『スター・ウォーズ』『マッドマックス』にインスピレーションを与えたとも言われる著作『千の顔をもつ英雄』を読んだ。

■千の顔をもつ英雄〔新訳版〕(上)(下) / ジョーゼフ・キャンベル

出合ってから30年というもの、この本は私を魅了し、インスピレーションを与え続けてくれている。――ジョージ・ルーカス
世界最古の英雄譚といわれるギルガメシュの冒険からオデュッセウスの苦難の旅、ブッダの修行、イザナギイザナミの物語まで、古今東西の神話や民話に登場する「英雄」たちの冒険を比較すると、心を揺さぶる物語の基本構造が見えてくる――。ジョージ・ルーカスに〈スター・ウォーズ〉創造のインスピレーションを与えるなど、世界中のクリエイターたちに多大な影響を与えた神話学者キャンベルによる古典的名著の新訳版。

『真実はひとつ。人はそれにたくさんの名前をつけて語る』――ヴェーダ/インド聖典
ジューゼフ・キャンベルの名前は映画『スター・ウォーズ』がらみで知り、興味を持った。キャンベルの主張はザックリ説明すると「世の全ての物語には"原型"があり、それは人類が古来から培ってきた神話である。そして神話を知ることは人類が無意識に認識する"生き方"の指標を得ることだ」というものだ。その後キャンベルの著作『神話の力』(レヴュー)を読んだが、次々と現れる膨大な量の神話・聖典・民話のエピソードの数々に眩暈を覚えるほど興奮させられた。この時さらにキャンベルの主張に肉薄したとされる『千の顔をもつ英雄』の存在も知っていたが、いかんせん当時は大学出版か何かの高額な書籍となっており、さらに訳文に関する評判が最悪だったので購入はしなかった。

その『千の顔をもつ英雄』が[新訳版]となって遂に早川書房から発売された。元の翻訳本が相当の価格だったからどれだけ分厚い本なのかと思ったら、[新訳版]はそれぞれ300ページほどの2分冊で「こりゃいけるな」と思い早速購入して読んでみることにした。

『千の顔をもつ英雄』の構成は以下のようになる。まずプロローグとして「モノミス―神話の原型」が語られる。"モノミス"というのは「すべての文明に見られる神話にはある種の基底構造があるとする仮説」のことである。ここで概説が語られ「第1部 英雄の旅」「第2部 宇宙創成の円環」そして「エピローグ 神話と社会」とまとめられてゆく。これら内容の殆どは事例と仮説と検証である。そして今作では対談集の形だった『神話の力』よりさらに踏み込んで幾多の神話を検証してゆくことになる。

「第1部 英雄の旅」は神話英雄譚の原型を探るもの。これは「出立」「イニシエーション」「帰還」「鍵」と章立てされるが、キャンベルによればこれは通過儀礼の定型を示したものであるという。即ち英雄譚とは通過儀礼の物語であり、そして通過儀礼とは人がその属する社会でどう受け入れられるべきか、その通過儀礼で何を得るべきかを描いているというわけだ。近代以前ではどの社会でも通過儀礼に似た儀式があり、現代でも存在する社会はあるけれども、その意義は形骸化し半ば見失われている。しかし、現代においては数多存在する「物語」に引き継がれる形となって人はその通過儀礼の意義を追体験する。人がある種の「物語」に惹き付けられてやまないのは、そこに今では忘れられた通過儀礼の原型を見出すからなのだろう。

「第2部 宇宙創成の円環」では英雄譚のみにとどまらない「神話」の原型的な骨子を探ってゆく形となる。それは宇宙と世界がどのように創生され、どのように成り立ち、英雄はどのように生み出され、どのような英雄としてのバリエーションを持ち、そして最終的に宇宙と世界はどのように終わってゆくのかを考察したものとなる。それは原初的である「人」は「世界」をどう捉えていたのか、その「世界」で「人」はどのような「運命」の中にあるのか、ということである。

興味深いのはこの著作では「神話」「英雄」とされるものの中に現代でも信仰されるキリスト教仏教イスラム教、ヒンドゥー教などの「宗教」とその神々も含まれているということだ。「神話=神の物語」なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、どうも「神話」と「宗教/信仰」は別のもののように捉えていた部分が自分にはあったのでこの見方は新鮮だった。言うなれば「宗教」も人の生き方の規範となるものである。ここでキャンベルはこれら「宗教」からすらも要素を抽出し普遍となる原型を見つけようとする。ここではキリストや釈迦の物語も英雄であり英雄譚のひとつとして並べられているのだ。

様々な事例と検証の未に結論をまとめた「エピローグ 神話と社会」はやはり最も重要であり、この著作の存在意義を問うものだろう。確かに「神話」には「物語」の「原型」があるのだろう。だがしかし、なぜ《今》それが必要なのか、ということだ。人類社会の経済的発展と発見された科学的合理は古代の闇の中にいた人々に光をもたらし、現代においてはあらゆるものがつぶさにあからさまのように見える。しかし光をもたらすことによってかつて光であったものが闇となってしまっている、とキャンベルは説く。科学的合理により「神は死んだ」が、しかしかつて神が担っていた「人の生きる規範」もまた死んでしまった。ではもう一度「神/宗教」を復古することが重要なのか?いやそうではなく、神無き現代にかつて「たくさんの名前で語」られることとなった「ひとつの真実」を人は、社会はもう一度模索せねばならず、そのインスピレーションの元となるものがかつての「神話」である、ということなのだ。

一つだけ批判的なことを書くと、この著作の基本を担っているのはフロイトユング精神分析であり夢判断であり集合的無意識といった術語である。現代ではこれら近代精神分析家の思想はオカルト扱いになっていることは否めず、この著作においてはこれら思想が無批判に盛り込まれている部分で難があるかもしれない。ただしこの著作が刊行されたのは1949年というもはや60年以上も前のものであり、現代的な精神分析の在り方は当然だか演繹されうる術はない。むしろ著作の中で溢れんばかりに展開する驚くべき神話とその物語の数々に、幾世代を経ても変わることの無い「人の求めるもの」を見出すことがこの著作の面白さとなるだろう。

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)