アラン・チューリングは電子頭脳の夢を見るか?〜映画『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 (監督:モルテン・ティルドゥム 2014年イギリス・アメリカ映画)


イギリスの天才数学者アラン・チューリングの名前はコンピューター・サイエンスの本やSF小説から知った。彼はコンピューター誕生に関わる偉大な業績を世に残した男だったが、しかしその生涯を調べたときに、無理解と偏見によるあまりに非業な最期を遂げていたことを知って大いに胸が痛んだ。ドイツの暗号機エニグマも、第2次大戦を舞台にした冒険小説や、やはりSF小説でその存在を知ることになった。当時の技術では解析不可能とまで言われたこのドイツの暗号機には様々なドラマが存在する。結果的にチューリングを始めとする連合国側に解析されるが、暗号機自体を奪取するための熾烈な戦いもまた繰り広げられていたのらしい。

エニグマ、そしてアラン・チューリング、解析不可能な暗号と、その不可能を可能にした男のドラマは、それだけで大いなる興味を掻き立てられる。しかもそのチューリング演じるのが現在最も注目すべきイギリス俳優、ベネディクト・カンバーバッチと聞いては、もはや観ないわけにはいかないではないか。そして観終わった後、予想を遥かに超えて展開するその綿密に構成された物語に、どこまでも圧倒された。

物語は3つの時間軸を交差させながら進んでゆく。1951年、盗難事件の通報にチューリング宅を訪ねた刑事が、チューリングの態度に不審を覚え彼を逮捕し、その真相に迫る。1939年、第2次大戦勃発とともに、ドイツの誇る難攻不落の暗号機エニグマを解析するために召集されたチューリングとその仲間たちが、エニグマ暗号の解析に挑む。そして1920年代後半、パブリック・スクール通うチューリングの多感な少年時代。これらを通しながら映画はアラン・チューリングという稀代の天才のその足跡、秘められた私生活と奇矯な性格、悲劇に満ちた最期を描くけれども、しかしこの作品は決して「チューリング伝記」としてのみ製作されてはいないのだ。

この作品にはあらゆる要素が詰まっている。不世出の天才のその煌びやかな知性の奔出を垣間見る物語であると同時に、この作品は諜報戦をクローズアップさせた戦争映画であり、その中心となる暗号機エニグマの物語であり、それを打破するために制作された人類最初期のコンピューター誕生の物語であり、それと同時に、一人の男の愛と孤独の物語であり、もう一人の天才数学者ジョーン・クラークを通して描かれる女性民権問題であり、さらにはこの物語のもう一つのキーワードである同性愛への、当時の法律が下した愚劣な無理解と差別の問題である。こうして一つの物語の中に、これらあらん限りの要素がひしめき、それらは相互に化学反応を引き起こしながら、結果的に非常に芳醇で、そして知的な物語として完成することに成功しているのだ。まさに今年を代表する堂々たる傑作のひとつと言っていいだろう。

そしてこの作品の成功を可能にしたのも、ひとえに主人公アラン・チューリングを演じたベネディクト・カンバーバッチの、卓越した演技とその存在感にあるといって過言ではない。彼の名を知らしめたTVドラマ『SHERLOCK シャーロック』でも、天才と奇矯さの狭間を行き来する名探偵シャーロックを演じたカンバーバッチだが、この『イミテーション・ゲーム』でその演技はさらに深みを見せ、架空の存在シャーロック・ホームズとは違う、ぐねぐねとどこかいびつなものを内在させながらなおかつ自らの人間存在へと迫ってゆく男を鬼気迫る様子で演じていた。この作品を観てしまうとアラン・チューリングを演じられるのはもはやカンバーバッチしかいないのではないかとすら思わせてしまう。

さらに興味を引くのがこの物語のもう一つの主人公、劇中では「クリストファー」と呼ばれる暗号解読器の存在だろう。コンピューター理論自体は1823年に「コンピュータの父」とも呼ばれる数学者チャールズ・バベッジにより既に発案され、階差機関(ディファレンス・エンジン)と呼ばれる計算機械が制作されようとしていたが、この計画は完成目前で頓挫している。実際の電子式汎用計算機は1942年のジョン・アタナソフとクリフォード・ベリーが制作したデジタル計算機ABC、1946年にエッカート/モークリーによって制作されたENIACがあるが、暗号解読専門とはいえ、やはりチューリングのマシンが先を行っていたのだ。そのマシンがまさに動いている様を見ることができる、というのは一人のSF好きであり、パソコンの恩恵を受けるものとして非常に興味深かった。

イミテーション・ゲーム』は決してSF作品ではないが、このようにどこかSF好きの心をくすぐる作品でもある。劇中登場する「チューリング・テスト」などはフィリップ・K・ディックSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に登場し、映画『ブレード・ランナー』でも描かれた「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」そのままではないか。そもそも「フォークト=カンプフ測定法」自体の元ネタがチューリング・テストだったのだろう。チューリング・テストは「ある機械が人工知能であるかどうかを判定するためのテスト」であり、フォークト=カンプフ測定法は「人間かアンドロイドかを判定するテスト」であった。高度に知的な機械頭脳の開発に尽力し、人間の狭量な無理解と偏見に断罪されたチューリング。フォークト=カンプフ測定法的にいうならば、果たして人間的だったのはどちらであったのだろう?

http://www.youtube.com/watch?v=Lzd7MAd0J5A:movie:W620