新しい価値観と古い因習の狭間で引き裂かれてゆく若者たちの物語〜映画『Masaan』

■Masaan (監督:ニーラジ・ゲーワーン 2015年インド/フランス映画)

■デーヴィーの物語

『Masaan』はインドの聖地ワラーナシーに住む二人の男女がそれぞれに出遭った、辛く厳しい困難とその行方を描く現代劇である。

映画は冒頭からショッキングだ。恋人同士がひと時の逢瀬のため安宿に入る。二人がベッドで睦みあっている最中警官隊が踏み込み、恥知らずな行為だ、とがなり立てながら二人を取り押さえるのだ。しかも男性のほうは親に罪を知られるのを恐れその場で自殺するのである。警官に攻め立てられ、恐怖の涙を流す女の名はデーヴィー(リチャー・チャッダー)。パソコン教室の講師をしていた彼女はそこで知り合った男子学生と愛を交わす為安宿に入り、そこで恥辱と悲劇に見舞われた。しかしそれだけではなかった。警官の一人が、事件を表沙汰にしたくなければ金を出せ、とデーヴィーとその父を脅迫するのである。

インドの法律を詳しく知るわけではないし、宗教的なものもあるのだろうけれども、この現代でも未婚の者同士の同衾が罪になるという国があり、それを映画とはいえ目の当たりにするのは流石に異様に感じた。これがインドの現実なのだろうか。一方、警察の腐敗はインド映画を観ているとよく目にする。いわゆる当たり前の光景なのかもしれないが、これすらも、やはりインドの忌まわしい現実の一つなのかもしれない。

■ディーパクの物語

もう一人の主人公の名はディーパク(ヴィッキー・コウシャル)。彼の物語にもインド独特の忌まわしい現実が関わってくる。彼はガンジス川のほとりで遺体を焼く火葬屋の生まれだったが、自らはエンジニアになる為に勉学に励んでいた。ある日彼はシャールー(シュウェター・トリパティ)という名の女性と知り合い愛を育むが、低カーストの彼は高カーストの彼女に引け目を感じ、あまつさえ家業が火葬屋であることを言い出せないでいた。

インドならではの光景であるガンジス河ほとりでの火葬は、紀行文や映画などでお馴染みだが、ここで描かれる火葬業の様子はおそろしく生々しい。そこには崇高さなどではなく、効率に追われる作業的な火葬が殺伐と描かれるのだ。こうした仕事に就くのもきっと低カーストの人々なのだろう。しかしそんな家の生まれではあっても、主人公男性ディーパクはごく普通に学友と遊び、将来のために学び、そして恋をする。カーストの違いはお互い知ってはいただろうが、新しい考えを持つ二人に障壁は無いはずだった。だがそんなディーパクですら、火葬業であるという自らの出自にやはり劣等感を抱き、彼女の両親は身分違いの恋を許さないだろうと悩むのだ。

こうして映画『Masaan』は一見関連性の無い男女二人のそれぞれの物語を交互に描いてゆくことになる。そしてデーヴィーとディーパクの物語を大枠としながら、『Masaan』にはもう一つの物語の流れがある。それはデーヴィーの父ヴィディヤーダル(サンジャイ・ミシュラ)の物語だ。サンスクリット語の教授である彼は、ワラーナシーのガート(川岸に設置された階段)に寝泊まりする宿無しの少年と知り合う。その少年は河のほとりで行われる賭博の出場者だったが、娘の事件で警官に恐喝され金に困ったヴィディヤーダルは、次第にその賭博にのめり込んでゆくのだ。

■新しい価値観、古い因習

このように、現代的な価値観と職業、そして生活習慣に馴染んで生きているインドの若者が、インド古来の旧弊な因習と価値観と衝突し足をすくわれ、そこから抜け出せずにもがき苦しむ、その揺れ動く心の様を描いたのがこの物語なのだ。デーヴィーの持つコンピューターの知識は新しい産業としてインドを活性化させ、ディーパクの目指すエンジニアという職業もそうして新しくなってゆくインドの土台を支える職業である。彼らは、インドの未来なのだ。著しい経済発展を遂げ、人々が豊かになりつつあるのも、この二人のような若者たちの力に負う所が大きいだろう。

そんな若者たちが古い因習に足をすくわれ、がんじがらめになる。インド映画ではよくテーマにされる事柄だが、映画『Masaan』におけるそのドラマは、より困難であり、身を切る様に切なく、逃げ場すらないように見える。そしてそれにより、新しい価値観と古い価値観との拮抗を、より鮮烈に浮かび上がらせることに成功している。だがこの物語は、ただただ若者たちが因襲の犠牲になるだけの陰々滅々とした物語では決してない。暗く遣り切れない事件がありながらも、古い因習にがんじがらめにされながらも、なんとかそこから飛び立とうとする若者たちの明日についてのドラマでもあるのだ。そこがいい。

監督のニーラジ・ゲーワーンはこれが長編初作品となるが、アヌラーグ・カシャップ監督の『Gangs of Wasseypur - Part 1,2』(2012)でアシスタント・ディレクターを、同監督の『Ugly』(2013)でセカンドユニット・ディレクターを経験しているという。リアルさを優先したシビアな演出はそこにあるのかもしれない。また作品は2015年カンヌ映画祭の「ある視点部門」で「期待すべき新人賞」を受賞した。