ひたすら圧倒的な映像美を堪能できる映像ドキュメンタリー作品2作〜映画『Baraka』『Samsara』

■Baraka (監督:ロン・フリック 1993年アメリカ映画)/ Samsara (監督:ロン・フリック 2011年アメリカ映画)


映画『Baraka(日本公開タイトル『バラカ〜地球と人類の詩』)』と『Samsara』は映像ドキュメンタリー作品だ。監督を勤めたロン・フリックはかつてゴッドフリー・レジオ監督による『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』の脚本・撮影・編集を担当した男である。それなので、まずは『コヤニスカッツィ』の話から始めたい。

コヤニスカッツィ』は1982年公開(日本では2004年公開)の映像ドキュメンタリー作品である。製作にフランシス・フォード・コッポラの名前があり、音楽はフィリップ・グラスが担当している。アメリカの自然と都市風景を次々と写し出してゆくその映像は、スローモーションと微速度撮影を駆使し、ナレーションや台詞を一切使わないという手法で作られている。そしてそのテーマとなるのは、原題であるホピ族の言葉「コヤニスカッツィ」の意味する「常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界」なのだ。つまり自然と文明を対比させながら、人間社会の愚かさに肉薄してゆこうという、文明批判的なカルト作品なのである。

ただ、自分は日本公開時劇場で観たが、正直なところ、退屈だった。テーマ自体にも臭みを感じたが、綺麗に撮られているとはいえ、台詞・ナレーションの無い映像を90分近く観せられるのが苦痛だった。とは言いつつ、VHSが発売(そう、DVDじゃなくてVHSの時代だったのですよ)されるといそいそと購入し、「なんだったんだこれは?」と何度も観返したものだったが。ちなみに続編となる『ポワカッツィ』(1988)、『ナコイカッツィ』(2002)は未見。

さてそんな『コヤニスカッツィ』絡みの監督が製作した『Baraka』と『Samsara』、『コヤニスカッツィ』とコンセプトが丸被りしているとしか思えず、最初まるで食指が動かなかった。また美麗な映像がダラダラと流されるだけの退屈な作品だと思ったのである。だがちょっとしたきっかけがあって予告編を観たところ、これが、なんだか非常に美しい。目を見張らせるものがある。またぞろ綺麗なだけの退屈な作品だろうとは予想しつつ、直観を信じて思い切って両作品のBlu-rayを購入してしまった。そして、期待と不安相半ばしながら観始めたところ…うおおおお、これは素晴らしい作品じゃないか!!

まず驚かされたのは予想を遥かに上回る映像の美しさだろう。映画の撮影方式には詳しくないのだが、関連記事を読むと「50年代に最初に実用化された大型ネガ映画システムで現代でも画質は最高といわれるTODD-AO70ミリ方式」というもので撮影されているのらしい。こういった撮影方式以前に、自分が視聴したメディアがBlu-rayであること、さらに8K HDリマスターが施されていること、そういった部分で単なる70ミリ映画以上の臨場感を兼ね備えていたのかもしれない。思えばかつて観た『コヤニスカッツィ』は小さな劇場で観た後はVHS視聴だったわけだし、幾ら同傾向のテーマだったとはいえ、映像それ自体を見せる作品であることを考えると、視聴環境に雲泥の差があるのは確かだ。

しかし映像が綺麗なだけならやはり退屈だったろう。けれどこの2作に関しては編集が実に巧みなのだ。驚くほど美しい映像カットを見せながら、それをこれ見よがしにだらだらと引っ張らない。映像に驚いているうちにもすぐに別のカットに切り替わる。しかも一見関連性の無い別のロケーションのカットなのだ。そしてこのカットの連続は、ただ羅列されているのではなく、カット相互の繋がりに恣意性を感じさせる、いわゆるモンタージュ技法的な編集であり、さらにその恣意性は、映像のつながりにより意味を押し付けるものではなく、むしろ動きや空間性や色彩のリズムを考慮したものであろうと思われるのだ。つまり「意味」と「説明」を廃することで、ナショナル・ジオグラフィック的な単なる「美しい自然の風物詩」を見せるだけのものであることを回避してるのだ。

そしてそのテーマの在り方だ。映画『コヤニスカッツィ』は「平衡を失った世界」をテーマとした文明批判作品だったが、例えばタイトル『Baraka』の意味する所は「祝福」であり、それは自然と生けとし生けるものへの祝福なのだろう。そして『Samsara』の意味する所は「輪廻転生」であり、それは生々流転を繰り返す自然と人類の在り方を表しているのだろう。「お綺麗な」といえばそれまでだが、映像ドキュメンタリー作品の大枠のテーマとしては十分だ。映像には確かに文明批判的な匂いもあるが、『コヤニスカッツィ』ほどあからさまではない。

「文明批判的な部分」とは書いたが、むしろ、ここで描かれる圧倒的なまでの自然の光景は、美しくはあれ、そこで人がただ一人取り残されたら生きていけない、そういった「自然」でもある。人類の文明とは、実はこの「自然」と対抗し、乗り越えることで成り立っているということを考えるなら、人類の文明を描く映像が、いかな醜く「反自然的」であろうと、それは、そうでなければここまで増え続けた人類は存続し続けられない、ということでもあるのだ。それが人間という存在の「業」なのであり、単純に「自然に還る」ことを善しと言い切れないということなのだ。そういったことに思いを馳せてしまった作品でもあった。

もうひとつ付け加えるなら、この二つの作品を自分が「素晴らしい」と思えたのは、自分が歳を取りある程度の年齢になったからなのだからだとも思う。自然の光景をただ美しいと堪能できるのは、自分が老年に差し掛かっているからだという気がする。これらの作品を『コヤニスカッツィ』と同じ10年前に観てもやはり退屈だと思ったかもしれない。だからこれらの作品を刺激のある映画の好きな若い方に勧めようとは思わないが、ただ、こういったひたすら自然の映像に沈溺できる映画も世の中にはあるのですよ、ということはちょっとだけ知っておいてもらいたいかもしれない。
The official site for the films SAMSARA and BARAKA

■Baraka Trailer

http://www.youtube.com/watch?v=ZSfFHxyYJJA:movie:W620

Baraka [Blu-ray] [Import]

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