今年面白かった本あれこれ

■白熱光 / グレッグ・イーガン

グレッグ・イーガンのウルトラスーパーハードSF。面白かった、というよりその科学的難解さと格闘しながら読んだ、という部分で思い出深い作品です。格闘して、そして負けた。

この『白熱光』、何が難解なのかというと、「スプリンター」に住む知的生命体たちが、物語全体のほぼ半分のページを費やして物理法則の実験を行っているのだが、この実験についての記述が、そこそこの物理学・幾何学の知識がないと読み解けないであろうものなのである。この異星人たちは、物理・幾何の理論や知識がほぼゼロの段階から実験を始め、仮説を立て、検証し、推論を行い、法則を見出してゆく、ということを延々と繰り返し、それは徐々に複雑なものとなっていく。ただ、物語の中でそれらは、地球人ならよく知るような物理学・幾何学の用語を一切使わずに行われるのだ(異星人だからね)。 《レビュー》

■市に虎声あらん / P・K・ディック

ディックがSF作家になる以前に書いた処女文学長編。非SFなのにもかかわらずディックのエキスがたっぷり詰まった問題作。

ではこの『市に虎声あらん』は、ディックが望まぬSF作家としてデビューする前の、単なる失敗した足掛かり、意味の無い駄作だったのだろうか。実はそうではないのだ。解説でも同様なことが書かれているが、「処女作にはその作家の全てが詰まっている」とよく言われるように、この『市に虎声あらん』には、その後のディックの、様々な要素がたっぷりと詰まっているのだ。幻滅と失意に満ちた人生を送る主人公、強大かつ眩惑的な(つまりは宗教的な)ヴィジョンを提供する絶対者の出現、その絶対者に対峙した主人公が至る認識の変容、そしてクライマックスに用意される、現象世界と認識世界の崩壊。これらは全て、『市に虎声あらん』の中に余すところなく網羅されているのだ。つまりはディックSF小説の【元型】が、この『市に虎声あらん』に既に花開いていると言えるのである。 《レビュー》

■レッドスーツ / ジョン・スコルジー

レッドスーツ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

レッドスーツ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

スペース・オペラならお手の物のスコルジーによる長編。

お話はスコルジーらしいコミカルな調子で進んでいきます。主人公は宇宙艦隊に配属された新人クルーたち。彼らは配属早々、この艦隊がなーんだか妙なことに気づきます。まず任務でのクルーの死亡率がやたらめったら高い。でも艦長や上級士官はなぜだか全然死なない。緊急時にはインチキ臭い謎の装置に問題を突っ込めばたちまち解決。なんなのこれ?と先輩クルーに話を聞こうにもみんななんだか気まずそうにするだけ。そして主人公らは徐々に、この艦隊と、そして自分たちの運命が「普通に考えたら有り得ないある法則」に支配されていることを知ることになるのです。「この"法則"通りだと俺らも今までのクルーと同じくあっさり死んじゃうことになっちゃうじゃん!?」かくして主人公たちの七転八倒の悪あがきが始まる!?というもの。 《レビュー》

■モンド9 (モンドノーヴェ) / ダリオ・トナーニ

モンド9 (モンドノーヴェ)

モンド9 (モンドノーヴェ)

イタリアのSF作家によるグロテスクな異形の未来。

肉と金属で出来た、意思疎通不可能の意識を持った機械が地上を走り、肉体を金属化する不気味な毒が大地を覆い、その人を拒む過酷な自然の中で、人々は文明の黄昏ともいえる没落した生活を送っている。その世界がなぜ、どうのように成立し、そこで人々がどのように生きているのか、肉と金属で出来た機械は誰がいつどのようなテクノロジーの元に作られ、それが何故何のために存在しているのか、物語では全く説明されない。高度なバイオテクノロジーが導入されているように見えて"生体船"の動力にはスチームが使われていたり、壁がブリキで出来ていたり、オルゴール式の音声装置があったり、紙に書かれる航海日誌があったり、どこか古めかしい様はスチーム・パンク的ではあるけれども、そこにさらにゴシック的でグロテスクな怪奇が横溢している。 《レビュー》

