主演の大泉洋がとてもよかったゾンビの頭大炸裂映画『アイアムアヒーロー』

アイアムアヒーロー (監督:佐藤信介 2016年日本映画)

■邦画を観ないオレも観た『アイアムアヒーロー

申し訳ないのだが邦画はまるで観ない。いろいろ理由はあるが、ひとつに日本の男優女優のツルッとした顔がツマラナイからである。人間多少エグ味がある顔のほうがいい。あんまりエグ過ぎても困るがな。まあ全てオレの根拠不明な決めつけであり、誰一人賛同しなくていい。そんなオレだがゾンビ・パニック・コミック『アイアムアヒーロー』が映画化されると聞いた時は「これは観に行かねば」と思った。原作は当然好きだが、それよりも主演が大泉洋というのがイイ。オレの中で大泉洋はいまだにバラエティ番組『水曜どうでしょう』の人だが、味わいの深いキャラクターを持つタレントではないか。その「味わい深さ」の中には何とも言えない情けなさ、というのも含まれる。『アイアムアヒーロー』の主人公にこれほど適したタレントもいないのではないか。
さてお話はと言うとこれはクドクド書くまでも無くゾンビ・パニック・ストーリーである。理由ははっきりしないがある日突然ZQNと呼ばれるゾンビ体が大発生し、街はパニックに襲われ、人々は逃げ惑いながらゾンビに貪り食われ、自らもゾンビと化す。主人公・鈴木英雄(大泉洋)はまるで芽の出ない漫画アシスタントで、同棲している恋人にも甲斐性の無さを毎日なじられているような情けない男だ。そんな彼がゾンビパニックの中、女子高生・比呂美(有村架純)をたまたま拾い、二人してゾンビ禍の少ないという噂の富士山を目指すが、そこで発見したアウトレットモールの生き残りたちとまたもやゾンビに襲われる、という物語である。

■徹底的なダメ人間ぶりが素晴らしかった大泉洋

洋の東西を問わずゾンビ映画はこれまでも履いて捨てるほど作られてきたが、この作品での特徴というなら、ゾンビが「喋る」という部分だろうか。これはゾンビになる前のその人間の、ある種の「強迫観念」として残っている事がらをブツブツ呟いているということで、決して会話として「喋っている」わけではないのだが、これが独特の不気味さを醸し出している。それは「人間の名残りがある」という部分で怖いということだ。それとのったり動くゾンビと走るゾンビが混在しているというのも面白い。運動能力の高かった人間はゾンビ化後も運動能力が高いというのもいい。オレは別にホラー映画専門家でもゾンビ映画専門家でもないので、こういったゾンビ映画がこれまであったかどうかなどまるで知らないでモノを言ってるが、この設定は十分新鮮に映った。
物語として楽しめた部分は、この作品が徹底的にダメ人間である主人公がゾンビ禍を通して"ヒーロー"へと生まれ変わってゆくという部分だろう。これは原作の根本的なテーマでもあるが、他のゾンビ・ストーリーと差別化が成功しているのはその部分だろう(こういったゾンビ映画は他にもあるのかもしれないが)。そしてこの「徹底的なダメ人間」を演じる大泉洋が、やはり、いい。ダメ人間の一発逆転というストーリーはハリウッド・コメディでは多く題材にされるし、毎度毎度ダメ人間ばかり演じるオレの大好きなサイモン・ペグという素晴らしい俳優もいるが、そういう立ち位置を、"あの"大泉洋が演じる、というのがなにしろ快挙だ。大泉には"ダメさ"と"情けなさ"が十分にある。映画『アイアムアヒーロー』はこの大泉を主役に据えたことで既に成功していたのだ。
残酷描写はR15+の映倫区分がされただけあってなるほど凄まじい。異形と化したZQNの容姿はよく出来ていると思うし、銃で次々と頭をふっ飛ばされてゆくZQNの描写もある意味爽快なぐらい素晴らしい。こういった爽快残酷描写も今作の見所の一つだろう。だがしかしこういったテクニカルな部分は、日本のホラー特殊メイクでは既に高い水準を持っていたのではないか。なにしろ日本のホラーすら見ないから断言もできないんだが、日本人ってこういうのやらせりゃあきちんと作るだろうな、とは思う。すまんのうなにもかも憶測でモノ言っていて。

■存在感の薄いダブルヒロイン

半面いまひとつだったのはダブルヒロインとして登場する比呂美役・有村架純と藪役・長澤まさみの存在感の薄さと設定の曖昧さ、さらに演出の拙さだ。まず偶然英雄と出会った比呂美は、恐怖に怯えるでもなく家族を心配するでもなく、水知らずの英雄に「私を守ってね」とばかりにすぐさま全権委任してしまう。きょうびの女子高生のことは知らんがこれではリアリティが希薄だ。彼女が半ZQNと分かった後も、それがなにか物語に反映するわけでもない。オレはいつ比呂美が覚醒してZQNをバッタバッタとなぎ倒すのか楽しみにしていたのだが。また、英雄がそんな比呂美に「僕が君を守る」と言うのはもっと後でもよかったのではないか。そうでないと物語半ばで既にダメ人間がダメ人間じゃなくなってしまうではないか。
藪の存在にしても立ち位置がどうも曖昧で、これは原作の流れを受け継いだものなのだろうが、映画だけ観るなら藪のポジションに入るキャラクターは別に誰でもよかったし、ダブルヒロインである意味すらなかったとも言える。演じる長澤まさみにしても綺麗な顔立ちの女優であるせいで、原作の蓮っ葉な汚れ役の小田(藪の本名)とどうもイメージが違う。ただしこれは新キャラぐらいに考えればいいのかもしれない。さらに、彼女の立ち位置の曖昧さは、ひょっとしたら製作されるかもしれない『アイアムアヒーロー2』で地に足の着いたものになると思われるので、これは是非続編製作に期待したい。
そういった瑕疵はあるにせよ、映画全編を覆う終末観と、殺戮と人体破壊の饗宴は、それを忘れさせて余りあるものだった。そして何度も書くが大泉洋がなにしろサイコーで、残酷描写も併せ、この『アイアムアヒーロー』はひょっとしたら邦画のなにがしかの曙ともなる作品として完成しているんじゃないかとすら思った。いやまあ他の邦画全然観ないんだけど。だからなにしろ予算2倍増しぐらいにして続編作んなさい。きっと観に行くから。