マヌエル・ゴンザレスの奇想小説集『ミニチュアの妻』を読んだ

■ミニチュアの妻 / マヌエル・ゴンザレス

ミニチュアの妻 (エクス・リブリス)

飛行機のハイジャック、ゾンビといった21世紀的モチーフのみならず、ページをめくる度に予測不可能な設定が飛び出す、「ポスト・アメリカ」世代の注目の若手による第一短篇集。

アメリカ在住のメキシコ移民三世、マヌエル・ゴンザレスによる第一短編集。特にノーマークだった本なのだが、Twitterでの評判の声を聞き、書評でも絶賛が多かったので読んでみることにした。だが個人的には、う〜ん、ちょっと合わない作家だったなあ。マヌエル・ゴンザレスの作品のそれぞれは最初に異様なシチュエーションを持ち出すことで物語られるいわゆる"奇想小説"や"奇妙な味"といった作風を持つ。持つのだが、単なる「法螺話」の域を超えていない。まあフィクションなんざそもそも全て「法螺話」なんだが、その「法螺」な着想からまるで話が膨らまず、「法螺」が「法螺」で終わってしまっているのだ。これは殆どの作品において「最初に異様なシチュエーションを持ち出す」だけで、そこからさらに別なシチュエーションを持ち出すことなく終わってしまっているということだ。
マヌエル・ゴンザレスの作品は単なるワン・アイディア・ストーリーであり、そこに細かな人物描写を加えることで「異様なシチュエーションの中の人間心理」を浮き彫りにしようとするが、これがまたライタースクールの教科書通りじゃないか思えてしまうような可もなく不可もない人物描写で、驚きも共感ももたらしはしない。そして最初に投げ出された「異様なシチュエーション」は投げっぱなしのまま終幕を迎える。この「投げっぱなし」の仕方はいかにも昨今の文学っぽいが、こちらは"奇想小説"を読みたくて本を手に取っているので「それはないだろ」と思えてしまうし、かといって文学として読むと底が浅いものに感じてしまう。読み終わってから「なぜなんだろう?これはどういうことなのだろう?」と作品世界の不思議さに飲みこませることなく、「だからナニ?」で終わってしまうのだ。
さらにその「異様なシチュエーション」につまらない説明を加えてしまうことで作品が台無しになっている部分もある。なにより冒頭の「操縦士、副操縦士、作家」はうんざりさせられた。これはハイジャックにより20年間に渡り延々空を旋回し続ける旅客機の話なんだが、「旅客機が何故20年間も飛び続けるのか、乗客は何食ってんのか」という疑問に「えーっと"永久燃料"と"不思議な食物"というのがありまして…」などと余計な謎説明を加えて白けさせてしまう。こんなもの「時間がリセットされちゃうんです(キリッ)」と言っとけばそれでおしまいじゃないか。「ミニチュアの妻」も同様だ。「なぜ妻がミニチュアになったのか?」に「いや実は夫がよくわかんないんですけど"物を小さくする会社"とかいうのに勤めてまして…」とまたもや謎説明である。これだって「理由は無いです、とにかく小さくなったんです(キリッ)」と言い切ってしまえばいいだけではないか。
なにしろ冒頭からこれだから本を投げ出したくて堪らなかったのだが、昨今は本も高いし我慢して読み進めてみる。するとこれが、後半に行くほど構成も筆致も手馴れてきて、「投げっぱなし」すら気にならず、そこそこに読める作品が出てくる。傑作と呼ぶほどではないが、何かのアンソロジーに入っていたら特に抵抗なく読んでいたと思う。この作品集、ひょっとしたらほぼ執筆順に並べられていて、作者の成長に合わせて作品がよくなってきている、とそういうことなんじゃないかな。全体的にホラー展開の作品(「オオカミだ!」「ショッピングモールからの脱出」)、ファンタジー展開の作品(「角は一本、目は荒々しく」)がまともに読めたが、"アフリカ沈没"を描いた「さらば、アフリカよ」は"アフリカ沈没"そのものではなくて、それにまつわるパーティー会場のゴタゴタを描いている部分で、これが一番成功したスタイルなんじゃないかと思わされた。

ミニチュアの妻 (エクス・リブリス)

ミニチュアの妻 (エクス・リブリス)