このレヴューを読んだ作者の方(出版社のほうで翻訳して伝えているらしい)から、ツイッターで感謝のメッセージが届いたんですよ。

■こうしてお前は彼女にフラれる / ジュノ・ディアス

こうしてお前は彼女にフラれる (新潮クレスト・ブックス)

こうしてお前は彼女にフラれる (新潮クレスト・ブックス)

ドミニカ共和国の生まれの作者による短編集。可笑しくてやがて悲しき悲恋のドラマ。これは胸に突き刺さりました。

収録作は9編、ユニオール君が主人公の作品とは別に浮気相手にされた女性視点の物語もある。そしてその多くは米国へのドミニカ人移民、という立場を持つ人々の物語だ。「愛の不在」を描くこの物語には「故郷の不在」、すなわち「故郷という寄る辺を喪うということの悲しみ」という背景が存在している。さらにそこには逃げた父親や病死した兄、といった「家族の不在」も存在している。その圧倒的なまでの「不在」と「喪失」が、ヤリチン浮気男のあまりにおマヌケな失恋騒動というドタバタに託されて描かれているのがこの物語なんだ。そしてユニオール君がおマヌケであればあるほど、喪った愛への身を切るような悲哀、といったペーソスが鮮やかに表現されてゆくんだ。 《レビュー》

■はい、チーズ / カート・ヴォネガット

はい、チーズ

はい、チーズ

カート・ヴォネガットの死後発見された没原稿集ですが、驚くほどクオリティが高い。

こうして書くとこの短編集がいかにバラエティに富んだものかわかるだろう。そしてそれぞれのジャンルを、どれも高い完成度で描けてしまう若き日のヴォネガットのその力量に唸らされることだろう。そしてまた、これらの作品の持つ軽妙洒脱なセンスは、半ば神格化されその著作を読むのに身構えてしまう多くのヴォネガット作品と比べ、ヴォネガットをよく知らない読者でもさらりと読み通すことのできるものだということができるだろう。これらの作品にはヴォネガット円熟期のニヒリズム人間性への強烈な希求はまだ見出すことはできないが、「気軽に読める短編」といったとっつきやすさを兼ね備えているのだ。 《レビュー》

■火星の人 / アンディ・ウィアー

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

火星にたった一人取り残された男の究極のサバイバルSF。今年一番面白かったSFといえばこれです。

この知恵比べとも言える描写の数々が凄い。彼の持つ膨大な科学知識を生かし、空気、水、食料、電力を次々と生み出してゆき、さらに生存に適した環境を整えてゆく。科学知識の豊富な方なら「その手があったか」と膝を打つだろうし、オレの如き知識貧困な者にも、それらの描写は分かり易く、決して難解なSF作品という訳ではない。だが。どのように計算しても、それら物資は、4年持ちこたえることができない。さらに、次回の火星ミッションが行われる基地まで、3200キロの旅を敢行しなければならないのだ。この、次から次へと立ち現れる困難、そしてそれに、次から次へと立ち向かってゆき、解決してゆこうとする主人公の描写がなによりも素晴らしい。 《レビュー》

■神話の力 / ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話学者ジョーゼフ・キャンベルが古今の神話伝承から人類の共通意識を探ろうと試みる対談集。

一読して、キャンベルのその博学多識ぶりにまず驚かされる。学者なのだから当たり前といえばその通りなのだが、対談という中で(多分)参考文献などを傍らに置くわけでもなく、ありとあらゆる神話伝承、宗教聖典、古典文学の膨大なタイトルや内容が次から次へと引用され、その繋がりを考察してゆくのだ。ここではジョイス『フィネガンズ・ウェイク』が、ダンテ『神曲』が、ゲーテファウスト』が、トリスタン伝説が、アーサー王の聖杯探究が、ヘブライの歴史が、カトリック教義が、ブッダの教えが、アメリカ・インディアンの伝承が、インド『ウパニシャット』が、さらには『スター・ウォーズ』が、たった数ページの中で引き合いに出され、その中から「共通となるもの」を見出してゆく、という離れ業を演じてゆくのである。 《レビュー》