太陽系8つの世界に版図を広げた人類のエキセントリックな未来〜『汝、コンピューターの夢』

■汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) / ジョン・ヴァーリイ

汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) (創元SF文庫)

ジョン・ヴァーリイちゃんと読んでなかった。

突如現われた超越知性により地球を追放された人類は、太陽系外縁で謎の通信ビームを発見。それを解読して得た、卓越した科学技術を用いて自らの肉体を改変し、水星から冥王星にいたる様々な環境に適応して、新たな文明を築く……性別変更や人格コピーさえ個人の自由になった未来を、鋭い予見性と鮮やかな叙情で描く。70~80年代を代表する天才の傑作〈八世界〉シリーズ既発表全短編を、新訳&改訳で贈る。第1巻は7編を収録。

そうだった。実はジョン・ヴァーリイも今まできちんと読んだことの無いSF作家だった。
長編『へびつかい座ホットライン』も『テイーターン』も短編集『残像』もみんな数十年積読したまま実家に置き去りである。今まで唯一読んだのは多分短編「PRESS ENTER■」ぐらいか(あれは傑作だった)。この間早川から出てた短編集『逆行の夏』もスルーである。ファンシーな表紙がげんなりしたし今更ジョン・ヴァーリイじゃないしな、と思ったからである。
そんなオレがなぜ今回この創元社から出た『汝、コンピューターの夢』を突然購入し読もうと思ったかというと「〈八世界〉全短編1」というのがググッと来たからである。「八世界」。おおなんだかゾクゾクしませんか。あ、しませんか。オレはしました。これはもうぬるい表紙で短編集を再編した早川よりも「〈八世界〉全短編」というくくりで攻めてきた創元社の勝ちである。

■太陽系8つの世界

「八世界」とは何か。それは「人類の居住地が、水星、金星、月、火星、タイタン、オベロン、トリトン冥王星の八つの天体に築かれていることに由来する(解説より)」。あれ、地球は?というと、実はこの未来史において、地球は異星人の侵略を受け、住んでいた人類全てが滅亡していたのである。その時地球外に居住していた人類だけが生き残り、そして地球外世界(すなわち「八世界」)へと版図を広げていった、というわけなのである。この「八世界」での人類の繁栄には訳があった。へびつかい座70番星から謎のデータが送られてきており、人類はそれを解析することで超科学を手に入れ、そして宇宙での繁栄を可能にしたのだ。という訳で地球滅亡から数百年、太陽系八世界に広がった人類はどのような変貌を遂げたのか?というのがジョン・ヴァーリイの「八世界シリーズ」なのである。ね、面白そうでしょ?
ジョン・ヴァーリイの「八世界シリーズ」の特徴はクローン技術により「自由に改変可能な性別と肉体を持った人類」の登場であり、それによる「異星環境へ適応した肉体」であり、「脳内データを移行することにより肉体が滅んでも次々と次の肉体へ乗り換えることで可能になった不死」である。最新のSF作品ではごく当たり前の設定だが、これが当時には意外と衝撃的だった。今まで読んでなかったくせに知ったかぶりこくな、と言われそうだが、実は当時の自分には、この設定が「気持ち悪い」ものだったのでどうにも読み進められなかった、というのがあった。当時はそれだけ異様に感じたのだ。
肉体は精神の入れ物であり、その肉体さえ交換可能なのなら人間は不死、そして精神というのはデータでしかなく、いくらでもアップロード/ダウンロード可能、という設定というのは、人間は畢竟「モノ」である、「モノ」でしかない、ということだ。SFなんだからなんでもアリ、とはいえ、そんな設定が妙にニヒリスティックに感じた(当時は)。そして幾らでも改変可能な肉体、というのは、それは人間である必要すらない、ということだし、何度もとっかえひっかえできる性別、というのは、逆に言うともはやジェンダーに意味はない、ということでもある。つまりジョン・ヴァーリイは「(一般的な)人間という概念」を全部ぶっ壊した所から物語を始めているのである。これはある意味革命的なことだったのかもしれない。

■全てが変化しつつも変わらない"愛"

さて、これらのジョン・ヴァーリイ小説の特徴は、既に何十年も前から言われてきたことで、オレがなにか新しいことを言っているわけではまるでないのだが、それでも今回『汝、コンピューターの夢』を読み終えて気付いたことがある。それは、これだけ「人間という概念」を壊しまくり、ひたすらエキセントリックな新人類とその社会を描きながらも、ジョン・ヴァーリイはただ一点、「愛」だけはどの物語にも存在する、ということだ。これだけ奇異な物語を表出させながら、どの物語にもロマンス要素は必ずと言っていいほどあり、しかもそれが物語の展開に最も重要な役割を与えられているのだ。即ち、全てが変わってしまった人類が、「愛」だけは変わらず持ち続けている、といういうことなのだ。そして、その「人間的要素」ただ一つだけで、これら奇異な人々の登場する奇異な物語が共感可能となっているのである。
これは別に「愛の不滅」を訴えてるとかそういうことじゃなくて、作家ジョン・ヴァーリイの中にそういったロマンチズムがあったからなのだろうと思う。だから、肉体も精神も「モノ」として捉え未来世界を描写する最新SFのニヒリズムと、この一点においてジョン・ヴァーリイは線引きがされる。それによりジョン・ヴァーリイの小説には旧世代SF作家ならでは古臭さと温かみとがある。古臭い、というのは厳密なテクノロジー描写が成されない、という部分にもあるんだが、ジョン・ヴァーリイの興味はそこには無く、肉体や精神の持つ限定されたくびきを全部チャラにした「新しい人間の在り方」を描きたかった、ということなんじゃないかな。
作品それぞれについては特に触れないけど、収録作には特に未訳作品はなく、新訳している程度で、昔っからジョン・ヴァーリイを読んでいる人には用の無い短編集かもしれない。ただ、やはり「八世界」のくくりで日本独自編集されているので、こうしてまとめて読むのは面白いかもしれない。「〈八世界〉全短編」は全2巻の予定で、この2巻目は『さようなら、ロビンソン・クルーソー』というタイトルで来年の2月に出るらしい。この第1巻はオレはとても楽しく読んだので、この2巻目も購入する予定だ。

収録作
「ピクニック・オン・ニアサイド」
「逆行の夏」
ブラックホール通過」
「鉢の底」
カンザスの幽霊」
「汝、コンピューターの夢」
「歌えや踊れ」