危うくなる。
最初に目を惹くのは主人公4人のリアルな描写だろう。大学のパーティーでは酒をあおり大麻を回し議論に熱中したかと思うとDJのプレイするダンスミュージックで踊り、気が合ったカップルは部屋にしけこみセックスする。ハリウッド映画ではお馴染みのシチュエーションだがインド映画となると結構珍しい。そして彼らが旅するヒマラヤ山脈の麓の、折々の山々と木々の光景が美しい。これはヒマラヤに近いヒマーチャル・プラデーシュ州でロケされたのらしいが、その透き通った光景は一見に値するかもしれない。
ところでこのヒマーチャル・プラデーシュ州の観光地クッルー〜マナーリーはもともとインドの数ある避暑地の一つだったが、1970〜80年代に欧米人ヒッピーの溜まり場となった過去があるのらしい。なぜならそもそもこの土地は世界でも指折りのハシシの生産・流通地だったからだ。インドでハッパやりながらレイブ・パーティーというとインドのゾンビ・コメディ『インド・オブ・ザ・デッド』(2013)の舞台ゴアが思い浮かぶが、どうやらクッルー〜マナーリーも欧米人がイッパツキメてレイブ・パーティー、という土地柄なのであるらしい。まあ現地のインド人は相当迷惑しているらしいが。
さて物語の中で主人公一行は、ここにあるドラッグ・コミューンで極上大麻の幻想体験をし、さらに山奥で森林保護を訴える活動家たちのコロニーに入って共に行動する。精神の解放と権力からの自由、文明を離れた自然の中での生活。この作品で謳われるのはまさにアメリカ60年代ヒッピーカルチャー/フラワームーブメントの再現であり、何をいまさらといった古臭さは感じるものの、これがインドである、というその一点のみにおいて物珍しさがある作品である。しかし物語ではそれらへの幻滅までもが描かれ、その先にあるものを模索しようとする。
作品として見ると物語性とカタルシスの希薄さ、曖昧に終わるアンチクライマックスなシナリオが実にインディペンデント映画らしく、退屈さを感じる部分も多かったが、ドラッグによる精神的解放を描こうとした部分、ヒマラヤの自然の美しさといった部分で見るべき点もある。
この作品を観て思い出したのはディーピカー・パードゥコーン、ランビール・カプール主演の『若さは向こう見ず』(2013)だ。『若さは向こう見ず』は意気投合した4人の学生のヒマラヤへのトレッキングの旅とそこで生まれる恋、といった点で『M Cream』と非常にプロットが重なっている。しかしキラッキラでバブリーな嫌味さえあった『若さは向こう見ず』と比べ、『M Cream』の青春はセックスとドラッグと政治活動という実にベタなリアルさで描かれる。おまけにドラッグやりすぎてメンバー解散とか実にリアル過ぎる。なんとなれば『M Cream』は"裏"『若さは向こう見ず』と言うこともでき、その辺の意識の違いの様が妙に興味深い。ある意味『若さは向こう見ず』はインド経済発展の最後の仇花であり、『M Cream』は経済低迷後の若者の意識の在り方だったのかもしれない。