SF・ドロドロヌチョヌチョのウンゲロ惑星!〜映画『神々のたそがれ』

■神々のたそがれ (監督:アレクセイ・ゲルマン 2013年ロシア映画)


去年結構話題になっていたのだが観る機会のなかったロシア映画『神々のたそがれ』をやっと観た。でまあ率直な感想を言わせてもらうと…
なんてババッチイ映画なんだ!?

実はこれ、一応SFなんである。原作はタルコフスキー映画『ストーカー』の原作者でもあるロシア人SF作家アルカジイ&ボリス・ストルガツキー兄弟の『神様はつらい』。読んだことは無いのだが、大昔ハヤカワのSF全集に収められていたのを目撃したことがある。ちなみにストロガツキー兄弟の別の作品『収容所惑星』は『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』というタイトルで映画化され日本でもDVDで観ることができる。

お話は「地球より800年ほど進化の遅れた惑星」へ、研究のために地球から学者たちが派遣されるが…というもの。そして学者たちがその惑星で目撃したのは、あたかもヨーロッパ中世時代のように退行した社会だった。そこでは知性と知識は反動分子と見なされ徹底的に排除され、学者や学生は処刑されていた。地球人学者ドン・ルマータ(レオニード・ヤルモクニク)は貴族に身分を変え20年もの間この惑星に潜入し知識人を匿っていたが、知識人狩りを行う王権守護大臣直属である"灰色隊"の魔手が彼らに迫っていた。

とまあこう書くと面白そうなんだが、この映画ではこの粗筋自体は単なるアウトラインでしかない。ではいったいなにが描かれているのかというと、中世然とした退行した社会の中に蠢く、どこまでもひたすら不潔で薄汚くてあさましい、なんだか獣舎の中の牛や豚みたいな人間たちの姿なのである。この映画の不潔さときたら凄まじい。醜い石造りの建物が立ち並ぶ町にはいつも鬱陶しい雨が降り、道という道はドロドロとぬかるみ、その雨と泥でグチャグチャになった人々が通りを歩く。部屋に一歩入るとそこはゴミやガラクタや腐った食べ物で溢れ、画面の向こうから腐臭が漂ってきそうだ。

そんな小汚い町に住む住民というのがまた不潔極まりない。体なんぞ生まれてから一度も洗ったことの無さそうな脂じみた風体は中世の浮浪者と言ってもよく、そんな彼らが常に唾を吐きゲロを吐き鼻汁を飛ばし、それだけでなく糞と小便まで撒き散らかしている。戦いともなれば血塗れになりはらわたをぶちまける。つまり体から出るありとあらゆる液体と、雨と泥と脂がヌチョヌチョに混じり合った映像が全編これでもかとばかりに画面を塗り込めているのである。しかも画面はいつもこんなババッチイ人々によってみっちりと埋め尽くされ、その誰もが頭が遅れてそうなヤヴァイ顔つきをしている。あとねー、チンチンとかマンマンもモロ写りだよ!

とまあ、もうホントあまりにも小汚い映像のオンパレードで、正直観ていて辟易したし少しも楽しめなかったのだけれども、しかしこの映画に関しては面白いとか面白くないとか、楽しいとか楽しくないとかいった感想は実はお門違いで、それよりもこの「徹底的な汚濁」によって完膚無きまでに気分を悪くさせる事がこの作品の目的だとすら思わされる。不潔で野卑で白痴的な社会とそこに蠢く人間たちの退行した情景というのはそのまま原作が描かれたソビエト社会主義国家の戯画化なのだろうし、これを映像化したアレクセイ・ゲルマン監督にも現在のヨーロッパ社会の背後に存在する「野蛮さ」を描きたかったということなのだろう。多分。

それにしてもヨーロッパが退行したら確かにこんなになりそうだよなーと思わせる。これが退行したアメリカだったら、中国だったら、なんて考えるとちょっと面白い。日本だったらみんなきっと蟻みたいな封建社会を作ってるんだろうな。退行したオーストラリアは絶対マッドマックスの世界になってるんだぜヒャッハー!そしてこれが退行したインドだったら、ヒンドゥー神の前で歌って踊ってるんだと思いました。あ…あんまり変わってないぞインド…。