女子嬰児殺しの村〜映画『Kajarya』

■Kajarya (監督:マドゥリータ・アナンド 2015年インド映画)


新進女性ジャーナリストが祭の取材のため訪れた村で知ってしまった恐ろしい事実。それは村ぐるみで行われていた大量の女子嬰児殺害だった。2015年にインドで公開された映画『Kajarya』はインドで深刻な社会問題となっている「女子嬰児殺し」をテーマにした社会派作品である。監督のマドゥリータ・アナンドはジェンダー・子どもの権利に関する多数の短編・ドキュメンタリー作品を監督・製作してきた女性であり、この作品は彼女の2番目の長編映画作品となる。

《物語》デリーに住む新進ジャーナリスト、ミーラ(リディマ・シュッド)は毎年恒例の祭の取材のため、デリーから80キロ離れたある村に訪れる。しかし、村の不穏な空気に胸騒ぎを覚えた彼女は、聞き込みの中で祭の巫女である女、カジャリア(ミーヌ・フーダ)が村で生まれた女児新生児を殺す役割を負っていることを知る。ミーラはこのニュースをメディアで取り上げ、カジャリアを告発する。だがカジャリアもまた、女性蔑視の渦巻く村で惨めな生を生き続けてきた女だった。

インドでは英領期から女子嬰児殺しが問題になっていた。これは家長としての男児が望まれていることと同時に、ダウリーと呼ばれるインドの持参金制度が大きくかかわっている。インドでは結婚に際し嫁の親側が多額の持参金を支払わねばならない。この額は娘が二人三人といればマハラジャですら家が傾くとも言われ、女児が生まれた時から持参金を貯蓄し始めることもあるという。このダウリー制は現在法律で禁止されているが、地方ではいまだに根強く残っており、この持参金を巡って嫁が殺されるという事件も多発している。

インドでは家族の名誉を傷つけたとか、花嫁の持参金が少ないといっては、女性に火をつける家族や義理の親族が今も後を絶たない。政府の統計によると、花嫁の持参金に関するもめごとで約1時間に1人の割合で女性が死亡している。また、虐待から逃れるために、考えあぐねた末に自ら火をつける女性もいる。
持参金問題で嫁が焼き殺されるインド - WSJ

将来的な持参金負担の重圧を逃れるため、生まれた子供が女児であった場合、これを闇に葬ってしまう。これがインドの"女子嬰児殺し"の理由の一つであるが、これは決してインドが古来から持つ"野蛮な風習"というわけではなかった。

植民地インドにおいて、嬰児殺しは一部カーストの文化・悪習ととらえられていたが、実際には植民地行政下で新たに誕生した部分が大きいという。その例が徴税官階級ザミーンダールだ。イギリスの徴税改革によって仕事を失ったザミーンダールたちは一族の財産を守るために高額な持参金が必要となる女児を避けるようになった。こうして嬰児殺しという「伝統」が生まれた。他のカーストにおいても植民地政府の管理が厳しくなるなか、嬰児殺しの「伝統」が生まれる。裕福なカーストから貧しいカーストへと風習は広がり、植民地政府が取り締まろうとした時には立派な伝統に変わっている。
【ブックレビュー】「嬰児殺し」という作られた伝統=『女性のいない世界』を読む : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)

またこれに付随し、インドでは出生前の性別検査と、女児と分かったうえでの堕胎が法律で禁止されているが、これも違法な医療行為として横行しているという。

インドの男女出生比率は、1991年には男児1000人に対し女児945人だったが、2011年には1000対918になった。国連人口基金によれば、同国では男女産み分けや幼児殺害、育児放棄などにより、毎年40万人の女児が「行方不明」となっている。(中略)出生前の性別検査は、1994年以降禁じられている。2003年にはこの目的で超音波を使うことを禁じる法律改正が行われたが、これによってかえって、悪徳医師や適切な医療訓練を受けない起業家がサービスを提供する闇市場が繁栄する結果となった。
インドで違法な男女産み分け横行、巨大地下産業に - WSJ

作品はこうした背景の中で物語られてゆくが、こういったテーマだからこそ女性が中心となって描かれてゆくところがユニークである。まず事件を発見し告発したのが女性である。また村で嬰児殺しを担っていたのもまた女性である。しかしこの女カジャリアもまた、男たちによって村の暗部をたった一人で背負わされ、なおかつ"忌むべき存在"として虐げられている被害者でもある。ここには幾重にも重なった女性差別と女性蔑視が存在する。
ジャーナリスト、ミーラが初めて訪れた事件の村は、通りのあちこちに男たちがたむろするものの、女の姿は一切なく、ただそれだけでも異様な雰囲気に満ちている。その後女たちはぽつぽつと村の通りに姿を見せるが、彼女らは一様に顔を隠しうつむきながら足早に歩くのだ。この呪われた地で、"女"であることはそれ自体が"望まれぬ生"という名の烙印なのだ。こういった描写を通し、"嬰児殺し"そのものだけではなく"女の疎外された世界"の異様さがひたひたと恐怖を醸し出す作品でもあった。

http://www.youtube.com/watch?v=8_1jBPqL9K8:movie:W620