天才少年の孤独と救済の物語〜映画『天才スピヴェット』

■天才スピヴェット (監督:ジャン=ピエール・ジュネ 2013年フランス・カナダ映画)

◆『アメリ』監督による天才少年の冒険譚

かつて『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』をマルク・キャロと共同監督し、単独監督作『アメリ』で大絶賛を博したジャン=ピエール・ジュネ監督が2013年に3D作品として発表した『天才スピヴェット』を観た。ライフ・ラーセンによる原作『T・S・スピヴェット君傑作集』は随分前に読んでいたが、これが大好きなジュネによって監督されると聞いた時は大いに驚いたし、どう映像化されるのかがとても楽しみだった。

◆物語

T・S・スピヴェット君(カイル・キャトレット)はアメリカ・モンタナの牧場で生まれた10歳の少年だ。カウボーイの父(カラム・キース・レニー)と昆虫博士の母(ヘレナ・ボナム=カーター)、アイドルを夢見る姉(ニーアム・ウィルソン)とに囲まれて生活するスピヴェット君は、実は天才的な頭脳を持つ少年だった。しかし彼の天才ぶりに周囲はまるで無関心だったが。かつてスピヴェット君には双子の弟(ジェイコブ・デイヴィーズ)がいた。その弟が銃の暴発事故で亡くなってから、家族の中にはぽっかりと大きな穴が開いたままだった。そんなスピヴェット君にある日、ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館から電話が掛かってくる。彼の発明した「永久機関」に賞が与えられるので授賞式に来てほしいというのだ。しかし、行きたいと言っても周囲は誰も信じてくれないだろう。そこでスピヴェット君はモンタナからワシントンD.C.へ、大陸横断の一人旅を敢行することを決意した!

◆3D映像の素晴らしさ

最初に書いてしまうと、大いに感銘させられた。これはジュネ監督のキャリアの中で、新たな地平を切り開いたと言っていい傑作だろう。この作品には夢があり、冒険があり、驚きがあり、楽しく、美しく、そして救済がある。ああ、自分はこういう映画を観たかったんだな、と思いださせてくれるような映像体験。そんな、映画を観る喜びがたっぷりと詰まった作品として、映画『天才スピヴェット』には最大限の賛辞を送りたい。

小さな少年の冒険譚。大陸横断のロード・ムービー。旅を通して描かれる少年の成長、心の変化。そして、少年の失踪により再び強まる家族の絆。これらが、ジュネ監督らしい遊び心溢れる映像と、それを徹底的に具現化してくれる3D効果とで再現される。原作である『T・S・スピヴェット君傑作集』には、スピヴェット君の書き記した膨大な量の「科学的図像」が収録されているが、その図像が3Dとなって命を得たようにスクリーンを飛び出し躍る様は、映画のテーマと合致するばかりか、最初から最後まで物語に大きな驚きを用意し続ける。即ち、3Dであることに必然性があるのだ。この作品における3D映像の素晴らしさは、『アバター』、そして『ライフ・オブ・パイ』以来の成功例として記憶されることだろう。

◆思考と肉体

しかしこの物語は映像の斬新さのみで評価されるべき作品では決して無い。一人の少年の大冒険を描きながら、この物語にはもう一つのテーマが隠されている。それは思考と肉体との和合といったテーマだ。

スピヴェット君の家族は綺麗に二つのタイプに分かれている。学者である母と天才少年スピヴェット君は頭脳派。彼らは常に自らの思考の中だけに留まり喜びを感じるタイプだ。野外労働はお手の物のスピヴェット君の父、その父と仲の良かった亡き弟、アイドルという見てくれ勝負の世界に憧れる姉の3人は肉体派、ということができる。彼らはありのままの現実を享受しそれに喜びを感じるタイプだ。頭脳派のスピヴェット君は肉体派の父が苦手だ。さらに、そんな父の跡継ぎになったであろう弟の死により、肉体派でない自分に引け目を感じている。それは自らの肉体性の欠如に知らずと引け目を感じていた、ということなのだ。

◆肉体性の獲得

スピヴェット君は天才かもしれない。しかし彼は頭だけはいいけれども、自分の肉体性を理解できていない。それは彼が旅立つ時、とても子供一人では持ちきれない量の荷物を持ち、それを引き摺りながら歩き出す部分に顕著に表現されている。頭でなら何でもできるけれども、体は何もできない。思考に肉体が追い付けない。それは自分を取り巻く現実が理解できていない、ということだ。しかし彼は旅を通じて、これまで見たこともない広い世界を見、体験する。そうして現実というものを体感しながら、徐々に自らの肉体性とその限界に気付いてゆく。それは旅を続けるうちにどんどんと荷物が少なくなってゆくことに暗喩されている。彼は旅の途中怪我をするが、その痛みもまた、現実に肉体を持つ、ということを体感することであったのだ。

そういった意味で、この『天才スピヴェット』は、単純な「少年の成長譚」ではない。少年の成長は、それはすなわち大人になることだが、この旅を通してスピヴェット君は決して大人になったわけではない。しかし、大人になるのと同じように重要な、自らの思考と肉体を合致させること、観念性と肉体性を同居させることのきっかけを見つけることになるのだ。

◆スピヴェット君の孤独

しかし自らの肉体性を認識したからといって、全てが解決したわけではない。念願のスミソニアン博物館(おお、フーコーの振り子!)に到着しても、彼は心細いばかりだ。彼の不安の大元になるもの、それは彼と両親との離れた心だった。

スピヴェット君にとって、肉体派の父は理解のできない存在だった。また母は、弟の死によって抜け殻のようになっていた。そしてスピヴェット君自身は、そんな父母に自分はいなくてもいい存在なのだ、と思いこんでいた。この世に存在するべきだったのは、死んだ弟だったのだ、ということも。それは、スピヴェット君が劇中何度も「親はいない」「親は死んだ」と言っていることと合致するのだ。それは逆に、自分はいない方がいい、自分は死んだほうがいい、と思っていたということでもあるのだ。そしてこのスピヴェット君の一人旅は、スミソニアンで授賞式を受けるためではなく、そんな家族の中からいなくなってしまいたい、という家出でもあったのだ。すなわち、スピヴェット君は、孤独だったのだ。

その想いが吐き出されるのが、あの授賞式のスピーチだろう。しかし心情吐露は決して解決には結びつかない。では何がスピヴェット君の心を溶かしたのか。それはもちろん、彼の元へ駆けつけ、不安に塗れた彼を全身で守ろうとした父母の姿だったのだ。

◆再び家族になること

理解できなかった父が、抜け殻だった母が、自分のために体を張って大立ち回りを演じる。それは息子へ愛ゆえだったが、スピヴェット君はこれまで、こんなに自分が愛されている存在だったということを知らなかった。両親の強い愛情を目の当たりにして、スピヴェット君は、自分は、ここにいていいんだ、ということを改めて知る。

スピヴェット君は、旅を通じて、自分を知ることになる。そして旅路の果てに、両親の愛を知ることになる。またその両親は、スピヴェット君の家出とも言える一人旅により、今自分たちにとって、最も守らねばならないものはなんなのかを知る。そうして最後にお互い同士が、失いかけていた家族の絆を取り戻すことになるのだ。全てに対して、乗り越えるべきことが乗り越えられ、救済があり、幸福が待っている。これはなんと素晴らしく、心豊かになることのできる映画なのだろう。ジャン=ピエール・ジュネの『天才スピヴェット』は、そういった部分で、現在最強の映画であるかもしれない。

http://www.youtube.com/watch?v=2QWvcBpaABs:movie:W620

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