身分違いの恋の行方〜アーミル・カーン主演作品『Raja Hindustani』

■Raja Hindustani (監督:ダルメーシュ・ダルシャン 1996年インド映画)

■身分違いの恋

田舎暮らしの純朴な青年と、都会からやってきた富豪のお嬢様が恋をして…というラブ・ロマンス作品です。主演にアーミル・カーン、ヒロインにカリシュマー・カプール

《物語》ムンバイに住む富豪の娘アールティ(カリシュマー・カプール)は誕生日の祝いとして亡き母の思い出の町であるパランケットへと旅に出た。彼女は二人の召使と共に空港でタクシーをつかまえ、滞在先でもガイドを依頼した。タクシーの運転手の名はラージャー・ヒンドスターニ(アーミル・カーン)。都会暮らししか知らないアールティは素朴で純粋なラージャーに次第に惹かれてゆき、ラージャーもまた心の清らかなアールティに思いを寄せてゆく。二人は結婚を誓うがラージャーの父はそれに不服だった。そしてラージャーの義母は二人を陥れるためにある計略を進めていた。

■優れたラブロマンス・ストーリー

身分違いの恋、という王道ともいえるラブ・ロマンス・ストーリーを展開するこの作品、非常に完成度が高く、様々な面においても大変楽しめる作品でした。1996年公開作ですが今現在観ても殆どその楽しさに遜色はありません。この作品で優れて楽しめた部分を箇条書きにしてみましょう。
1.主演の二人の爽やかさ…田舎暮らしの純朴な青年を演じるアーミル。もう清々しいまでに田舎者にしか見えなくて素晴らしい。純真であると同時に頑固者でもあり、「結婚しても田舎からは出ない!」と言い切り亭主関白ぶりをアピール。しかし上流階級である義理の父母のパーティーに呼ばれた際には田舎の劣等感をこじらせて酒を飲んで暴れる、というトホホな一面も見せる。だが、こういった面が人間臭くていい。ただし衣装が全部ユニクロに見えるのが難。一方ヒロインを演じるカリシュマーはもともと華やかな美人だが、同時に若々しさと子供っぽさも併せ持っており、若さゆえの迷いや一途さをその演技できちんと見せていた。
2.共演者たちの楽しさ…ヒロインはなにしろ令嬢なので、旅には二人の”お付きの者”が付き従ってるんですね。で、この二人というのが”男勝りの女性”と”ちょっとゲイっぽい男性”で、この二人の雰囲気が物語をとても楽しいものにしているんです。さらにラージャーのご近所さんのシク教徒としてあのジャガイモ顔のジョニー・リーヴァルが登場、例によって物語を引っ掻き回す上に、なんと男勝りなお付きの女性とロマンス展開などというお楽しみまであるんです。いやージョニー・リーヴァルって、画面にちょっと登場するだけでも楽しくなってしまいますよね。
3.素晴らしい歌…父と共にムンバイに帰らければならなくなったアールティを悲痛な思いで送り届けるラージャー、一行は途中ある村に立ち寄りジプシーの歌と踊りを目にしますが、「旅人よどうか行かないでほしい」という歌詞の「Pardesi Pardesi」はラージャーの切ない心を高らかに歌い上げ、この曲の歌われる中主人公二人は遂に愛を決意するのです。圧倒的なまでにエモーショナルなこのシーンは映画の最大のハイライトでしょう。この曲「Pardesi Pardesi」はインドでも大ヒットしその年最高のベストセラーになったばかりか、歴代でも高い売り上げを記録したサウンドトラックとなったそうです。日本でこの映画を取り上げているブログを読んでもどこもこの曲を挙げていましたね。ぱ〜るで〜しぱ〜るで〜しじゃな〜なひ〜ん。
4.主人公を陥れる計略…さて「身分違いの恋」を描いたこの物語、ヒロインの父が出てきた段階で「娘は絶対に渡さん!」という展開になるのかと思ったらそうではないんです。お父さんは不承不承二人の仲を認めてしまいます。その代り二人を妨害するのがヒロインの義母。もともと怪しい義母だったんですが、ここで悪だくみを巡らせることで、ちょっとしたサスペンスを生むんですね。こういった、インド映画にありがちな定石を外したところに新鮮さを感じました。
5.新たな家族の物語…こうして生み出される人間関係からは、血の繋がりだけではない新たな大家族といったものを感じさせます。ラージャーとアールティはもとより、ラージャーとアールティの家族、アールティの二人のお供、そのお供と恋したシク教徒、彼らは血の繋がりはなくともあたかも一つの家族のようにまとまり合いお互いを慈しみあいます。そして言ってみればアールティの義母ですらやはり新たな家族です。こういった、そもそもがばらばらであったはずの人たちが愛情と信頼で結びあってゆく様、これがこの作品からは感じられます。

■何にも縛られない自由インド人

タイトルでもある主人公の名前「Raja Hindustani」は「インド人の王」といった意味ですが、ラージャーはそれを「僕自身が僕の王なのだから、誰も僕を縛り付けることはできない、そしてヒンドゥーでもムスリムでもカトリックでもなく、何にも属すことの無いただインド人であることが僕なのだ」と説明します。これは主人公があらゆることから自由である、自由でありたい、そう願う存在であるということです。その中で彼は身分違いの恋をしますが、それは同時にカーストを超えた恋ですらあったのでしょう。しかし主人公は、それら無意味な束縛としきたりを一蹴し、自分らしく生きることを望みます。それこそが「何にも縛られない自由インド人」であることだからです。そしてだからこそ、彼は血縁に縛られない新たな"新家族"を築き上げその中で明るく生きていこうとしたのではないでしょうか。

涙で頬を濡らしながら直立不動で「どうかいかないでほしい」と歌い上げるアーミル。映画史に残る一世一代の名シーンといえるのではないでしょうか。

(しかしYouTubeにHD映像上がってるのにどうしてオレの買ったDVDはSDみたいなショボイ映像なんだ…)