インドとアメリカを舞台にしたある家族の破綻と再生の物語〜『低地』 ジュンパ・ラヒリ

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

カルカッタ郊外に育った仲睦まじい年子の兄弟。だが過激な革命運動に身を投じた弟は、両親と身重の妻の眼前、自宅近くの低湿地で射殺される。報せを聞いて留学先のアメリカからもどった兄は、遺された妻をカルカッタから連れだすことを決意する。喪失を抱えた男女はアメリカで新しい家族として歩みだすが、やがて女は、小さな娘と新しい夫を残し、行方も告げず家を出る―。

インド映画は好きだけれどインド作家の小説はあまり読んだことがないな、と思っていたのだ。今回手にした作品の作者、ジュンパ・ラヒリは、ベンガル系インド人移民の娘としてロンドンで生まれ、その後アメリカに移り住んで作家になっており、厳密な意味ではインド人作家というよりも、インド系アメリカ人作家ということになる。だがその作品の多くはインド系移民の物語だというから、なにがしかインドの風を運んでくれそうだ。そして読んでみたところ、これは十分にインドについての物語であり、さらに文学小説としても非常に高い完成度を誇る作品であると感じた。なお、昨日紹介した映画作品『その名にちなんで』もこのジュンパ・ラヒリが原作となっている。

二つの故国の狭間で揺れ動くアイデンティティ〜映画『その名にちなんで』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

物語はあるインド人の半生を描いたものである。そして彼を取り巻く家族、妻、子供たちを描いたものである。主人公は独立前夜のインドで生まれ、青年となってからアメリカに渡り、そこに定住し、結婚し、子供を育て、そして老いてゆく。その彼の生涯の中で起こったある波乱と、それがどのように彼の人生を変え、どのように家族へ波紋を投げかけてゆき、その中で彼とその家族が何を選択していったのかがこの物語となる。
物語の中心となるのはカルカッタ郊外に生まれ育ったスバシュとウダヤンの兄弟。仲睦まじく育った二人だったが、青年となったスバシュは学業の為アメリカに渡り、一方ウダヤンは学生運動が高じて過激派へとなっていった。ある日そのウダヤンが警官に殺害される。故郷に戻ったスバシュはそこでウダヤンの死により若くして未亡人となった娘、ガウリと出会う。彼女はウダヤンの子を宿していた。不憫に感じたスバシュはガウリをアメリカに呼び、結婚する。生まれた子は女の子で、ベラと名付けられる。スバシュは死んだ弟の妻と結婚し、死んだ弟の娘を我が娘として育てることを、ひとつの運命として受け入れていた。だがそんなある日、何も言わずガウリが家を出てしまう。
インド独立を前後した政府の悪政に対し蜂起する反政府グループ、そのいちメンバーとして行動し、最期に警察によって射殺される弟ウダヤン、こういったインドの政治的歴史性と、その犠牲となった市民といった点を除けば、この物語はある家族の破綻と再生とを、じっくり淡々と描いた作品ということになる。確かにそこにはインドとアメリカという二つの故国を持つ人々の、寄る辺なき悲哀こそあるけれども、中心となるのはやはり家族のドラマであり、そこに波乱があったとしても、特殊だったり特別な事件が起こるわけでは無い。決して有り得ないわけでは無い事情を抱えた、普通の家族の物語なのだ。いってしまえばこの物語は、ウダヤンが単なる事故死であったとしても成立してしまうのだ。にもかかわらず、この作品には、非常に心奪われ、魅せられるものを感じた。
それは作者であるジュンパ・ラヒリの、透徹した描写力にあるだろう。ここに登場する人物たちは、誰もが重層的なレイヤーを持った人物として描かれ、人格として統一されてはいても、時として思わぬ行動に出てしまう。しかし物語として読み進めてみるとそれが一個人として矛盾したものではない。つまり一人の人間が抱える複雑なパーソナリティーを描く時に説得力があるのだ。同時に、人間という複雑なものを抱えた者同士が理解しあうことの難しさがこの物語では描かれることになる。そして、その難しさを乗り越えて、どうお互いが理解しあい、または譲歩しあうのかを描くのがこの物語だったのではないかと思う。そしてそれをあくまで日常的な状況と、平凡な生活を営む人間たちの心理の中から組み立ててゆくのだ。これは実は子細な観察力から導き出されたものであり、それを巧みに描写することのできる技量の賜物ではないか。優れた文学とはこういったものではないか、とすら思わせられたほどだ。
また、その構成のテクニックも抜きんでている。物語は、インドとアメリカ、という空間的な距離を行き来しながら、過去と現在という時間を行き来し、さらにそれを語る人称ですら次々と変わる。章の始まりは誰がそれを語っているのか最初分からない導入を使い、物語の流れに注意と集中を促す。こうしてどんどんと物語に惹き込まれてゆくのだ。そしてその中で移ろいゆく思いと、決して変わらぬ思いとが描かれ、変化してゆく事象と、変わることのない事象とが描かれてゆく。それは人の生は常に変わりゆくものだけれども、人の本質的な部分は常に変わらないのだと言っているのかもしれない。タイトル『低地』とは、スバシュとウダヤン兄弟が子供時代遊んだ場所であり、ウダヤンが射殺された場所だった。時を経てその低地は住宅地となり消え去るが、スバシュ家の人々にとってそこは未だに"あの場所"なのだ。ここでも変化するものとしないものとが描かれてゆくのだ。
そしてやはり物語で描かれるインドの情景とその習俗にやはり魅せられる。カルカッタといえばドゥルガー祭であり、その時の町や人々を描く場面は憧れをこめて読んでしまうし、インドでの日常的な暮らしの様子や、細かな風習にも思わず注視してしまう。その時の気候、気温の様子にすらインドを感じる。好きなインド映画のあんなシーンやこんなシーンが頭に思い浮かんだりする。そもそも、「亡くなった弟の妻を娶る」ということ自体、実はインド的な習俗であるように思う。インド映画好きのオレとしては、このキャラクターにはどんな俳優がいいだろう?などと頭で映像化してみたりする。文学小説だから、配役は地味目がいいだろうが、こことここには有名俳優を入れたいな、なんて妄想までしてしまった。もしあなたがインド映画好きなら、結構ハマる作業なのでちょっとやってみるといいかもしれない。もちろん小説も最高の出来なので、是非読んでみるといい。

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)