インドに蔓延する麻薬禍を描く問題作〜映画『Udta Punjab』

■Udta Punjab (監督:アビシェーク・チョーベイ 2016年インド映画)


映画『Udta Punjab』はインドのパンジャーブ州に蔓延する麻薬禍をテーマにした社会派娯楽作品だ。主演は『Haider』(2014)、『R... Rajkumar』(2013)のシャーヒド・カプール、『Bajrangi Bhaijaan』(2015)、『きっと、うまくいく』(2009)のカリーナー・カプール、『Kapoor & Sons』(2016)、『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』(2012)のアーリヤー・バット、パンジャビー映画出身でシンガーでもあるディルジート・ドーサンジ。監督は『Ishqiya』(2010)、『Dedh Ishqiya』(2014)のアビシェーク・チョーベイ。また、プロデューサーには『Raman Raghav 2.0』(2016)、『Gangs of Wasseypur Part1,2』(2012)のアヌラーグ・カシュヤプが名を連ねている。この作品はそのテーマから物議を醸し、インド映画検定中央委員会との間で裁判沙汰が起こったということが話題になった。

薬物乱用描いたインド映画と「言論の自由」:日本経済新聞
麻薬問題を扱った映画の公開を許可 ボンベイ高裁:日刊インド経済

詳しいわけではないがインドとドラッグはそれほど無縁なものではなく、特に大麻はおよそ紀元前2000年から宗教的意義やその薬効から一般的に用いられてきたというし*1バングラッシーと呼ばれる大麻入りラッシーが一般的に売られ、それを飲んだという旅行記を読んだこともある。映画では外人旅行客の多いゴアでのドラッグ・パーティーを舞台にした『インド・オブ・ザ・デッド』(2013)という作品があるが、都市部の麻薬の実体は『Dev.D』(2009)あたりでもその一部が描かれていたりする。以前読んだ『インド人の謎』では、北インドの観光地クッルー〜マナーリーが世界でも指折りの麻薬の生産・流通地であり、イスラエル人旅行者たちがここで麻薬に溺れ地元の文化を破壊しつつある様が言及されていた。インドと麻薬で一番好きな話はジャンキー作家ウィリアム・S・バロウズがインドの宿屋でモルヒネを打ち続け、ベッドに横になったまま1年だか1ヶ月だか靴の爪先だけ見ていたという話だな。

さて、この物語では4つの軸で展開しながらそれぞれが次第に合流しインドの麻薬問題を明らかにしてゆく。

・コカインに溺れるロックスター、トミー・シン(シャーヒド・カプール)の物語。麻薬服用により彼の行動は次第に常軌を逸してゆく。
パキスタンから持ち込まれた3kgものヘロインを偶然拾った農家の娘(アーリヤー・バット)の物語。彼女は麻薬を売りさばこうと街へと出掛ける。
・弟が麻薬の過剰摂取で病院に病院に担ぎ込まれた2級警官サルタージ(ディルジート・ドーサンジ)の物語。この事件により彼は麻薬組織の捜査を始める。
・麻薬リハビリセンターに勤め活動家でもある医師プリート(カリーナー・カプール)の物語。彼女は診療所で警官サルタージに捜査協力を依頼される。

つまりそれぞれが「麻薬常用者」、「麻薬売買に手を染めた者」、「麻薬捜査」もしくは「家族が麻薬被害に遭った者」、「麻薬患者を治療する者」となっており、"麻薬"を中心としてそれに関わった者たちの様々なドラマを見せてゆくことになる。そしてクライマックスに「麻薬売買の中心的な元締め」に肉薄しつつ、彼らがその果てに何を見出したか・あるいは失ったかを描いてゆく、という構成になっている。こういった構成であるために、上映時間は2時間28分と大変に長い。インド映画の長いのは心得てはいるが、このテーマでこの尺は少々欲張り過ぎたのではないか、と少々思う。

しかも、「インドの麻薬問題」という重々しいテーマを2時間半見せられるのかと思っていたら、前半は意外と緩い展開で、時折笑いを醸す滑稽なシーンまである。ロックスターのトミーは単なるお道化者にしか見えないし、アーリヤー演じる農家の娘も軽はずみな少女だし、サルタージのオーバードーズした弟もやはり迂闊な少年だし、サルタージとプリートのロマンス展開に至っては「なんじゃこりゃ」と思わされてしまう(実はこのロマンス展開が後半に生きる)。物語にバラエティの幅を持たせたかったのだろうが、この前半は緊張感に満ちた部分とそうではない部分の差がありすぎて、作品のカラーにどうにもちぐはぐさを感じさせてしまう。

しかしこれが後半に入り4つの軸がひとつに収束してゆくにつれ、やっと物語の目指すところが見えてくる。製作者はこれを狙ったのだろうが、それにしても前半がバラケ過ぎのように感じる。この辺、インド映画お得意の「なんでもアリ」を廃してもっとストイックな演出を心掛けたほうが全体が締まった筈ではないだろうか。最近のシネコンを主軸としたタイトなインド映画作品を多く見るようになっているとどこか歯痒いものを覚えてしまう。これは情念重視の監督アビシェーク・チョーベイの資質がリアリズム重視の製作者アヌラーグ・カシュヤプの意図する所とどこか乖離していたせいでもあるのではないだろうか。

それと巨悪の根源である筈の麻薬の大元締めがその辺の田舎ヤクザにしか見えないところがなんだか拍子抜けだった。パンジャーブとメキシコを並び比すぐらいならメキシコ麻薬カルテルのマフィアぐらいに凶悪な存在を期待していたのだが。映画『Udta Punjab』は話題作であり問題作であり、インドの社会問題に切り込んだ野心作ではあるが、今一つ詰め方に甘いものを感じた。やっぱここはアクシャイ・"軍人顔"・クマールを主人公にして、『Baby』(2015)みたいな血で血を洗う抗争を描いた物語にしてくれたほうが溜飲が下がったような気がするのだが。アヌラーグさんそういうの好きそうだから作りゃあいいのに。