旧ユーゴで暮らしていたある家族の光景〜エミール・クストリッツァ監督作品『パパは、出張中!』

■パパは、出張中! (監督:エミール・クストリッツァ 1985年ユーゴスラビア映画)


この間クストリッツァ映画祭で『ジプシーのとき』を観たときに「そういえばDVDで持っていた『パパは出張中!』をまだ観ていなかったなあ」と思い出したのである。そもそもクストリッツァ好きを公言しつつ彼の作品を全て観ているわけでもない。『SUPER8』や『マラドーナ』はどうも食指が動かないしなー、それにしてもクストリッツァってソフトの出ない監督だよなー、などとグダグダ言いつつ、積んでいた『パパは出張中!』をやっと観ることにした。

『パパは出張中!』は処女作『ドリー・ベルを憶えている?』(1981)に続くクストリッツァの長編第2作目であり、そしてまた彼の故国であるユーゴスラビアが1992年に解体する以前の1985年に製作された作品である。物語が描くのは1950年のサラエヴォ。これは第2次大戦後、共産国家として歩んでいたユーゴスラビアがそれまで手を組んでいたスターリン支配下ソ連と袂を分かつことになった時期である。しかしこういった独立独歩の機運は逆にスターリンに同調的とみなされた者を「反ユーゴ的」として抑圧しようとする動きへと変化する。こうして逮捕された者たちは労働キャンプに送られ再教育を受けることになったという。

物語はこういった時代背景のもと、「反ユーゴ」とみなされたある男とその家族を描いたものだ。物語の中心となるのはサラエヴォに住む5人の家族。家族構成は父のメーシャ(ミキ・マノイロヴィッチ)、母のセーナ(ミリャナ・カラノヴィッチ)、6歳になるでぶっちょの少年マリク(モレノ・デバルトリ)とその兄ミルザ、そして祖父ムザフェル。メーシャはある日スターリンに対して擁護的なことを呟いたのを愛人のアンキッツァ(ミーラ・フルラン)に聞かれ、アンキッツァの夫でメーシャの義弟でもある人民委員会のジーヨ(ムスタファ・ナダレヴィチ)に密告されてしまう。それが原因となりメーシャは労働キャンプ送りになるが、息子であるマリクとミルザは「パパは出張中で帰ってこられない」と告げられるのだ。

とはいえ、こういった政治的な背景を持ちながら、この作品は決してゴリゴリに暗くやるせない物語が展開するという訳ではない。むしろ辛い現実に置かれた一つの家族を、クストリッツァ独特のアイロニーとペーソス、そしてささやかな暖かさで描いたのがこの物語といえるだろう。いってみればこの物語の中心となる家族は、当時のユーゴスラビアでは別に特別な存在だったのではなく、どこにでもいて、そして同じような政治的不安を抱えるごく普通の家族のひとつだったのだろう。つまり1950年の一般的ユーゴスラビア市民の生活を浮き彫りにしようとしたのがこの物語だったのではないか(まあ映画なので相応のカリカチュアはされているのだろうが)。

この物語における家族の情景は過剰に感じるほど猥雑だ。父メーシャは家族にこそ優しいが、とことん女癖が悪い。労働キャンプに送られても女漁りだ。母セーナはこんな夫に振り回されいつもヒステリー状態だ。息子であるマリクはそんな混乱の中夢遊病に罹り、家族を心配させる。このマリクの割礼シーンはショッキングだが、さらに同年代の初恋の少女とお互いすっぽんぽんになっての入浴シーンまである。ちなみにこの少女への失恋シーンは涙なしには見られない今作のハイライトだ。一方映画好きで物静かな兄ミルザは意外とクストリッツァの分身なのかもしれない。こういった家族の情景に加え、ドタバタとした細かなエピソードが山のように盛り込まれ、猥雑さはさらにエスカレートする。

兄ミルザはアコーディオンが上手くていつも「ドナウ河のさざなみ」ばかり弾いている。これに限らず「ドナウ河のさざなみ」は常に物語の中で流れ、その哀愁を帯びた旋律はこの物語の一貫したトーンとなる。とはいえ、その使われる頻度はあまりにも多く執拗で、強迫観念めいてすらいる。この執拗さもまたクストリッツァといえる。そう、人間描写にしてもドラマの作りにしても、クストリッツァはくどく、しつこく、ごちゃごちゃと入り乱れている。なによりメーシャが2年間の強制キャンプでの勤めを終え、メデタシメデタシと思わせた後の大波乱の引っ張り方としつこさといったらない。ここではこれまで描かれたあらゆる人間関係が遂に過飽和状態に達し暴走をはじめるのだ。

これらくどく、しつこく、ひたすら猥雑なクストリッツァの演出、それは同時に、クストリッツァの抑制できないパワフルさでもあるのだろう。しつこくくどいクストリッツァは苦手だが、結果として生み出されるこのパワフルさに、オレはいつも圧倒されるのだろう。この猥雑さとパワフルさは傑作『アンダーグラウンド』で頂点を迎えるが、作品の持つ政治性への批判に嫌気がさした彼はその後政治性を排除したたひたすら楽観的な作品へと移行してゆく。映画『パパは出張中!』は散漫でポイントの見え難い作品だが、こうしたクストリッツァのまだ形にならない熱情のひしめきあうさまをこそ注目すべき作品かもしれない。

パパは、出張中! [DVD]

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