『紙の動物園』ケン・リュウによるシルクパンク・エピック・ファンタジイ巨編『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』開幕開幕〜!

■蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ / ケン・リュウ

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

■『紙の動物園』ケン・リュウの初長編作

七つの国々からなるダラ諸島では、統一戦争に勝利したザナ国が他の六カ国を支配し、皇帝マビデレが圧政を敷いていた。喧嘩っ早いが陽気で誰からも愛される青年クニ・ガルは、日々気楽な暮らしを送りながらも、何か大きなことを成したいと夢見ていた。いっぽう皇帝に一族を殺され、過酷な運命をたどってきた青年マタ・ジンドゥは、皇帝を手にかけるその日のため研鑚を積んでいた。行く手に待ち受ける数多くの陰謀と困難を乗り越え、ふたりはともに帝国の打倒を目指す。権謀術数渦巻く国家と時代の流れに翻弄される人々を優しくも怜悧な視点で描き出す、ケン・リュウの幻想武侠巨篇、開幕。

中国系アメリカ人ケン・リュウによる第一短編集『紙の動物園』は近年稀に見る傑作SF集だった(レヴュー:ケン・リュウの『紙の動物園』は現在最高のSF小説集だと思う。 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ)。それは、脱西洋的な概念を立脚点とした独自の物語性の面白さにある。キリスト教圏独特の概念が先験的に擦り込まれた物語性から軽やかに乖離し、脱西洋、非キリスト教圏的な、オルタナティヴな思考に基づく物語がそこにはあった。

■壮大なるエピック・ファンタジイ3部作の幕開け

そのケン・リュウの初長編が刊行された。これは四の五の言わず読まねばならない。タイトルは『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ』、なんとエピック・ファンタジイであるという。『紙の動物園』の作品群からは想像の付かない作品ジャンルだ。それも「シルクパンク」という耳慣れないジャンルを謳っているのだという。これは益々興味が尽きないではないか。おまけに3部作になるといわれ、さらに今回刊行されたのは第1部のその半分に過ぎない。原作が大著であるため、日本では上下巻の2部冊での刊行となったらしいのだ。下巻は6月に『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二: 囚われの王狼』として発売されるらしい。
物語の舞台は「ダラ諸島」と呼ばれる架空の多島海世界。かつては7つの国が治めていたこの島々を、その中の一つザナ国が武力制圧し、ザナ帝国として支配していた。しかし度重なる圧政に、遂に反旗が翻される。物語の主人公は二人。街の愚連隊のリーダー、クニ・ガルと、ジンドゥ一族最後の男子、マタ・ジンドゥ。この二人を中心としながら、次第に広がってゆく叛乱と独立の機運、それを打ち破るため進軍する残忍なザナ帝国軍、といった流れになる。物語は紀元前3世紀に中国で起こった楚漢戦争を題に取り、いわばケン・リュウ版「項羽と劉邦」といった趣が施されているという。

■脱西洋的な概念を立脚点とした独自の物語性

まだ上巻までしか発売されていない作品の評価をするのはひとまず置くとしても、とりあえず、面白い。どう面白いのか。まず「『紙の動物園』のケン・リュウ」から想像もつかない程に、まだ知らなかったケン・リュウの世界が広がっている。短編と長編では作家の力量の現れ方が違うが、第一部の上巻だけを読んでみてもその構成力と文章のリズム、登場人物たちの肉付け方、細かなエピソードの端々に光るリアリティ、そして世界全体を構築する想像力の豊かさに感嘆させられる。
しかし逆に、物語全体を見渡してみると、これが実にケン・リュウらしい作話術で成り立っている物語であることに気付かされる。この『蒲公英王朝記』は、『紙の動物園』の諸作品と同様に、「脱西洋的な概念を立脚点とした独自の物語性」を持つ作品として成り立っているのだ。
例えば"エピック・ファンタジイ"と言う時に、往々にして想像してしまうのは中世ヨーロッパ的な世界観、その神話と文明と歴史を想像力の源とした物語性である。ところがケン・リュウはそれら欧米的な見地から一般的となっているエピック・ファンタジイの要素を注意深く排除する。かといってケン・リュウはそれら「非ヨーロッパ的」な世界に安易に「アジア的」な要素を代入したりはしない。「項羽と劉邦」がモチーフとはいえ、ケン・リュウはこの物語から「中華的」な要素すら注意深く排除しているのだ。

■批評され対象化されたエピック・ファンタジイ

これら「脱西欧=アジア」といった単純な二元論を採用しない姿勢は『紙の動物園』の諸作品からも伺える。ケン・リュウは中国系アメリカ人だが、中国系アメリカ人だからこそなのか、どちらの文化圏からも一歩引いた視点から、それぞれの文化を批評し対象化しているように思える。即ちこの『蒲公英王朝記』とは、「批評され対象化されたエピック・ファンタジイ」という、実は高度に知的なアプローチを施されたファンタジイ作品だということが出来るだ。
そうして生み出されたこの『蒲公英王朝記』は、ヨーロッパとアジアの要素を少しずつ持ちながらも、その両方とは全く違う、それこそ独自な世界観を表出させることに成功している。それは現実の何がしかの事柄に依拠することなく「どこでもないどこか」を生み出すという、ファンタジイ小説の幸福な完成図がある。そしてまた、そういった世界を生み出してしまえるケン・リュウの底力に唸らされる。
そこにはこの物語の舞台が「大陸」ではなく「多島海世界」であることも一役買っている。「多島海世界」であるために、ヨーロッパやアジアといった汎ユーラシア大陸的な世界を持った物語といった先入観が通用しないのだ。かといってこれがオセアニア諸島を想起させるかと言うとそれも全く無い。このあたりにも作者の巧みな作話力が生きていると思う。

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)