クウェート侵攻により置き去りにされた17万人のインド人を救え!〜映画『Airlift』

■Airlift (監督:ラージャー・クリシュナ・メーノーン 2016年インド映画)


1990年、イラククウェート侵攻が勃発。それにより、17万人の在クウェート・インド人たちが孤立無援となってしまう。そんな中、一人の男が同胞を救う為に立ち上がった。映画『Airlift』は湾岸戦争の初期、実際に起こった脱出計画を描くスリラー作品である。主演にアクシャイ・クマール、その妻役として『めぐり逢わせのお弁当』のニムラト・カウルが出演。監督は『Bas Yun Hi』(2003)、『Barah Aana』(2009)のラージャー・クリシュナ・メーノーン。
《物語》実業家のランジート(アクシャイ・クマール)は家族と共にクウェートに住み、順風満帆な生活を送っていた。しかし1990年8月2日、イラク軍のクウェート侵攻によりその生活は一変する。クウェートを制圧したイラク軍の暴虐ぶりにランジートは国外脱出を考えるが、脱出もままならず右往左往するインド人同胞の姿を見て、彼らを救うことを決意する。実業家のコネを活かし、イラク軍やインド大使館、さらにはニューデリーにあるインド外務省に掛け合うランジートだったが返答は色よくない。さらに国連経済制裁による海上封鎖のため海路での脱出も望みが絶たれた。食料も底を突きかけ不安だけが広がってゆくインド人同胞たちの為にランジートは打つ手があるのか。
イラク首相サダム・フセイン(当時)によるクウェート侵攻はその後の湾岸戦争へと広がるきっかけともなった侵略行為だった。アメリカのブッシュ大統領は各国に呼びかけ多国籍軍を編成してサウジアラビアに派兵、さらにペルシャ湾の海上封鎖を敢行する。それに対しイラクは欧米人を一斉に拘束、出国を禁止した上に軍事施設に収容するという人質作戦を展開する。この中には日本人も含まれていた。双方睨み合いのまま人質は徐々に解放されてゆくが、経済封鎖の影響は次第にイラクに影響を与えてゆく。そして度重なる交渉も空しく1991年1月17日、遂に多国籍軍よるバグダッド空襲が開始される。湾岸戦争の始まりである。
このような時代背景の中、「その時クウェートのインド人はどうしたのか」を描いたのがこの作品となる。逮捕され虐殺されるクウェート人、監禁され人質とされる欧米人・日本人(これは作品内で描かれない)と比べ、イラク軍のインド人への態度は、少なくとも映画の上ではどちらかというと無関心に近いものを感じた。時には暴力的な事件も起きるが、それはインド人だからという訳ではなく、誰彼構わないイラク兵士の暴虐振りの結果のようなものだろう。ここに中東におけるインド人の扱いや立場がうかがえるが、それはつまり欧米人のような反アラブ的な敵性人種ではないということだ。
とはいえ、戦時制圧下にあるクウェートに長居したいとはインド人に限らず誰も思いもしないだろう。しかもその数は17万人と言うから、単に国外退避といっても相当に面倒な課題だ。この辺自分の認識不足なのかもしれないが、インド人であればパスポートさえあれば国外退去は許されていたのではないか。ただ、その手段がなく、さらに膨大な人数である、といった部分で事態が困難になった、というのがこの物語なのだろう。
さらにもう一つ付け加えれば、一人の平凡な市民が立ち上がって人命を救う、という人道主義の部分ばかりがクローズアップされる物語ではあるけれども、そもそも、インド政府は何してたの?というお話でもある。この物語では、インド大使館は役に立たず、インド外務省も及び腰で、大臣クラスはというと逃げ腰なのだ。国内外に他に重要な課題があったとか対外的なものを刺激したくないとか言い訳がされるが、なんにしろインド政府の腰の重さが浮かび上がってしまうのだ。同胞の為に立ち上がるインド人市民、という部分は愛国的かもしれないが、その愛国の対象であるインド政府がカスだった、というのはひとつの皮肉なのか。
とはいえ、戦時下の街で恐怖に怯える人々を描いたスリラーとしてはよく出来ている。避難所に集められたインド人たちの憔悴しきった様子、膨らんでゆく不満、やっと脱出手段が見つけられたと思ったらそれが次々に不可能になってしまうことの絶望感、「もしも自分もそこにいたら」と考えるとやはり恐ろしい。そんな中主人公を演じるアクシャイ・クマールは、最近の作品で軍人顔が板に付いてしまっていたが、この作品では一般市民ということでそれほど引っ掛かりを覚えず見ることが出来た。また、妻を演じたニムラト・カウルは、角度によってはロザムンド・パイクを彷彿させる顔つきで、『めぐり逢わせのお弁当』とはまた違う魅力を醸し出していた。