アイスランド発、羊をめぐる冒険(?)〜映画『ひつじ村の兄弟』

■ひつじ村の兄弟 (監督:グリームル・ハゥコーナルソン 2015年アイスランド/デンマーク映画


遠い遠いアイスランドの国の、人里離れたある村に、二人の年老いた兄弟がおったんじゃ。兄の名はキディー(テオドル・ユーリウソン)、弟の名はグミー(シグルヅル・シグルヨンソン)。二人はそれぞれ羊を飼って生活しておったのじゃが、実はこの二人、大変仲の悪い兄弟で、40年もの間、口さえも訊かないほどだったんじゃ。そんなある日のこと、村で羊の伝染病が発見され、村中の羊を殺処分しなければならなくなってしまったのじゃ。キディーとグミーの兄弟も、全ての羊を失うことになって大弱りじゃった。そこで彼らは今までの仲違いを止め、自分たちの羊をこっそり隠しておこうと企んだんじゃ…。

オレの生まれ育ったのは北海道の僻地である。その町での産業は主に漁業が主体で、水産加工場もあったから町全体にいつでもどこでも魚臭い臭いが漂っていた。季節を問わず肌寒く、冬は降雪と曇天で気の滅入るような光景が広がる。恐怖小説作家ラブクラフトに『インスマウスの影』という作品があるが、あれを読んだときは「これはオレの町のことじゃないのか」とすら思ったほどだ。山の奥に入ると酪農もやっていて、広い牧場に牛が飼われたりしていた。なにしろ山の奥にあるので、地元とはいえそれほど目にすることは無かったんだが、何かの機会でたまに訪れると、「搾りたての牛乳だべ」とその牛乳を飲まされたこともあった。まあしかし、そういった牧場は当たり前のことだがとても獣臭く、ガキの頃はそれがとても嫌で、牧場なんてものに一般的な憧憬を感じることはまるでなかったし、そういった所で出された牛乳も、なんとなく気持ち悪く思っていたようなヒネたガキではあった。

アイスランドデンマーク合作による『ひつじ村の兄弟』は、牛ではなく羊を飼う兄弟を描いた映画である。舞台がデンマークであり、また牧場であることから、降雪と曇天がいつも画面をモノトーンで染め上げ、広々とした牧場ではそれがどこまでも続いているのだ。酪農などというのは、なにしろ獣を扱う仕事だから、決して小奇麗なものではなく、個人でやっている様な牧場だと、さらにそれほど近代化されているわけでもなく、そんな牧場に、多分嫁の来てのないまま老齢に達した兄弟が、それぞれ別々の家にぽつりぽつりと住んでいる、もうこの光景だけでオレなんかは殺伐とした気分になってしまう。おまけにその兄弟はどちらも偏屈な上に小汚くて、人付き合いもたいしてなく、さらにお互い嫌い合っているときたら、殺伐気分はさらに拍車が掛かり、『ひつじ村の兄弟』なんてぇタイトルから想像される牧歌的な気分など厳寒の気温のように凍り付いてしまうというものだ。

とはいえ、この映画を観ていて、オレは始終「オレの育った土地とそっくりだなあ」と思っていた。さっき「山の奥の牧場」みたいな書き方をしたが、実際オレの育った町は、「山」と呼べるような高い山脈があるわけではなく、どちらかといえば丘陵地帯ってな風情なんだが、この『ひつじ村の兄弟』でも、広い牧場の後ろにあるのは、山というよりずんぐりした丘陵で、植物的な北限のせいで樹木らしい樹木も無く、それで余計殺風景に見えてしまい、そんな部分も、なんだかよく似ているなあ、と思えてしまう。牧場の建物や、そこで暮らし仕事に勤しむ主人公兄弟の防寒着や、その暮らしぶりなんかも、どうにも既視感に溢れていて、さらに老兄弟の偏屈さも、「オレの田舎もこんなクソジジイだらけだったなあ」としみじみとうなずけてしまうのだ。

物語的には、羊というよりこの老兄弟の確執の様に焦点が当てられていて、ある事件により、40年間仲違いしていた兄弟の心がやっと近づきましたあ、という、ただそれだけのものとしか観れなかったし、あのラストにしても、「ここで終わりなの?」という戸惑いしか感じなかったんだが、北国でド田舎で酪農で老人で、もういろいろ大変なんっすよ、というのは伝わったことは伝わった作品ではある。羊飼いで兄弟で確執でって部分でキリスト教的な何かに絡めて適当なことを言うと様になるかもしれないし、案外そんなテーマが隠れているのかもしれないが、知ったかぶりするためにネット検索するのも疲れるので「大自然の厳しさの中改めて心を通わす老兄弟の、感動はないが殺伐さだけは確かに伝わる物語」というまとめにしてお茶を濁そうかと思う。